第3話 ギフトの検証
事の始まりは、教会の前に出ていた立て看板だった。
『本日、祝福の儀。銅貨五枚』
ハルベルの中央教会は、月に二度、一般向けの【祝福】を安価で授けている。
効果は「心身をわずかに健やかにする」──要するに、ごく微弱な強化だ。持続はおよそ半日。冒険者はほとんど見向きもしない。銅貨五枚は屋台のスープ二杯ぶんで、効果は「気持ち程度」。費用対効果が悪すぎる、というのが酒場の定説だった。
俺は、その列に並んでいた。
理由は単純だ。転生から二年、俺はずっと確かめたいことがあった。神様が言った、あの一言。
──誰の祝福の上にも、重なるようになっとる。
これまで検証の機会がなかった。ソロの俺に、バフをかけてくれる仲間はいない。ポーション類は高価で、Fランクの稼ぎでは検証に回す余裕がなかった。だが銅貨五枚なら──二年かけて貯めた検証予算の、初回投入先としては最適だ。
「汝の日々に、光のあらんことを」
初老の神官が俺の頭に手をかざす。ふわり、と温かいものが 全身に染みる感覚。ステータス的に言えば、ほんのり底上げ。単体では、確かに「気持ち程度」。
俺は礼を言って教会を出ると、その足で街外れの原っぱへ向かった。誰もいないことを確認して、深呼吸。
さあ、答え合わせだ。
「──【自己強化(小)】」
結論から言おう。重なった。
祝福の温かさの上に、自己強化の底上げが、明確に「加算」で乗った。
検証方法は前世由来の原始的なやつだ。原っぱの端から端までの全力疾走を、条件を変えて計測する。素の状態、祝福のみ、自己強化のみ、そして両掛け。歩数と、俺の脈拍でとった時間の概算。
素の俺を100とすると、祝福のみで約105。自己強化のみで約110。
そして両掛けで──115。
「……乗ってる。しかも、ほぼ理論値どおりの単純加算」
原っぱの真ん中で、俺はたぶん、かなり気持ちの悪い笑い方をしていたと思う。
いいか、これはとんでもないことだ。この世界のバフは「同系統上書き」が仕様だ。祝福を二重に受けても105は105。強化ポーションを二本飲んでも、効いているのは一本ぶん。誰もが、その仕様の中で生きている。
だが俺のギフトは、その判定の外側にいる。
ゲームで例えるなら、全プレイヤーが「バフ枠は一つ」の制約で戦っている中で、俺だけがバフ枠を二つ持っている。しかも片方は自前で永続、コストほぼゼロ。
単体では(小)。誤差。神様も謝り倒した端数。
だが──誤差と誤差を足すと、誤差じゃなくなる。
そこからの数日は、控えめに言って最高だった。
検証その二、ポーション系。市場で一番安い【身体強化薬(下級)】を一本購入。効果は十分間、腕力の微増。飲んで、自己強化を乗せる。──乗った。祝福とポーションと自己強化の三枚重ねも試した。──全部乗った。
系統の違うバフは元々共存できるのがこの世界の仕様だ。つまり俺は「祝福(神聖系)+薬(調合系)+ギフト(規格外)」という、この世界の誰にも組めない三色デッキを組めることになる。
検証その三、これは半分冗談で試した。酒場の吟遊詩人が歌う【進軍歌】。士気を上げる伝統歌で、実利はないとされている──が、資料室の古い文献に「軍属詩人の歌は微弱な強化の理を帯びる」との記述があった。
歌の聞こえる席で自己強化を重ねて、店の裏で垂直跳びを計測した。
……微増。誤差と言われたら反論できない程度の、微増。だが俺の体感センサーは「乗った」と言っている。この世界、「気持ちの問題」とされてるものの何割かは、実際には微弱なバフだ。誰も真剣に計測しなかっただけで。
手帳(検証ノート)に、俺は書き殴った。
『本世界のバフ判定、推定仕様:系統別スロット制。同系統は上書き、異系統は共存。俺のギフトは全スロットの外側に独立スロットを持つ。つまり──盤面のバフが増えるほど、俺の一枚は相対的に強くなる』
書いていて、手が止まった。
……待て。この仕様が一番輝く環境は、ソロじゃない。
僧侶の祝福、魔法使いの支援、詩人の歌、隊列の連携。バフが飛び交う環境──つまり、パーティー戦だ。
俺の唯一の勝ち筋は、俺が一番縁のない場所に埋まっている。神様、あんたの端数、つくづく皮肉な設計をしてるよ。
検証の総仕上げに、実戦を入れることにした。
標的は、街道の南に出るブレードボア。刃のような牙を持つ大猪で、討伐難度はD。推奨はEランクパーティー三人以上。突進の一撃は、当たれば新人の盾ごと吹き飛ばす。
Fランクのソロが挑んでいい相手ではない。が、今日の俺は素の俺じゃない。
朝の教会で祝福(銅貨五枚)。市場で強化薬(下級)を一本(銅貨二十枚)。しめて銅貨二十五枚の「装備投資」に、自己強化を重ねた三枚掛け。体感、素の状態から二割強の底上げ。
二割を、笑うなかれ。
ゲーマーなら知っている。対等の勝負を才能で決めるのは最後の数%だが、二割の差は「別のゲーム」になる。
南街道の脇、ブレードボアの縄張り。事前観察で摑んだ突進の習性──奴は突進の直前、必ず前脚で二度、地面を掻く。突進は速いが、直線的で、切り返しは遅い。
木立の間、俺はあえて開けた場所に立って、奴の視界に入った。
地面を掻く前脚。一度、二度──来た。
土煙を上げて迫る質量。恐怖はある。あるが、頭の別の場所が冷静に告げている。見えている。素の俺なら反応が間に合わない速度が、今日は「避けられる速度」に落ちている。
半歩、いや一歩ぶんの余裕をもって、俺は横に跳んだ。すれ違いざま、短剣が奴の脇腹を裂く。浅い。だが今日はそれでいい。
「切り返しは、遅い」
突進を外した猪が巨体を反転させる、その無防備な数秒。二本目の短剣を、俺は後ろ脚の腱に叩き込んだ。
機動力を失った大猪を仕留めるのに、そこから長くはかからなかった。
「ブ、ブレードボアの討伐証明……ソロで!? レイジさん、あなた本当に何なんですか!?」
受付嬢の悲鳴じみた声に、酒場の視線が集まる。しまった。討伐部位の提出は、もう少し人の少ない時間にすべきだった。
「まぐれです。罠に嵌まってくれたので」
「ま、まぐれって、先週もロックリザード三体を……」
適当に流して報酬を受け取る。Dランク討伐の報酬は、Fランクの薬草採取のざっと二十倍。投資した銅貨二十五枚は、笑ってしまうほどの利回りで返ってきた。
その夜、宿の天井を見ながら、俺は今後の方針を決めた。
この重ねがけは、隠す。
理由は三つある。
一つ。俺の優位は「誰も俺のバフ枠を知らない」ことで成立している。種が割れれば対策される。情報戦において、非公開のカードは公開されたカードの三倍働く。
二つ。バッセ爺さんの警告だ。そういう力にいちばん先に気づくのは、ろくでもない連中じゃ。──才能値最底辺の人間が規格外の理を持っていると知れたら、いい顔をしない連中は、教会にも、ギルドの上にも、たぶんいる。
三つ。これが一番実務的な話だが──隠していても、支障がない。俺の重ねがけは、外から見れば「なんか妙に動ける」程度にしか映らない。派手な光も轟音もない。地味は、隠密性能だ。
……ただし、と俺は天井に向かって独りごちる。
問題も見えていた。祝福と下級薬で買える底上げには、天井がある。ソロで受けられる依頼にも、天井がある。今日のブレードボアは、たぶんソロ運用の上限に近い。これ以上は、本物のバフ──人間の仲間がかける、生きた支援が要る。
分かってるさ。この検証結果が指し示す最適解が、「パーティーを組め」であることくらい。
分かった上で、俺は目を閉じた。……才能値最底辺のFランクを、対等な取り分で入れてくれるパーティーなんてものが、この街のどこにある?
──焦るな。盤面は、まだ序盤だ。
翌日。いつものように資料室へ上がる階段の途中で、俺はふと足を止めた。
一階の酒場。例のオレンジ髪が、今日は珍しく、一人じゃなかった。
同じテーブルに、癖のある赤髪の大男。使い込まれた重鎧を椅子の背に掛けて、鷹揚に笑っている。遠目にも「格」の分かる、歴戦の空気。
そして赤髪の男が、オレンジ髪の報告に頷きながら──一瞬だけ、視線をこちらに寄越した。
値踏みする目、ではなかった。
……もっと手慣れた、在庫を確認する目だった。




