↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『最弱の戦略家は復讐しない 〜俺を騙したパーティーを俺のクランで雇い直す。ざまぁより、そっちが"勝ち筋"だったので〜』  作者: めざし
盤上の灯火編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/77

第24話 値(ねだん)のつかないもの


「──あんたと、商売がしたい」


狐目の商人は、そう言った。

俺は、この男を、初めて見る。

だが、この男は、俺の顔を見た瞬間に、俺を、言い当てた。


「……レイジです」


俺は、椅子を、勧めた。

「ガルドさんから、話は聞いていません。──俺が留守の間に、何が?」

「毎日、来とったんですわ」


ケイルは、あっさり座って、帳面を、テーブルに置いた。

「あんたが帰ってくるまで、待つ言うて。──ほんで、ガルドはんに、毎日、追い返されとりました」

「追い返してねえよ」

ガルドが呻いた。

「毎日毎日、茶ぁ飲んで帰ってくだけだろうが」

「情報収集ですがな」

ケイルは、悪びれもせずに、狐目を細めた。

そして、俺を、見た。

「レイジはん。──先に、一つ、言うときますわ」

「はい」

「わし、あんたの正体、当てました」

「正体?」

「この、クランの仕組みを作ったんが、あんたやと」

彼は、帳面を、指で叩いた。

「銭の流れを、見ましてね。──一割五分、使途公開、遺族補償の積立。これは、商いやない。制度ですわ」

俺は、その言葉に、少しだけ、意識を、引き締めた。

この男。

「使途を公開したら、利ざやが取れんようになる。せやから、誰も帳簿は見せへん。──なのに、あんたらは、公開してる。銭を捨てて、信用を買うてはる」

ケイルは、狐目を、光らせた。

「これ、六年間、金策に追われとった元搾取パーティーのリーダーが、思いつく仕組みですか?」

「……」

「そんで、この仕組み作った人間は──銭勘定ができて、人の心が読めて、しかも、自分の名前が残るんを、嫌うてる」

「…………」

「代表の名前は、ガルドはん。せやけど、この仕組みの説明、あの人、一言もしてくれまへんかった。──おらんのでしょう、いう話ですわ」

俺は、ゆっくりと、息を吐いた。


支部長ジグムントが、二ヶ月かけて掴めなかったこと。

この男は、帳簿を見ただけで、当てた。


「……なるほど」


俺は、頷いた。

「あなたは、優秀ですね」

「そら、どうも」

「それで。──何を、売りたいんですか」

「逆ですわ」


ケイルは、即答した。


「買いたいんです」

「何を」

「あんたらが、精霊の地から持って帰ってくる、全部」


俺の、思考が、止まった。


「……精霊銀は、伯爵家に納めるものです」

「そら、知ってます。あれには、手ぇ出しまへん」

ケイルは、手を振った。

「わしが欲しいんは、それ以外ですわ」

「それ以外?」

「誰も入ったことのない土地に行くんです。精霊銀だけ持って帰ってくる、いうことは、ないでしょう」

彼は、身を乗り出した。

「見たことない草。見たことない鉱石。見たことない魔物の素材。──そういうもんが、必ず、出ます」

俺は、ケイルの顔を、見た。

薄く笑っている。ずっと、笑っている。

だが──目の奥は、まったく、笑っていなかった。

「値段も分からないものを、買うと?」

「分からんもんほど!面白い!!」


ケイルは、即答した。


「前例がない、いうことは──誰も、値段をつけてない、いうことですやろ?」


一瞬にして広間の空気が、静かに、変わった。


「この街の商いは、もう、割り振りが決まってますねん。穀物はどこ、布はどこ、鉄はどこ。全部、古い商会が握ってる。冒険者が持ち込む素材も、三軒の商会が談合して、値ぇ決めて、買い叩く」


トントントン…と彼は、帳面を、指で叩いた。


「三軒は、値段の決まったもんしか扱いまへん。相場があるから、談合できる。談合できるから、儲かる。──せやから、あいつらは、値段のないもんには、手を出さへん。怖いんですわ。いくらで売れるか分からんもんは」

ケイルの狐目が、光った。

「わしは、逆をやります。──値段は、わしが作る」


俺は、しばらく、この男を、見ていた。

そして、静かに、笑った。

「……なるほど。あなた、俺と同類ですね」


ケイルの、眉が、動いた。


「同類?」

「ええ」


俺は、腰の腕輪を、外して、テーブルに置いた。

くすんだ銀の、古い腕輪。

「これ、いくらだと思いますか」

ケイルは、それを、手に取った。

しげしげと眺めて、指で、軽く撫でる。魔力を通したのだろう、腕輪の内側に、淡い紋様が、浮かんで、消えた。


「……感覚強化の付与品ですな。暗視でっか。持続、一刻ほど」

「値段は」

「銅貨十枚が、ええとこですわ」


彼は、即答した。


「ステータス、上がりまへんやろ。しかも発動したら、強化枠を食う。僧侶の祝福が乗らんようになる。

──実戦で使うたら、死にますわ。誰も買いまへん」


「その通りです」

俺は、頷いた。

「これは、この世界で、最も無価値な部類の道具です。──俺が、報酬の代わりに、押し付けられたものです」


ケイルの、動きが、止まった。

「……押し付けられた?」

「ええ。銅貨六十枚の取り分の代わりに、こんなガラクタを三つ」


俺は、腕輪を、指差した。

「そして俺は、それに加えて、倉庫に眠っていた二十三点のガラクタも、全部、引き取りました。書面付きで」

「なんでまた、そんな──」

ケイルの言葉が、途中で、止まった。

彼の狐目が、細くなり、そして、見開かれた。

「……待ってください」

彼は、腕輪を、握りしめた。

「あんた、さっき言うてはりましたな。精霊の地の攻略に、この付与品を使うた、て」

「ええ」

「魔物が、魔力に反応する。せやから、消費の極小な感覚強化の付与品しか、使えん。──そして、感覚強化は、誰も欲しがらんから、二束三文や」

ケイルの声が、掠れていた。

「──つまり、あの森は」

「誰も欲しがらないガラクタを、大量に持っている人間にしか、攻略できません」

俺は、静かに、答えた。

「そして、この世界で、そんな人間は、たぶん、俺だけです」


ケイルは、しばらく、腕輪を、見つめていた。

そして。

「……はは」

彼は、笑い出した。

「あかん。あかんわ、これ」

彼は、腕輪を、テーブルに、そっと戻した。

その手が、少しだけ、震えていた。

「レイジはん。──わし、あんたのこと、まだ分かってへんかったわ」

「何がです」

「あんた、誰も欲しがらんもんを、安く買うてはる」

ケイルは、狐目を、細めた。

「わしは、誰も値段をつけてへんもんに、値段をつける。──同じ、コインの裏表ですわ」

「そうかもしれません」

「せやけど、あんたの方が、性質が悪い」

彼は、笑った。

「わしは、値段のないもんを、売れるようにするだけです。せやけど、あんたは──価値のないもんを、価値に変えてはる」

ケイルは、身を乗り出した。

「銅貨十枚の腕輪が、伯爵家の依頼を、達成する。──そんな錬金術、どこの商人が、真似できます?」


「──で。取引の話ですが」

俺は、話を、戻した。

「精霊の地から持ち帰ったもの、全部買う。それは、いい。値段は、どうやって決めます」

「言うたでしょ。わしが作ります」

「では、こちらは、いくらで売ればいいか、分からない」

俺は、静かに、続けた。

「あなたが『銀貨三枚』と言えば、俺たちは、それを信じるしかない。──三軒の商会が、冒険者にやってきたことと、同じです」

ケイルの、笑みが、止まった。

広間の空気が、張り詰めた。

ニックが、息を呑む音がした。

そして。

「──ええ質問ですわ」

ケイルは、狐目を、細めた。

その目に、初めて、はっきりとした熱が、灯った。

「ほな、こうしましょ」

彼は、帳面を、開いた。

「帳簿を、公開します」

俺は、目を、細めた。

「わしが、あんたらから買うた素材を、どこに、いくらで売ったか。全部、書いて、見せます」

ケイルは、頁を、めくった。

「それで、あんたらは、わしの利ざやが、丸見えになる。『そんなに抜いとるんか』言うて、値上げを要求できる。──わし、めちゃくちゃ不利ですわ」

「なぜ、そこまで」

「あんたらの真似ですがな」

彼は、あっさりと言った。

「一割五分、使途公開、脱退自由。──銭を捨てて、信用を買う。そんで、あんたらは、それで、伯爵家の依頼を、取った」

ケイルは、帳面を、閉じた。

「わしは、商人ですわ。儲かるやり方は、真似します」

広間が、静まり返った。

そして。

「……はは」

ニックが、笑い出した。

「なんだこいつ。……レイジ、こいつ、お前と同じ穴の狢だぞ」

「ええ」

俺も、笑っていた。

「そのようです」


「──ただし、条件が一つ」

ケイルが、指を、立てた。

「わし、金がありまへん」

「え?」

「半年、赤字ですねん。丁稚二人に給金払うだけで、精一杯や」

彼は、しれっと、言った。

「せやから、買い取りの銭、今すぐには、用意でけへん。──売れてから、払います」

ガルドが、呻いた。

「おい。それ、ただの後払いじゃねえか。売れなかったら、どうすんだ」

「そら、わしが被ります」

ケイルは、即答した。

「売れんかったら、わしの丸損ですわ。あんたらには、迷惑かけまへん。──契約書に、そう書きます」

「……ずいぶん、こっちに有利ですね」

俺の言葉に、ケイルは、笑った。

「そら、そうですわ。わしには、それしか差し出すもんがない」

彼は、狐目を、細めた。

「金もない。信用もない。看板もない。三軒の商会にも、支部長のおっちゃんにも、相手にされてへん。──輪の外ですねん」

その言葉に。

俺は、この男の、正体を、掴んだ。

失うものが、ない。

──支部長のランクを人質に取られて、それでも「もう要らねえ」と諦めて、うちに流れてきた連中と。

まったく、同じだ。

「……なるほど」

俺は、静かに、頷いた。

「だから、うちに来たんですか」

「そら、そうですわ」

ケイルは、あっさりと言った。

「輪の中におる連中は、輪の外の商売なんぞ、せえへん。──あんたらだけですわ。誰も欲しがらんもんに、手ぇ出すんは」


俺は、この男を、じっと見た。

胡散臭い。口が回りすぎる。狐みたいに笑って、こちらの弱みを、平気で突いてくる。

普通なら、信用しない。

だが。

「──ケイルさん」

「はい」

「あなた、契約書は、書けますか」

「そら、書けますわ」

彼は、即答した。

そして、初めて、笑みを消した。

「レイジはん。一つ、言うときますけどな」

彼の目が、真剣だった。

「わし、口は、ようさん回ります。嘘も、つきます。値切りもします。──せやけど」

彼は、帳面を、握りしめた。

「契約は、破りまへん」

「……」

「商人が、信用失うたら、それで終いですわ。銭は、また稼げる。信用は、二度と戻らん」

ケイルは、静かに、言った。

「わしが、この街で、六ヶ月、赤字で耐えとるんも、それですねん。──一回でも、汚い手ぇ使うたら、輪の外どころか、この世界から、はじき出される」

俺は、その言葉を、聞いていた。

そして、頷いた。

「──分かりました」

俺は、手を、差し出した。

「取引しましょう。盤上の灯が、精霊の地から持ち帰るもの。精霊銀を除く、全部。あなたが、買い取ってください」

ケイルの、狐目が、大きく、見開かれた。

「……ええんですか。わし、金もない、実績もない、しがない商人ですよ」

「知ってます」

俺は、答えた。

「だから、安く買えるでしょう」

ケイルは、しばらく、俺の手を、見ていた。

そして。

「──ははっ!!」

彼は、腹を抱えて、笑い出した。

「あかん! ほんまに、あかんわ、あんた!」

彼は、目尻を拭って、その手を、力強く、握った。

「よろしゅう、頼んます。レイジはん」


「──さて」

ケイルが帰った後。

俺は、テーブルに、記録を広げた。

「作戦を、立てます」

広間には、五人と、バッセさんが残っていた。

「残り、二十日。移動に往復六日。採掘に二日。──使えるのは、あと十二日です」

俺は、記録に、指を置いた。

「そして、一度失敗すれば、往復六日が消える。二度失敗すれば、予備は尽きる。──三度目は、ありません」

「一発で決める、ってことか」ガルドが呻いた。

「ええ」

俺は、頷いた。

そして、記録の頁を、めくった。

そこには、俺が、帰り道の三日間で、頭の中で組み上げた盤面が、書き込まれていた。

「編成は、三班に分けます」


「囮班。三人」

俺は、記録を、指した。

「二十三点のガラクタを、鉱脈から南へ四百歩の地点に運んで、一斉に発動させる。そして、その場から、全力で離脱する」

「発動させたら、魔物が来るんだろ?」ニックが眉をひそめた。

「離脱、間に合うのか」

「間に合わせます」


俺は、答えた。


「発動の合図を、遅らせる。付与品には、魔力を『溜めて』おいて、時間差で発動させる。──設置班は、発動の前に、四百歩、離れられる」

「そんなことできんのか」

「できます。俺が、十日かけて、試しました」

俺は、腕輪を、指で撫でた。


「感覚強化の付与品は、消費が極小です。だから、魔力を薄く、長く流せば──ゆっくり、溜まる。溜まりきった瞬間に、発動する。俺の魔力でも、二十三点、順番に仕込めます」


広間が、静まり返った。

「……お前、それ」

ガルドが、掠れた声で言った。

「二年間、そのガラクタで、遊んでたのか」

「検証していました」

「同じことだろ!」


「採掘班。五人」

俺は、続けた。

「山岳の三人組を、中核に。彼らは、岩場に強い。足場の確保と、掘削を任せます」

俺は、名簿を、めくった。

「加えて、荷運びに二人。精霊銀は、重い。掘って終わりじゃない。運び出すまでが、仕事です」

「魔力の道具は」

「使います。使わなければ、掘れない。──だから、囮が要る」

俺は、記録に、線を引いた。

「囮の発動と、採掘の開始を、同期させます。魔物が南へ向かった、その瞬間に、掘り始める。時間は、半日」

「護衛班。三人」

俺は、最後の頁を、めくった。

「万一、魔物が戻ってきた時のための、足止め。──そして、退路の確保」


俺は、川の位置を、指した。


「この川が、命綱です。水は、魔力の光を、遮る。追われたら、川に飛び込めば、追跡は切れる」

「元漁師の斥候を、入れます。彼なら、水音を読める」


俺は、名簿を、閉じた。

「──以上、十一人」


「……レイジ」

セシリアが、静かに、聞いた。

「私たちは、どうするのですか」

俺は、答えた。

「セシリアさんは、同行してください。回復役が、要ります」

「はい」

「ニックは、囮班の指揮を」

「おう」

「ガルドさんは──」


俺は、この男を、見た。

「留守番です」

「……は?」

ガルドの、動きが、止まった。

「おい、待て。俺は、前衛だぞ。一番、戦えるんだぞ」

「だから、です」

俺は、静かに、答えた。

「あの森は、強い者から、死にます。あなたの総合は、百七十。──あの森で、最も明るく光る、人間の一人だ」

「……」

「それに、あなたは、代表です。留守を守る人間が、要ります」

ガルドは、しばらく、俺を、睨んでいた。

そして。


「……くそ」


彼は、椅子の背に、身体を預けた。

「分かったよ。理屈が、通ってやがる」


そして。

「──フィオナさん」

俺は、最後に、彼女を、見た。

紫の目が、まっすぐに、俺を、見返していた。

俺は、頭の中で、もう一度、盤面を、確認した。

魔物が魔力に反応するなら。

彼女の魔力は──この森で、最も、危険で、最も、強力な囮になる。

八十人の中で、最も明るく光る、魔力の塊。三体の魔物を、確実に、引きつけられる。二十三点のガラクタより、遥かに、確実に。

そして、彼女なら、追われても、逃げ切れる。氷で足止めしながら、川まで走れば。

──それが、最善手だ。

盤面の上では。


「……あなたは」


俺は、口を開いた。

そして。


「留守番です」

「──は?」


フィオナの、眉が、跳ね上がった。

「なぜですか」

「あなたの魔力は、この街で、最高値です。──あの森で、最も明るく光る」

「だからこそ、囮になれるのでは?」

「……」

俺は、言葉に、詰まった。

こいつは。

──いつも、こうだ。

計算の合わないところを、正確に、突いてくる。

「私の魔力なら、二十三点のガラクタより、確実に、魔物を引きつけられます。氷で足止めしながら、川まで走れば、逃げ切れる。──合理的です」

「……危険です」

「危険なのは、全員です」


フィオナは、一歩、前に出た。


「レイジさん。あなたは、いつも、盤面で、最善手を指してきました。ワイバーンの時も、坑道の時も。──なぜ、今回だけ、指さないんですか」

広間が、静まり返った。

俺は、答えられなかった。

──なぜだ。

八十人の駒を、頭の中で、平然と並べ替えている。誰を、どこに置けば、勝てるか。それを、俺は、計算できる。

なのに。

この一手だけが、指せない。

「……レイジさん」

フィオナの声が、少しだけ、柔らかくなった。

「私は、この十日で、分かりました。あなたが、私に、撃たせてくれていたことを」

「……」

「だから、今度は──私が、あなたの盤面の、駒になりたい」

紫の目が、まっすぐに、俺を、見ていた。

「使ってください。私を」


俺は、長い間、答えられなかった。

盤面が、頭の中で、回っている。

フィオナを囮にすれば、成功率は、上がる。二十三点のガラクタは、確実に光るが、動かない。だが、彼女なら、動きながら、引きつけ続けられる。魔物を、より遠くへ、より長く、誘導できる。

採掘の時間が、伸びる。

成功率が、上がる。

──それが、最善手だ。

分かっている。

分かっているのに。


「……レイジ」


ガルドの声が、した。

「お前、顔、真っ青だぞ」

俺は、自分の頬に、手をやった。

──また、か。

表情が、出ていたのか。

「……少し、考えさせてください」

俺は、そう答えるのが、精一杯だった。

フィオナが、何か、言いかけた。

だが、彼女は、それを、飲み込んだ。

そして、静かに、頷いた。

「……はい」


その夜。

俺は、二階の執務室で、一人、記録を、睨んでいた。

盤面は、既に、組み上がっている。

十一人の編成。囮の配置。誘導経路。採掘の手順。退路。

完璧だ。

──いや。

一つだけ、穴がある。

囮の「二十三点のガラクタ」は、動かない。一箇所で光り続けるだけだ。魔物は、そこへ向かう。だが、そこに何もないと分かれば──戻ってくる。

戻ってくるまでの時間は、およそ、二刻。

採掘に必要な時間は、半日。

「……足りない」

俺は、ペンを、置いた。

足りないのだ。

囮が、静止しているから。

だから、動く囮が、要る。魔物を、引きつけ続け、走り回り、注意を逸らし続ける、生きた囮が。

そして、それができるのは。

「──フィオナさんしか、いない」

俺は、頭を、抱えた。

分かっている。

最初から、分かっていた。

俺は、この盤面の答えを、帰り道の三日間で、とっくに、出していた。

出していて──指さずに、いた。

「……なぜだ」

俺は、自分の胸に、手を当てた。

心拍が、速い。

祝福も、付与品も、切っている。

これは、何の数字だ。

──夕暮れの、あの日。


「あなたのことを、もっと知りたいと思っています。……これは、戦術的な興味です」


つんと顎を上げた、あの顔。夕陽に染まった、頬。

あの時も、俺は、同じことを、思った。

読み出せない、と。


いや。


読み出した答えが、俺自身の心拍を、乱すのだと。


「……盤面に、感情は、要らない」


俺は、そう呟いた。

自分に、言い聞かせるように。

だが、その言葉は。

執務室の、静けさの中に、力なく、落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。