第21話 値段をつける男
その男が、クランハウスの扉を叩いたのは、レイジが街を出て、四日目の午後だった。
「──ごめんください。ここ、盤上の灯さんで、よろしいでっか?」
ガルドが、書類から顔を上げた。
戸口に立っていたのは、二十代後半の、痩せた男だった。
仕立てはいいが、派手さのない服。手には、擦り切れた帳面。そして──狐みたいに細い目が、薄く笑っている。
「そうだが。あんたは」
「ケイル言います。しがない、商人ですわ」
男は、ひょいと頭を下げた。
「代表の、ガルドはん、でよろしいですか」
「ああ」
「──ほな、話が早い」
ケイルは、断りもなく、広間に入ってきた。
長机の並んだ広間には、依頼の割り振りを待つ冒険者が、十数人。壁一面の掲示板には、難度の一覧。受付では、元支部の職員が、帳簿をつけている。
ケイルの目が、その全部を、一瞬で舐めた。
「ほお」
彼は、感心したように、呟いた。
「これ、もうやってることギルドですやん」
「クランだ」
ガルドが、即答した。
「登録上は、な」
「──ははっ」
ケイルが、声を出して笑った。
「ええですなあ、その返し。ほんで誰の言葉です?」
ガルドの手が、止まった。
◇
「……商談なら、聞くぞ」
ガルドは、書類を脇に押しやって、椅子を勧めた。
「素材を買いたいのか。それとも、護衛の依頼か」
「どっちもですわ」
ケイルは、腰を下ろすと、帳面を開いた。
「わし、この街に来て、半年ですねん。商会作りましてね。──と言うても、丁稚が二人おるだけの、ちっぽけなもんですけど」
「半年で商会を?」
「作るのは、簡単ですわ。銭さえあれば、看板は掛けられる。──問題は、その後や」
彼は、狐目を、さらに細めた。
「この街の商いは、もう、割り振りが決まってますねん。穀物はどこ、布はどこ、鉄はどこ。全部、古い商会が握ってる。新参が入る隙間なんぞ、一寸もない」
「……」
「そんで、冒険者が持ち込む素材。あれも、三軒の商会が仕切ってます。三軒で談合して、値ぇ決めて、買い叩く。──新参が『わしにも売ってくれ』言うても、誰も相手にしまへん。そら、そうです。三軒に睨まれたら、この街で商売でけへんようになりますからな」
ガルドが、眉をひそめた。
「なら、あんたは、何を売って食ってるんだ」
「食えてまへんわ」
ケイルは、あっさりと言った。
「半年、赤字ですねん。丁稚二人に給金払うだけで、精一杯や」
「……それで、うちに何の用だ」
「その、赤字の話ですわ」
ケイルは、帳面を、机に置いた。
「わし、この街の商いに、入り込めまへん。既存の商会が、全部握ってるから。──ほな、どうすればええか」
彼は、指を一本、立てた。
「まだ誰も握ってないもんを、扱えばええ」
◇
ガルドは、この男の目を、じっと見た。
薄く笑っている。ずっと、笑っている。
だが──目の奥は、まったく、笑っていなかった。
「あんたら、精霊銀の依頼、受けはったでしょう」
ガルドの表情が、動いた。
「……なぜ、それを」
「伯爵家の家令が、東地区の外れまで馬車で来たら、そら、目立ちますわ」
ケイルは、肩をすくめた。
「そんで、支部が三度失敗したことも、街の噂です。──精霊の地。誰も入れん土地。あそこに、あんたらが行く」
彼は、身を乗り出した。
「精霊銀は、伯爵家に納めるもんでっしゃろ。あれには、手ぇ出しまへん。──わしが欲しいのは、それ以外ですわ」
「それ以外?」
「誰も入ったことのない土地に行くんです。精霊銀だけ持って帰ってくる、いうことは、ないでしょう」
ケイルの目が、初めて、はっきりと、光った。
「見たことない草。見たことない鉱石。見たことない魔物の素材。──そういうもんが、必ず、出ます」
「……それを、買うと?」
「全部、買います」
「値段も分からんものを?」
「分からんもんほど、面白い」
ケイルは、即答した。
「前例がない、いうことは──誰も、値段をつけてない、いうことですやろ」
広間の空気が、静かに、変わった。
「三軒の商会は、値段の決まったもんしか扱いまへん。相場があるから、談合できる。談合できるから、儲かる。──せやから、あいつらは、値段のないもんには、手を出さへん。怖いんですわ。いくらで売れるか分からんもんは」
彼は、帳面を、指で叩いた。
「わしは、逆をやります。──値段は、わしが作る」
◇
ガルドは、しばらく、黙っていた。
そして、静かに、聞いた。
「……あんた、なんで、そこまでやる。失敗したら、丸損だぞ」
「わし、失うもん、ありまへんもん」
ケイルは、笑った。
「元々、輪の外におるんです。三軒の商会にも、支部長のおっちゃんの顔にも、関係ない。──今さら、締め出されようが、なんも変わらん」
その言葉に。
ガルドの中で、何かが、繋がった。
──失うものが、ない。
だから、諦めた冒険者ほど、うちに流れてきた。
支部長のランクを人質に取られて、それでも、「もう要らねえ」と諦めた連中が。
「……あんた」
ガルドは、掠れた声で言った。
「うちと、同じか」
「そら、そうですわ」
ケイルは、狐目を、細めた。
「だから、来たんです」
◇
「──ほんで、ガルドはん。一つ、聞いてよろしいか」
ケイルは、帳面を、ぺらりと、めくった。
「あんたら、クランの取り分、一割五分でっしゃろ」
「ああ」
「使途も、公開しとる。拠点の維持、記録の整理、斡旋の人手。そんで──遺族補償の、積立」
ガルドの、眉が、動いた。
「……よく、調べてるな」
「そら、調べますわ。商売相手やもん」
ケイルは、帳面の一行を、指で押さえた。
「この仕組み、誰が作りました?」
広間が、しん、と静まった。
ガルドは、答えなかった。
「わし、こう見えて、銭の流れを見るのだけが、取り柄でしてね」
ケイルは、続けた。
「一割五分。これ、支部の手数料と同じ数字ですわ。ようある額です。──せやけど、使途を公開する商売なんぞ、聞いたことない」
彼は、指を、動かした。
「なんでか、分かります? 使途を公開したら、利ざやが取れんようになるからですわ。商いいうんは、右から買うて左に売る、その差で食うもんです。差が見えたら、客は『もっと安うせえ』と言う。──せやから、誰も、帳簿は見せへん」
ケイルの目が、まっすぐに、ガルドを見た。
「なのに、あんたらは、公開してる。しかも、その中に『遺族補償の積立』いう項目まで、堂々と入れとる。──これ、とんでもないことですわ」
「……何が、とんでもない」
「これは、商いやない」
ケイルは、断言した。
「これは、制度ですわ」
◇
ガルドの、喉が、動いた。
「一割五分を、公開する。使途も、公開する。嫌なら抜けてええ、記録も情報もタダで使えと言う。──これ、儲けようとしてまへんやろ。利ざやを、最初から捨ててる」
ケイルは、帳面を閉じた。
「そんで、代わりに何を取ってるか。──信用ですわ」
彼は、広間を見渡した。
依頼の割り振りを待つ、十数人の冒険者。壁の難度一覧。受付の帳簿。
「銭を捨てて、信用を買う。そんで、その信用が、伯爵家の依頼を呼び込んだ。──ガルドはん」
ケイルは、狐目を、細めた。
「これ、六年間、金策に追われとった元搾取パーティーのリーダーが、思いつく仕組みですか?」
ガルドは、答えなかった。
答えられなかった。
「わしは、思いまへん」
ケイルは、静かに言った。
「この仕組み作った人間は──銭勘定ができて、人の心が読めて、しかも、自分の名前が残るんを、嫌うてる」
彼は、帳面を、懐にしまった。
「代表の名前は、ガルドはん。あんたや。──せやけど、あんた、この仕組みの説明、一言もしてまへんな。さっきから、全部、わしが喋ってる。あんたは、聞いとるだけや」
「…………」
「ほな、この仕組みを作った人と、話がしたい思いましてね」
ケイルは、立ち上がった。
「──おらんのでしょう。今」
◇
広間が、静まり返っていた。
冒険者たちが、息を呑んで、二人を見ている。
ガルドは、長い間、この狐目の男を、見上げていた。
そして。
「……はっ」
彼は、短く、笑った。
「参ったな…降参だ。」
ガルドは、椅子の背もたれに、身体を預けた。
「支部長のジグムントが、二ヶ月かけても掴めなかったことを。──あんた、帳簿を見ただけで、当てやがった」
「そら、見るとこが違いますもん」
ケイルは、あっさりと言った。
「あのおっちゃんは、人を見てる。誰が偉い、誰が指示してる、誰が喋ってる。──せやけど、人は嘘をつきますわ。銭は、嘘つきまへん」
彼は、狐目を、細めた。
「銭の流れを見たら、その組織が、何を大事にしとるか、丸見えですわ」
「……」
「ほんで、この帳簿は、こう言うてます」
ケイルは、静かに言った。
「『わしは、儲けたない。仕組みを作りたい』──て」
◇
ガルドは、天井を仰いだ。
そして、ゆっくりと、息を吐いた。
「レイジだ」
「ほう」
「うちの、レイジって男だ。役職はない。ただのクランの一員だ。──だが、あんたの言う通り、全部、あいつが組んだ」
「今、どこに」
「精霊の地だ」
ケイルの、狐目が、初めて、大きく開いた。
「……は?」
「一人で、調査に行ってる。四日前に出た。──帰りは、十日後だ」
「一人で!? あの、帰還者なしの土地に!?」
「ああ」
「戦えるお人ですか」
「いや」
ガルドは、乾いた声で、答えた。
「この街で、一番弱い」
ケイルが、絶句した。
初めて、この男の顔から、笑みが消えた。
「……総合値は」
「九十三」
「九十三!? 一般人より下ですやん!」
「そうだ」
ガルドは、頷いた。
「そんな男が、一人で、帰還者のいない土地に、行った。──『戦えないから、逃げることに専念できる』とか言ってな」
ケイルは、しばらく、口を開けたまま、立ち尽くしていた。
そして。
「…………ははっ」
彼は、笑い出した。
腹を抱えて、心の底から、おかしそうに。
「あかん。あかんわ。──なんですのん、それ」
ケイルは、目尻を拭った。
「この街で一番弱い男が、この街で一番おもろい仕組みを作って、そんで一人で死地に行っとる。──そんな男、おるんですか」
「いるんだよ、これが」
「会いたい」
ケイルは、即答した。
「十日、待ちますわ。──いや、待つだけやのうて」
彼は、狐目を、光らせた。
「その間に、こっちも準備しときますわ。何が出てきてもええように。──買い取りの銭、掻き集めときます」
「値段も分からんものに、金を用意するのか」
「言うたでしょ」
ケイルは、にっと笑った。
「値段は、わしが作る」
◇
その夜。
ケイルが帰った後、ガルドは、一人、広間に残っていた。
長机。掲示板。帳簿。
──銭の流れを見たら、その組織が、何を大事にしとるか、丸見えですわ。
あの狐目の商人は、たった半刻で、レイジの正体を、言い当てた。
支部長が、二ヶ月かけて掴めなかったものを。
「……レイジ」
ガルドは、誰もいない広間で、呟いた。
「お前に、会いたがってる奴が、また一人、増えたぞ」
彼は、少しだけ、笑った。
「──あいつ、お前と、似てるな」
誰も欲しがらないものほど、安く買える。
誰も値段をつけてないものほど、面白い。
同じ言葉の、裏と表だ。
「……ったく」
ガルドは、書類を、机に置いた。
「あの三人、まだ気づいてねえのか」
彼は、天井を見上げた。
フィオナ。セシリア。ニック。
三人とも、この四日間、依頼から帰ってくるたびに、妙な顔をしている。何かを言いかけて、飲み込んで、首を傾げて。
ガルドには、それが、何なのか、分かっていた。
なぜなら。
「……俺は、とっくに、分かってたんだよ」
六年、パーティーの頭をやってきた男には。
あの日、坑道で「十五を数えろ」と言われた瞬間から。
分かって、しまっていたのだ。




