第2話 資料室の亡霊
冒険者ギルド・ハルベル支部の建物は、三階建てだ。
一階は受付と酒場。冒険者どもが依頼を受け、報酬を呑み代に変える、いちばん賑やかな階。二階は職員の執務室と、パーティー契約や訴訟ごとを扱う事務局。
そして三階の奥に、俺の城がある。
「・・・なんじゃレイジ。今日も来たんか。」
資料室の扉を開けると、司書のバッセ爺さんが、呆れとも歓迎ともつかない顔で俺を見た。禿げ上がった頭に丸眼鏡、元Bランクの斥候で、引退してからこの埃っぽい部屋の主をやっている。
「ロックリザードの討伐報告、出しときました。先週の三体」
「聞いとるよ。Fランクのソロで、無傷での。……受付の嬢ちゃんたちが噂しとったぞ。『資料室の亡霊がまた変なことをやった』とな」
「・・・亡霊て」
「日当たりのいい酒場にゃ寄り付かず、三階の暗がりにばかり湧いて出る。亡霊じゃろうが」
否定できないのが悔しい。
この二年、俺は稼いだ時間のほとんどをこの部屋に注ぎ込んできた。討伐報告書の写し、魔物の生態記録、過去五十年ぶんの遭難事例、依頼の成功率と失敗率の統計。前世で言えば、攻略wikiと過去ログが全部紙で置いてある部屋だ。入り浸らない理由がない。
だが、この部屋で俺以外の冒険者を見かけたことは、数えるほどしかない。
理由は知っている。この世界の冒険者にとって、強さとは才能とランクのことだからだ。
説明しておくと、冒険者ギルドのランクは下からF、E、D、C、B、A、Sの七段階に分かれている。
昇格の条件は大きく二つ。依頼の達成実績と、ギルドが定期的に行う「測定」──要するに才能値の計測だ。腕力、魔力、敏捷、それらの伸び代。水晶に手を置くだけで数値が出る。
そして、ここがこの制度の肝なのだが──実績をどれだけ積んでも、測定値が基準に満たない者は、Dランクから上には上がれない。
「安全管理のためじゃよ」とバッセ爺さんは言う。「C以上の依頼は死人が出る。才能のない者を上に通すのは、殺すのと同じじゃからな」
理屈は分かる。分かるが、つまりこの制度の下で、測定値が全項目最底辺の俺は、何をどれだけやってもDランク止まりということだ。生涯収入の上限が、初日に確定している。
──だから俺は、ランクの外側で戦うと決めている。
「爺さん。パーティー契約の綴り、今月ぶんも見ていいですか」
「またか。お前さん、魔物の記録より契約書の写しばかり読むのう。冒険者より事務局に向いとるぞ」
「盤外の情報が、いちばん盤面に効くんですよ」
パーティー契約。この世界の冒険者の稼ぎを実質的に決めているのは、ランクよりむしろこっちだ。
ソロで受けられる依頼には限りがある。実入りのいい依頼は大半が複数人推奨で、必然、冒険者はパーティーを組む。そして報酬の分け方は、ギルドの標準契約でこう定められている──「報酬は貢献と役割に応じて配分する」。
一見、公平な文言だ。だが「役割」を誰が決めて、誰が査定するのかは、各パーティーの内規に委ねられている。たいていは、リーダーだ。
つまりこの一文は、運用次第で、公平の道具にも、搾取の道具にもなる。
俺が契約書の綴りを読み続けているのは、その「運用」の痕跡を探すためだった。パーティーの編成記録と、契約の改定履歴と、脱退者の名前。紙の上には、酒場の武勇伝には決して出てこない、この街の冒険者社会の本当の勢力図が透けて見える。
……この時の俺は、まだ知らない。この地味な読書が、数ヶ月後、俺自身の命運を分ける手札になることを。
その日、資料室で妙な記録を見つけた。
東の廃坑道の調査依頼。難度D、報酬は相場よりやや高め。過去の受注記録を遡ると、この依頼、三年の間に四回出されて、四回とも達成されていない。
二回は途中撤退。一回は負傷者を出して失敗。そして一回は──パーティー五人、全員未帰還。
「爺さん、この廃坑道の依頼、また掲示板に出てますよね?」
「出とるな。今朝、どこぞの若いのが受けていきよった。Eランクの四人組じゃ」
手が止まった。
記録を並べ直す。四回の失敗はいずれも坑道の第三層で起きている。撤退した二組の報告書には、共通する記述があった。『水音がしないのに、装備が湿る』『松明の火が、風もないのに一斉に傾いた』。
前世のゲーマー知識が、カチリと音を立てる。湿気、気流の異常、そして帰らない探索者。これ、ガス溜まりか──あるいは、気流を操って獲物を奥へ誘い込むタイプの魔物の典型的な兆候だ。この世界の魔物図鑑で言えば、ミストイーター。討伐難度C上位。Dランク依頼の皮を被った、死の罠。
依頼を出してる側も気づいてないんだろう。調査が終わらないから、依頼だけが繰り返し貼り出される。
「爺さん、その四人組、どんな連中でした?」
「昇格を焦っとる感じの、威勢のいい若いのじゃったな。今から追っても……まあ、聞かんじゃろうな、お前さんの言うことなんぞ」
まぁ、Fランクの、資料室の亡霊の言うことなんて…わかってるさ……
それでも一応、走った。
街の東門で追いついた四人組への忠告は、見事なまでに予想通りの結果に終わった。
「はあ? 誰だよお前」
「Fランク? Fランクが、Eランクの俺らに指図?」
「資料がどうとか知らねえよ。ビビってんなら巣に帰ってな、亡霊さん」
リーダー格の男は、俺が写してきた過去の失敗記録を見もしなかった。四人は笑いながら東へ発っていった。
……まあ、いい。想定の範囲内だ。人は、格下からの警告を聞かない。この世界に来て二年、嫌というほど学んだ仕様だ。
だから俺は、忠告が通らなかった場合の次の手を、最初から用意してある。
俺はギルドに戻り、受付で依頼票を一枚取った。「東の廃坑道周辺、薬草採取。難度F」。坑道のには入らず、入り口周辺をうろつく正当な理由になる依頼。
それから雑貨屋で、ありったけの油と、太い麻縄と、鏡を三枚買った。
廃坑道の入り口は、崩れかけた木組みが山肌に口を開けた、いかにもな見た目をしていた。
先行した四人組の足跡が、雨上がりの土にくっきり残っている。入坑からおよそ半刻。記録によれば、異変が起きるのは第三層──まだ、間に合う時間帯のはずだ。
俺は入り口の周辺に、買ってきた物資を配置していく。
やることは単純だ。ミストイーター(仮説)の狩りは、気流で獲物を奥へ誘い、退路の分岐を霧で誤認させる型。なら、対策も型で返す。帰り道を、誤認しようがない状態にしておく。
入り口から差し込む西日を、鏡で坑道の一本道に反射させる。分岐の壁に、油を染ませた縄を固定して火を点ける。霧の中でも消えにくい、目印の炎。そして俺自身は入り口で、【自己強化(小)】を乗せた大声の準備。
──そして、半刻後。
坑道の奥から、悲鳴と靴音が転がり出てきた。血相を変えた四人組だ。白い霧が、生き物のように彼らの背中を追っている。
「こっちだ!! 火と光の側へ走れ!! 分岐は全部、燃えてる縄がある方だ!!」
俺の声と、揺れる炎と、鏡の反射光。霧が作る偽の道と違って、こっちは物理だ。誤認のしようがない。
四人は転げるように坑道から吐き出され、霧は日光の領域までは追ってこずに、ゆっくりと奥へ引き返していった。……日光が苦手という記録も、報告書の端に書いてあった。『晴れた日の撤退は成功している』と。
尻餅をついたまま呆然とする四人に、俺は薬草の入った籠を掲げてみせた。
「奇遇だな。薬草採取の依頼中なんだ」
「──で、その四人組、今朝がたお礼を持って受付に来とったぞ。『亡霊さんはどこだ』と言うてな」
翌日の資料室で、バッセ爺さんがにやにやしながら言った。
「亡霊は実在が確認されたら終わりなんですけどね」
「ギルドも今回の件で廃坑道の依頼を難度C相当に引き上げた。お前さんの報告書つきでな。……のう、レイジ。今回のあれ、最初から全部読んで動いたんじゃろう」
「読みじゃないですよ。過去の記録を並べただけです。答えは最初から、この部屋に書いてあった」
俺はそう言って、契約書の綴りに視線を戻す。
爺さんはしばらく黙って、それから、ぽつりと言った。
「……お前さんのそれは、この街じゃ誰も価値をつけん力じゃ。測定の水晶にも映らん。ランクにもならん。
──じゃがな、わしは長く生きとるから知っとる。そういう力にいちばん先に気づくのは、たいてい、ろくでもない連中じゃ」
「……」
「気をつけよ、亡霊。お前さんはそろそろ、日向の連中に見つかる頃じゃ」
その言葉の意味を、俺は数日後に知ることになる。
酒場の隅からこちらを観察する、オレンジ髪の男
──あの視線が、日に日に近づいてきていることには、とっくに気づいていた。




