第24話 値(ねだん)のつかないもの
「──あんたと、商売がしたい」
狐目の商人は、そう言った。
俺は、この男を、初めて見る。
だが、この男は、俺の顔を見た瞬間に、俺を、言い当てた。
「……レイジです」
俺は、椅子を、勧めた。
「ガルドさんから、話は聞いていません。──俺が留守の間に、何が?」
「毎日、来とったんですわ」
ケイルは、あっさり座って、帳面を、テーブルに置いた。
「あんたが帰ってくるまで、待つ言うて。──ほんで、ガルドはんに、毎日、追い返されとりました」
「追い返してねえよ」
ガルドが呻いた。
「毎日毎日、茶ぁ飲んで帰ってくだけだろうが」
「情報収集ですがな」
ケイルは、悪びれもせずに、狐目を細めた。
そして、俺を、見た。
「レイジはん。──先に、一つ、言うときますわ」
「はい」
「わし、あんたの正体、当てました」
「正体?」
「この、クランの仕組みを作ったんが、あんたやと」
彼は、帳面を、指で叩いた。
「銭の流れを、見ましてね。──一割五分、使途公開、遺族補償の積立。これは、商いやない。制度ですわ」
俺は、その言葉に、少しだけ、意識を、引き締めた。
この男。
「使途を公開したら、利ざやが取れんようになる。せやから、誰も帳簿は見せへん。──なのに、あんたらは、公開してる。銭を捨てて、信用を買うてはる」
ケイルは、狐目を、光らせた。
「これ、六年間、金策に追われとった元搾取パーティーのリーダーが、思いつく仕組みですか?」
「……」
「そんで、この仕組み作った人間は──銭勘定ができて、人の心が読めて、しかも、自分の名前が残るんを、嫌うてる」
「…………」
「代表の名前は、ガルドはん。せやけど、この仕組みの説明、あの人、一言もしてくれまへんかった。──おらんのでしょう、いう話ですわ」
俺は、ゆっくりと、息を吐いた。
支部長ジグムントが、二ヶ月かけて掴めなかったこと。
この男は、帳簿を見ただけで、当てた。
「……なるほど」
俺は、頷いた。
「あなたは、優秀ですね」
「そら、どうも」
「それで。──何を、売りたいんですか」
「逆ですわ」
ケイルは、即答した。
「買いたいんです」
「何を」
「あんたらが、精霊の地から持って帰ってくる、全部」
俺の、思考が、止まった。
「……精霊銀は、伯爵家に納めるものです」
「そら、知ってます。あれには、手ぇ出しまへん」
ケイルは、手を振った。
「わしが欲しいんは、それ以外ですわ」
「それ以外?」
「誰も入ったことのない土地に行くんです。精霊銀だけ持って帰ってくる、いうことは、ないでしょう」
彼は、身を乗り出した。
「見たことない草。見たことない鉱石。見たことない魔物の素材。──そういうもんが、必ず、出ます」
俺は、ケイルの顔を、見た。
薄く笑っている。ずっと、笑っている。
だが──目の奥は、まったく、笑っていなかった。
「値段も分からないものを、買うと?」
「分からんもんほど!面白い!!」
ケイルは、即答した。
「前例がない、いうことは──誰も、値段をつけてない、いうことですやろ?」
一瞬にして広間の空気が、静かに、変わった。
「この街の商いは、もう、割り振りが決まってますねん。穀物はどこ、布はどこ、鉄はどこ。全部、古い商会が握ってる。冒険者が持ち込む素材も、三軒の商会が談合して、値ぇ決めて、買い叩く」
トントントン…と彼は、帳面を、指で叩いた。
「三軒は、値段の決まったもんしか扱いまへん。相場があるから、談合できる。談合できるから、儲かる。──せやから、あいつらは、値段のないもんには、手を出さへん。怖いんですわ。いくらで売れるか分からんもんは」
ケイルの狐目が、光った。
「わしは、逆をやります。──値段は、わしが作る」
◇
俺は、しばらく、この男を、見ていた。
そして、静かに、笑った。
「……なるほど。あなた、俺と同類ですね」
ケイルの、眉が、動いた。
「同類?」
「ええ」
俺は、腰の腕輪を、外して、テーブルに置いた。
くすんだ銀の、古い腕輪。
「これ、いくらだと思いますか」
ケイルは、それを、手に取った。
しげしげと眺めて、指で、軽く撫でる。魔力を通したのだろう、腕輪の内側に、淡い紋様が、浮かんで、消えた。
「……感覚強化の付与品ですな。暗視でっか。持続、一刻ほど」
「値段は」
「銅貨十枚が、ええとこですわ」
彼は、即答した。
「ステータス、上がりまへんやろ。しかも発動したら、強化枠を食う。僧侶の祝福が乗らんようになる。
──実戦で使うたら、死にますわ。誰も買いまへん」
「その通りです」
俺は、頷いた。
「これは、この世界で、最も無価値な部類の道具です。──俺が、報酬の代わりに、押し付けられたものです」
ケイルの、動きが、止まった。
「……押し付けられた?」
「ええ。銅貨六十枚の取り分の代わりに、こんなガラクタを三つ」
俺は、腕輪を、指差した。
「そして俺は、それに加えて、倉庫に眠っていた二十三点のガラクタも、全部、引き取りました。書面付きで」
「なんでまた、そんな──」
ケイルの言葉が、途中で、止まった。
彼の狐目が、細くなり、そして、見開かれた。
「……待ってください」
彼は、腕輪を、握りしめた。
「あんた、さっき言うてはりましたな。精霊の地の攻略に、この付与品を使うた、て」
「ええ」
「魔物が、魔力に反応する。せやから、消費の極小な感覚強化の付与品しか、使えん。──そして、感覚強化は、誰も欲しがらんから、二束三文や」
ケイルの声が、掠れていた。
「──つまり、あの森は」
「誰も欲しがらないガラクタを、大量に持っている人間にしか、攻略できません」
俺は、静かに、答えた。
「そして、この世界で、そんな人間は、たぶん、俺だけです」
◇
ケイルは、しばらく、腕輪を、見つめていた。
そして。
「……はは」
彼は、笑い出した。
「あかん。あかんわ、これ」
彼は、腕輪を、テーブルに、そっと戻した。
その手が、少しだけ、震えていた。
「レイジはん。──わし、あんたのこと、まだ分かってへんかったわ」
「何がです」
「あんた、誰も欲しがらんもんを、安く買うてはる」
ケイルは、狐目を、細めた。
「わしは、誰も値段をつけてへんもんに、値段をつける。──同じ、コインの裏表ですわ」
「そうかもしれません」
「せやけど、あんたの方が、性質が悪い」
彼は、笑った。
「わしは、値段のないもんを、売れるようにするだけです。せやけど、あんたは──価値のないもんを、価値に変えてはる」
ケイルは、身を乗り出した。
「銅貨十枚の腕輪が、伯爵家の依頼を、達成する。──そんな錬金術、どこの商人が、真似できます?」
◇
「──で。取引の話ですが」
俺は、話を、戻した。
「精霊の地から持ち帰ったもの、全部買う。それは、いい。値段は、どうやって決めます」
「言うたでしょ。わしが作ります」
「では、こちらは、いくらで売ればいいか、分からない」
俺は、静かに、続けた。
「あなたが『銀貨三枚』と言えば、俺たちは、それを信じるしかない。──三軒の商会が、冒険者にやってきたことと、同じです」
ケイルの、笑みが、止まった。
広間の空気が、張り詰めた。
ニックが、息を呑む音がした。
そして。
「──ええ質問ですわ」
ケイルは、狐目を、細めた。
その目に、初めて、はっきりとした熱が、灯った。
「ほな、こうしましょ」
彼は、帳面を、開いた。
「帳簿を、公開します」
俺は、目を、細めた。
「わしが、あんたらから買うた素材を、どこに、いくらで売ったか。全部、書いて、見せます」
ケイルは、頁を、めくった。
「それで、あんたらは、わしの利ざやが、丸見えになる。『そんなに抜いとるんか』言うて、値上げを要求できる。──わし、めちゃくちゃ不利ですわ」
「なぜ、そこまで」
「あんたらの真似ですがな」
彼は、あっさりと言った。
「一割五分、使途公開、脱退自由。──銭を捨てて、信用を買う。そんで、あんたらは、それで、伯爵家の依頼を、取った」
ケイルは、帳面を、閉じた。
「わしは、商人ですわ。儲かるやり方は、真似します」
広間が、静まり返った。
そして。
「……はは」
ニックが、笑い出した。
「なんだこいつ。……レイジ、こいつ、お前と同じ穴の狢だぞ」
「ええ」
俺も、笑っていた。
「そのようです」
◇
「──ただし、条件が一つ」
ケイルが、指を、立てた。
「わし、金がありまへん」
「え?」
「半年、赤字ですねん。丁稚二人に給金払うだけで、精一杯や」
彼は、しれっと、言った。
「せやから、買い取りの銭、今すぐには、用意でけへん。──売れてから、払います」
ガルドが、呻いた。
「おい。それ、ただの後払いじゃねえか。売れなかったら、どうすんだ」
「そら、わしが被ります」
ケイルは、即答した。
「売れんかったら、わしの丸損ですわ。あんたらには、迷惑かけまへん。──契約書に、そう書きます」
「……ずいぶん、こっちに有利ですね」
俺の言葉に、ケイルは、笑った。
「そら、そうですわ。わしには、それしか差し出すもんがない」
彼は、狐目を、細めた。
「金もない。信用もない。看板もない。三軒の商会にも、支部長のおっちゃんにも、相手にされてへん。──輪の外ですねん」
その言葉に。
俺は、この男の、正体を、掴んだ。
失うものが、ない。
──支部長のランクを人質に取られて、それでも「もう要らねえ」と諦めて、うちに流れてきた連中と。
まったく、同じだ。
「……なるほど」
俺は、静かに、頷いた。
「だから、うちに来たんですか」
「そら、そうですわ」
ケイルは、あっさりと言った。
「輪の中におる連中は、輪の外の商売なんぞ、せえへん。──あんたらだけですわ。誰も欲しがらんもんに、手ぇ出すんは」
◇
俺は、この男を、じっと見た。
胡散臭い。口が回りすぎる。狐みたいに笑って、こちらの弱みを、平気で突いてくる。
普通なら、信用しない。
だが。
「──ケイルさん」
「はい」
「あなた、契約書は、書けますか」
「そら、書けますわ」
彼は、即答した。
そして、初めて、笑みを消した。
「レイジはん。一つ、言うときますけどな」
彼の目が、真剣だった。
「わし、口は、ようさん回ります。嘘も、つきます。値切りもします。──せやけど」
彼は、帳面を、握りしめた。
「契約は、破りまへん」
「……」
「商人が、信用失うたら、それで終いですわ。銭は、また稼げる。信用は、二度と戻らん」
ケイルは、静かに、言った。
「わしが、この街で、六ヶ月、赤字で耐えとるんも、それですねん。──一回でも、汚い手ぇ使うたら、輪の外どころか、この世界から、はじき出される」
俺は、その言葉を、聞いていた。
そして、頷いた。
「──分かりました」
俺は、手を、差し出した。
「取引しましょう。盤上の灯が、精霊の地から持ち帰るもの。精霊銀を除く、全部。あなたが、買い取ってください」
ケイルの、狐目が、大きく、見開かれた。
「……ええんですか。わし、金もない、実績もない、しがない商人ですよ」
「知ってます」
俺は、答えた。
「だから、安く買えるでしょう」
ケイルは、しばらく、俺の手を、見ていた。
そして。
「──ははっ!!」
彼は、腹を抱えて、笑い出した。
「あかん! ほんまに、あかんわ、あんた!」
彼は、目尻を拭って、その手を、力強く、握った。
「よろしゅう、頼んます。レイジはん」
◇
「──さて」
ケイルが帰った後。
俺は、テーブルに、記録を広げた。
「作戦を、立てます」
広間には、五人と、バッセさんが残っていた。
「残り、二十日。移動に往復六日。採掘に二日。──使えるのは、あと十二日です」
俺は、記録に、指を置いた。
「そして、一度失敗すれば、往復六日が消える。二度失敗すれば、予備は尽きる。──三度目は、ありません」
「一発で決める、ってことか」ガルドが呻いた。
「ええ」
俺は、頷いた。
そして、記録の頁を、めくった。
そこには、俺が、帰り道の三日間で、頭の中で組み上げた盤面が、書き込まれていた。
「編成は、三班に分けます」
◇
「囮班。三人」
俺は、記録を、指した。
「二十三点のガラクタを、鉱脈から南へ四百歩の地点に運んで、一斉に発動させる。そして、その場から、全力で離脱する」
「発動させたら、魔物が来るんだろ?」ニックが眉をひそめた。
「離脱、間に合うのか」
「間に合わせます」
俺は、答えた。
「発動の合図を、遅らせる。付与品には、魔力を『溜めて』おいて、時間差で発動させる。──設置班は、発動の前に、四百歩、離れられる」
「そんなことできんのか」
「できます。俺が、十日かけて、試しました」
俺は、腕輪を、指で撫でた。
「感覚強化の付与品は、消費が極小です。だから、魔力を薄く、長く流せば──ゆっくり、溜まる。溜まりきった瞬間に、発動する。俺の魔力でも、二十三点、順番に仕込めます」
広間が、静まり返った。
「……お前、それ」
ガルドが、掠れた声で言った。
「二年間、そのガラクタで、遊んでたのか」
「検証していました」
「同じことだろ!」
◇
「採掘班。五人」
俺は、続けた。
「山岳の三人組を、中核に。彼らは、岩場に強い。足場の確保と、掘削を任せます」
俺は、名簿を、めくった。
「加えて、荷運びに二人。精霊銀は、重い。掘って終わりじゃない。運び出すまでが、仕事です」
「魔力の道具は」
「使います。使わなければ、掘れない。──だから、囮が要る」
俺は、記録に、線を引いた。
「囮の発動と、採掘の開始を、同期させます。魔物が南へ向かった、その瞬間に、掘り始める。時間は、半日」
◇
「護衛班。三人」
俺は、最後の頁を、めくった。
「万一、魔物が戻ってきた時のための、足止め。──そして、退路の確保」
俺は、川の位置を、指した。
「この川が、命綱です。水は、魔力の光を、遮る。追われたら、川に飛び込めば、追跡は切れる」
「元漁師の斥候を、入れます。彼なら、水音を読める」
俺は、名簿を、閉じた。
「──以上、十一人」
◇
「……レイジ」
セシリアが、静かに、聞いた。
「私たちは、どうするのですか」
俺は、答えた。
「セシリアさんは、同行してください。回復役が、要ります」
「はい」
「ニックは、囮班の指揮を」
「おう」
「ガルドさんは──」
俺は、この男を、見た。
「留守番です」
「……は?」
ガルドの、動きが、止まった。
「おい、待て。俺は、前衛だぞ。一番、戦えるんだぞ」
「だから、です」
俺は、静かに、答えた。
「あの森は、強い者から、死にます。あなたの総合は、百七十。──あの森で、最も明るく光る、人間の一人だ」
「……」
「それに、あなたは、代表です。留守を守る人間が、要ります」
ガルドは、しばらく、俺を、睨んでいた。
そして。
「……くそ」
彼は、椅子の背に、身体を預けた。
「分かったよ。理屈が、通ってやがる」
◇
そして。
「──フィオナさん」
俺は、最後に、彼女を、見た。
紫の目が、まっすぐに、俺を、見返していた。
俺は、頭の中で、もう一度、盤面を、確認した。
魔物が魔力に反応するなら。
彼女の魔力は──この森で、最も、危険で、最も、強力な囮になる。
八十人の中で、最も明るく光る、魔力の塊。三体の魔物を、確実に、引きつけられる。二十三点のガラクタより、遥かに、確実に。
そして、彼女なら、追われても、逃げ切れる。氷で足止めしながら、川まで走れば。
──それが、最善手だ。
盤面の上では。
「……あなたは」
俺は、口を開いた。
そして。
「留守番です」
「──は?」
フィオナの、眉が、跳ね上がった。
「なぜですか」
「あなたの魔力は、この街で、最高値です。──あの森で、最も明るく光る」
「だからこそ、囮になれるのでは?」
「……」
俺は、言葉に、詰まった。
こいつは。
──いつも、こうだ。
計算の合わないところを、正確に、突いてくる。
「私の魔力なら、二十三点のガラクタより、確実に、魔物を引きつけられます。氷で足止めしながら、川まで走れば、逃げ切れる。──合理的です」
「……危険です」
「危険なのは、全員です」
フィオナは、一歩、前に出た。
「レイジさん。あなたは、いつも、盤面で、最善手を指してきました。ワイバーンの時も、坑道の時も。──なぜ、今回だけ、指さないんですか」
広間が、静まり返った。
俺は、答えられなかった。
──なぜだ。
八十人の駒を、頭の中で、平然と並べ替えている。誰を、どこに置けば、勝てるか。それを、俺は、計算できる。
なのに。
この一手だけが、指せない。
「……レイジさん」
フィオナの声が、少しだけ、柔らかくなった。
「私は、この十日で、分かりました。あなたが、私に、撃たせてくれていたことを」
「……」
「だから、今度は──私が、あなたの盤面の、駒になりたい」
紫の目が、まっすぐに、俺を、見ていた。
「使ってください。私を」
◇
俺は、長い間、答えられなかった。
盤面が、頭の中で、回っている。
フィオナを囮にすれば、成功率は、上がる。二十三点のガラクタは、確実に光るが、動かない。だが、彼女なら、動きながら、引きつけ続けられる。魔物を、より遠くへ、より長く、誘導できる。
採掘の時間が、伸びる。
成功率が、上がる。
──それが、最善手だ。
分かっている。
分かっているのに。
「……レイジ」
ガルドの声が、した。
「お前、顔、真っ青だぞ」
俺は、自分の頬に、手をやった。
──また、か。
表情が、出ていたのか。
「……少し、考えさせてください」
俺は、そう答えるのが、精一杯だった。
フィオナが、何か、言いかけた。
だが、彼女は、それを、飲み込んだ。
そして、静かに、頷いた。
「……はい」
◇
その夜。
俺は、二階の執務室で、一人、記録を、睨んでいた。
盤面は、既に、組み上がっている。
十一人の編成。囮の配置。誘導経路。採掘の手順。退路。
完璧だ。
──いや。
一つだけ、穴がある。
囮の「二十三点のガラクタ」は、動かない。一箇所で光り続けるだけだ。魔物は、そこへ向かう。だが、そこに何もないと分かれば──戻ってくる。
戻ってくるまでの時間は、およそ、二刻。
採掘に必要な時間は、半日。
「……足りない」
俺は、ペンを、置いた。
足りないのだ。
囮が、静止しているから。
だから、動く囮が、要る。魔物を、引きつけ続け、走り回り、注意を逸らし続ける、生きた囮が。
そして、それができるのは。
「──フィオナさんしか、いない」
俺は、頭を、抱えた。
分かっている。
最初から、分かっていた。
俺は、この盤面の答えを、帰り道の三日間で、とっくに、出していた。
出していて──指さずに、いた。
「……なぜだ」
俺は、自分の胸に、手を当てた。
心拍が、速い。
祝福も、付与品も、切っている。
これは、何の数字だ。
──夕暮れの、あの日。
「あなたのことを、もっと知りたいと思っています。……これは、戦術的な興味です」
つんと顎を上げた、あの顔。夕陽に染まった、頬。
あの時も、俺は、同じことを、思った。
読み出せない、と。
いや。
読み出した答えが、俺自身の心拍を、乱すのだと。
「……盤面に、感情は、要らない」
俺は、そう呟いた。
自分に、言い聞かせるように。
だが、その言葉は。
執務室の、静けさの中に、力なく、落ちた。




