第19話 いざ新ホームへ。
支部長ジグムントは、上機嫌だった。
「──やあ、ガルド殿。ちょうどよかった」
支部の廊下ですれ違いざま、あの男は、わざわざこちらに歩み寄ってきた。柔和な笑みを浮かべ、恰幅のいい身体を揺らして。
「聞きましたよ。お宅のクラン、最近、閑古鳥だとか。……いやはや、残念なことです」
事実、そうだった。
ランク審査の締め上げは、確かに効いた。盤上の灯に出入りしていた冒険者たちの足は、目に見えて遠のいた。理不尽に昇格を跳ねられた者が三人、四人と続けば、噂は勝手に走る。あそこに関わると、出世できない。
物置を改装しただけの粗末な事務所は、この半月、静まり返っていた。
「そこでね、一つ、ご相談が」
ジグムントは、指輪の嵌まった指を、揉み合わせた。
「あの物置、そろそろ、返していただけませんかな。──いや、他意はない。ただ、支部の備品が増えましてな。手狭で困っている。あそこは元々、支部の建物ですから」
追い打ち、だった。
冒険者を引き剥がし、次は、場所そのものを取り上げる。灯に風を送り、消しにかかっている。
俺は、ガルドの後ろで、黙って聞いていた。
肩書きのない、ただのクランの一員として。
「……そうですか」
ガルドが、苦い顔で、頷いた。
「分かりました。──ひと月、猶予をいただけますか。荷物を、まとめる時間が要る」
「ええ、ええ。もちろん」
支部長は、鷹揚に笑った。勝者の余裕だった。
「大した荷物も、ないでしょうが」
◇
「──で、いつ、引っ越すんだ?」
支部を出るなり、ニックが小声で聞いてきた。
「明後日です」
「明後日!? ひと月って言ってたじゃねえか!」
「言いましたね」
俺は、歩きながら、頭の中の段取りを確認していた。
「向こうは、ひと月あると思っている。その間、俺たちが慌てて次の場所を探すと思っている。──猶予をくれたのは、追い詰めるためです。焦って街の外れの掘っ立て小屋にでも移れば、クランの権威は地に落ちる。そう読んでいる」
「じゃあ、明後日って……」
「もう、次の場所は、決まっています」
ニックが、立ち止まった。
「……は?」
◇
その家は、東地区の外れにあった。
二階建ての、しっかりした造りの一軒家。だが、庭は雑草に埋もれ、窓には板が打ち付けられ、扉の錠は錆びついている。誰も住んでいないことが、一目で分かる佇まいだった。
「──十五年、じゃな」
バッセさんが、錆びた鍵を、震える手で回した。
「わしが、この扉を開けるのは」
きしんだ音を立てて、扉が開いた。
埃の匂いが、押し寄せてきた。
「バッセさん、これ……」
「わしの家じゃ」
老斥候は、埃をかぶった玄関を、静かに見回した。
「女房が死んでな。子はおらん。それきり、わしは資料室で寝起きするようになった。……この家に、帰る意味が、なくなったんじゃ」
彼は、奥へと歩いていく。
「一階は、広い。昔、仲間を集めて酒を飲んどった部屋がある。二階は、寝室と、書斎。資料を置くには、ちょうどええ。裏に厩と、小さい倉もある」
「……いいんですか。あなたの、家ですけど…」
「かまわん」
バッセさんは、遮った。
そして、少しだけ、笑った。
「──それにな、レイジ。斥候ってのはな、逃げ道のない家には、住まんのじゃ」
彼は、天井を指した。
「裏口が三つある。屋根に上がれば、東地区が一望できる。塀には抜け穴、床下には隠し倉。全部、わしが作った」
老斥候の目に、一瞬だけ、若い頃の光が戻った。
「支部長に踏み込まれたときにも、役に立つぞ」
◇
引っ越しは、二日後の夜に、静かに行われた。
支部の物置から運び出したのは、机が二つと、椅子が数脚。そして、埃をかぶった綴りが、いくつか。
「──おい、レイジ」
荷車に綴りを積みながら、ニックが眉をひそめた。
「この資料、なんか薄くねえか? 前は、もっと山積みだったろ」
「ええ。それは、ダミーです」
「……ダミー?」
「支部長は、必ず、俺たちが出て行った後の物置を、検めます。何を持ち込んでいたのか、確認するために」
俺は、荷車の綴りを、軽く叩いた。
「これは、十年前の魔物図鑑の写しと、当たり障りのない討伐記録です。──『あのクランは、大した資料も持っていなかった』。そう思わせるための、置き土産です」
ニックが、目を丸くした。
「じゃあ、本物は……」
「とっくに、運び出しました」
俺は、答えた。
「三週間前から、少しずつ。誰にも気づかれないように、毎日、鞄一つぶんずつ」
支部長がランク審査で嫌がらせを始めた、あの日から。
俺は、次の盤面を、既に組み始めていた。過去十五年ぶんの審査記録。難度の表示と、実際の被害の記録。それらの照合結果。全部、写しを取って、少しずつ、バッセさんの家へ。
そして。
「──それに、一番大事なものは、俺たちが運ぶまでもありませんでした」
◇
その夜。
バッセさんの家の、二階の書斎に。
四十年ぶんの記録が、運び込まれていた。
「……全部、わしの私物じゃ」
老斥候は、綴りの山を撫でながら、静かに言った。
「支部の資料室にあった記録の、写しじゃよ。わしが四十年、自分の手で、整理して、複写してきた。──誰も、興味を持たんかったからのう。誰も、わしがそんなものを作っとるとは、思わんかった」
彼は、少しだけ、皮肉に笑った。
「支部長は、資料室のことなど、気にもしとらん。あそこは、埃をかぶった無駄な部屋じゃ。あの男にとってはな。──情報を握っとるのは自分だと、思い込んどる。じゃが」
バッセさんは、四十年ぶんの記録を、見渡した。
「本当に握っとったのは、記録をつけとった、わしじゃ」
俺は、その言葉に、静かに頷いた。
支部長ジグムントは、情報の独占者だと自惚れていた。
だが、あの男が握っていたのは、情報を「出す」権限だけだ。情報そのものを、四十年、この手で積み上げてきたのは、資料室の老人だった。
そして、その老人を、支部長は「無害な老いぼれ」として、放置してきた。
◇
さらに、その夜。
家の一階の広間に、思いがけない客が、集まっていた。
「……あの。僕たち、支部を、辞めてきました」
若い職員が、三人。バッセさんが「腐っとった連中」と呼んだ、内部の良心たち。
その先頭にいるのは、あの夜、記録の照合を手伝ってくれた青年だった。
「辞めた? ……大丈夫なんですか。生活が」
「大丈夫じゃ、ありません」
青年は、苦笑した。
「でも、限界でした。三年、見て見ぬふりをしてきた。難度が偽られて、冒険者が死んでいくのを。……もう、あの建物の中で、息をするのが、苦しい」
彼は、頭を下げた。
「使ってください。僕たちは、事務ならできます。記録の整理も、帳簿も、依頼の受付も。──冒険者としては、何の役にも立ちませんが」
俺は、その三人を見た。
そして、思った。支部長は、たった今、何を失ったのか、まったく分かっていないだろう、と。
四十年の記録と、それを整理してきた老人。
三年、不正を見続けてきた、内側の目。
支部の記憶と、良心が、まるごと、この家に移った。
支部長からすれば、「腐った老いぼれと、使えん若造が数人減った」程度の話だろう。
「──歓迎します」
俺は、頷いた。
「あなたたちがいなければ、この家は、ただの空き家です」
◇
改修が、始まった。
金を出したのは、フィオナ、セシリア、ニックの三人だった。
「私の貯金です。全部、使ってください」
セシリアが、最初に、革袋を置いた。
彼女の手は、少しだけ、震えていた。
「……この六年、私が受け取ってきた報酬は。あの人たちから、抜かれた金の、一部でした」
十四人の、臨時メンバー。
「知っていて、止められずに、受け取っていた金です。使い道が、ずっと、分からなかった。……だから、返します。この家に」
「俺も出す」
ニックが、袋を放り投げた。
「全部、酒に消えてると思ってたけどな。意外と残ってたわ。……後ろめたくて、まともに使えなかったんだよ、この金」
彼は、頭を掻いた。
「新しい服も、いい武器も、買えなかった。買うたびに、俺が勧誘した奴らの顔が、浮かぶんだ。──全部、使ってくれ」
そして、フィオナが。
最も大きな革袋を、無造作に、机に置いた。
「……フィオナさん、これ」
「勘違いしないでください」
彼女は、つんと顔を背けた。
「贖罪のつもりは、ありません。私は、何も知らされていなかったのですから。──これは、設備投資です。私の魔法を活かせる場所が、必要なだけです」
そう言って、彼女は、俺をちらりと見た。
「……それに、私の貯金が、あの人たちの金だったのなら。使い道は、決まっているでしょう」
三人の金で、家は、生まれ変わっていった。
板を打ち付けられた窓が開き、十五年ぶんの埃が払われ、雑草だらけの庭が整えられていく。
作業には、盤上の灯の冒険者たちが、総出で加わった。まだ、数は少なかったが。
一階の広間には、長机が並べられ、壁一面に、大きな掲示板が作られた。
二階の書斎は、資料室に。
寝室は、執務室に。
裏の厩には、荷馬車が入れるようになり、倉には装備が並んだ。
「……ふふ」
作業を見守っていたバッセさんが、ふと、目元を拭った。
「どうしました」
「……いや。この家に、こんなに人がおるのは、十五年ぶりでのう」
老斥候は、若い冒険者たちが笑いながら床を磨く光景を、じっと見ていた。
「女房が生きとった頃はな。よく、こうやって、仲間が集まっとった。……あいつが死んで、誰も来んようになった」
彼は、掠れた声で、笑った。
「わしは、この家を、もう死んだもんだと思っとった。──じゃが、まだ、生きとったらしい」
◇
そして、看板が、掛けられた。
『盤上の灯』
質素な木の板に、そう彫られただけの、看板。
だが、それは、この街で初めて、冒険者ギルド支部の外に掲げられた、冒険者の拠点の名前だった。
「──独自、評価?」
改修が終わって、最初にこの家を訪ねてきた三人の冒険者が、俺の広げた紙を覗き込んだ。
全員、Eランク。支部の審査で、二度も昇格を跳ねられた連中だった。
「支部のランクは、上がらない。──もう、諦めてください」
俺の言葉に、彼らの顔が、強張った。
「な、なんだよそれ。じゃあ、俺たちは、一生Eのままかよ」
「支部のランクは、実力の証明じゃありません。支部長の、匙加減です」
俺は、静かに続けた。
「あなたたちが落とされたのは、実力が足りないからじゃない。ここに出入りしているからだ。──なら、その匙加減に、価値がないことを、証明すればいい」
俺は、紙を指した。
「盤上の灯は、独自に、冒険者を評価します。過去五十年ぶんの記録と、実戦の情報を基準に。この冒険者は、どういう依頼なら、確実にこなせるのか。どういう地形が得意で、どういう魔物に強いのか。──支部のランクみたいな、大雑把な一文字じゃない。もっと細かく、正確に」
「そんなもん……誰が、信じるんだよ」
「依頼主が、信じます」
俺は、断言した。
「依頼主にとって、必要なのは、冒険者のランクじゃない。仕事を確実にこなしてくれるか、それだけだ。支部のランクが高くても、仕事が雑なら、二度と頼まない。逆に、ランクが低くても、確実なら、また頼む」
俺は、彼らを見た。
「あなたたちは、Eランクだ。でも、俺は、あなたたちの記録を全部読みました。──三人とも、山岳地帯での実績が抜群にいい。足場の悪い場所での討伐成功率が、この街のCランク平均を、上回っている」
三人が、目を見開いた。
「……え?」
「気づいていなかったんですか。当然です。支部は、そんな細かい記録、誰にも見せませんから」
俺は、記録を、指でなぞった。
「あなたたちは、山を歩けます。岩場の足の運び、風の読み、崩れやすい足場の見極め。全部、この記録に出ている。──それは、才能じゃない。あなたたちが、二年かけて、身体で覚えたものだ」
広間が、静まり返った。
「支部のランクは、それを、測れません。測る気もない。──だから、俺たちが測ります」
俺は、紙に、彼らの名前を書き込んだ。
『山岳戦・上位評価』
「盤上の灯は、あなたたちを、こう評価します。そして、山岳地帯の依頼が来たら、あなたたちを、真っ先に推薦する。──支部が何と言おうと、俺たちは、あなたたちの実力を、知っている」
一人の冒険者の目が、潤んだ。
彼は、この二年、ずっと「才能がない」と言われ続けてきた。ランクが上がらないのは、自分が無能だからだと、思い込まされてきた。
そんな男が、生まれて初めて、自分の得意なものを、他人の口から、正確に、言葉にしてもらった。
「……あんた、俺たちのこと、そんなに、見てくれてたのか」
「記録が、見ていたんです」
俺は、言った。
「俺は、それを読んだだけです。──あなたたちの働きは、四十年ぶん積み上がった、記録の中に、ちゃんと、残っていた」
◇
「──ただし、一つ、先に言っておきます」
俺は、もう一枚、紙を置いた。
「盤上の灯は、慈善事業じゃありません。あなたたちが依頼をこなしたら、報酬の一割五分を、クランに納めてもらいます」
三人の顔が、強張った。
「……一割五分? それ、支部の手数料と、変わらねえじゃねえか」
「変わりません。同じです」
俺は、頷いた。
その数字を、俺は、忘れない。
一割五分。五ヶ月間、俺が、命がけの囮役をこなして、受け取り続けた取り分。搾取の、象徴。
「だが、違うところが、三つあります」
俺は、指を三本立てた。
「一つ。この一割五分は、公開されています。あなたたちは、いくら納めるかを、事前に知っている。──支部は、難度を偽って、報酬そのものを削っていた。あなたたちは、自分がいくら抜かれているのか、知ることすら、できなかった」
「二つ。使途も、公開します」
俺は、帳簿を開いて、見せた。
「この家の維持費。記録の整理と保管の費用。斡旋にかかる人手。──そして、積立」
「積立?」
「冒険者が死んだとき、その家族に、金を送るための積立です」
三人が、息を呑んだ。
「この仕事は、死にます。俺たちがどれだけ盤面を組んでも、ゼロにはできない。──だから、備える。あなたが死んだら、残された家族に、このクランから、金が届く。あなたが生きて帰れば、あなたが納めた積立は、他の誰かの家族を、支える」
俺は、続けた。
「三つ。──嫌なら、抜けていい。強制はしません。あなたたちの記録も、難度の情報も、抜けた後も、無料で使ってくれて構わない」
一人が、掠れた声で聞いた。
「……なんで、そこまで」
「同じ一割五分でも」
俺は、静かに答えた。
「隠して抜くのと、開示して、納得した上で預かるのとでは。──まったく、別のものだからです」
三人は、しばらく、紙を見つめていた。
そして、リーダー格の男が、顔を上げた。
「……納めるよ、一割五分」
彼は、掠れた声で、笑った。
「初めてだ。──何に使われてるか分かってる金を、払うのは」
◇
広間の隅で、ガルドが、その帳簿を、じっと見ていた。
積立の欄。まだ、数字は小さい。だが、確かに、そこにある。
俺は、この男が、六年間、たった一人で背負ってきたものを、知っている。
隠して、抜いて、名前も告げずに送り続けた金。誰にも言えず、誰とも分かち合えず、自分を削って、歪んで。
その重荷が今、帳簿の一行に、なっていた。
「レイジ」
ガルドが、掠れた声で言った。
「……この積立、俺の送金も、ここから出るんだよな」
「ええ。あなた個人の贖罪じゃない。──クランが、仲間の遺族を支える。それだけです」
「…………」
ガルドは、しばらく、その一行を見つめていた。
そして、乱暴に、目元を拭った。
「……くそ。俺は、六年、何をやってたんだろうな」
「六年、一人で背負っていたんです」
俺は、言った。
「──もう、その必要は、ありません」
◇
三人は、その日、盤上の灯に、正式に所属した。
翌週、彼らは、俺が手配した依頼をこなした。山岳地帯の、魔物の巣の調査。難度は、支部の表示ではD。だが記録から割り出した本当の難度は、C相当。
普通のEランクなら、危ない。
だが、彼らは、山を歩ける。
俺は、地形図と、風向きと、過去の遭難事例を、全部彼らに渡した。「この尾根は、午後になると風が変わる。巣の入り口は、東の岩棚の裏。退路は、この沢筋。──あなたたちなら、行ける」
彼らは、無傷で、依頼を完遂した。
報酬は、公正に配分された。一割五分がクランに納められ、残りは全額、彼らの手に渡った。中抜きも、査定の削りも、ない。
「……はは」
報酬袋を握りしめて、リーダー格の男が、掠れた声で笑った。
「二年、冒険者やってきて。……初めてだ。仕事が、楽しかった」
その言葉が、広がった。
◇
一人が、二人を連れてきた。二人が、四人を連れてきた。
だが、今度は、以前とは違った。
彼らは、相談に来るんじゃない。──所属しに、来た。
「盤上の灯に、入れてくれ」
「支部のランクは、諦める。どうせ上がらねえ。それより、俺の得意なもんを、ちゃんと見てくれるとこで、働きたい」
「一割五分、納めるんだろ? 構わねえよ。何に使われてるか、教えてくれるんだろ?」
冒険者たちが、東地区の外れの、その家に、押し寄せてきた。
支部長の嫌がらせが、逆に、効いていた。
「どうせランクは上がらない」──そう諦めた冒険者ほど、盤上の灯に流れてきた。失うものが、もう、なかったからだ。
支部長は、ランクを人質に取った。だが、人質の価値は、人質を取られた者が「もう要らない」と思った瞬間、消える。
そして、支部の建物から追い出したことが、決定的な失策になった。
支部の中にいた頃、俺たちは、支部長の監視下にあった。誰が出入りしているか、丸見えだった。冒険者たちは、支部長の目を気にして、事務所に近寄れなかった。
だが、東地区の外れの、この家には──支部長の目が、届かない。
「レイジ、これ……!」
ニックが、名簿を抱えて、興奮していた。
「所属、五十人超えたぞ! 先月まで、五人だったんだぞ!」
「まだ足りません」
俺は、名簿をめくりながら、次の盤面を組んでいた。
「五十人いれば、パーティーが、十組できる。十組あれば──この街の依頼の、二割は、俺たちで回せる」
◇
そして、俺の本領は、ここからだった。
依頼と、冒険者の、組み合わせ。
俺は、所属した五十人全員の記録を、頭に叩き込んだ。誰が、どんな地形が得意か。誰が、どんな魔物に強いか。誰と誰の相性がいいか。誰が、どんな癖を持っているか。
そして、依頼が来るたびに、最適な組み合わせを、組んだ。
山岳の依頼は、あの三人組に。
水辺の依頼は、元漁師の斥候を含むパーティーに。
夜間の護衛は、暗視の付与品を使いこなす男に(俺が、感覚強化の付与品の使い方を、教え込んだ)。
長距離の行商同行は、脚の速さより、持久力のある連中に。
「……あんた、なんで、そこまで分かるんだ」
依頼を割り振られた冒険者が、呆然と、俺に聞いた。
「記録を、読んだからです」
「いや、そういうんじゃなくて……。俺、自分でも、自分が何が得意か、よく分かってなかったんだよ。でも、あんたに割り振られた依頼、なんつーか……やってて、しっくりくるんだ」
俺は、少し考えて、答えた。
「才能は、資源です。誰でも、少ないなりに、必ず何かを持っている。──ただ、この街は、それを『ランク』という、たった一文字に潰してきた。潰されたら、自分でも、見えなくなる」
俺は、名簿を、そっと閉じた。
「俺は、潰さない。──全部、見ます」
◇
結果は、数字に、はっきりと出た。
盤上の灯が手配した依頼の、達成率。
九割八分。
死者、ゼロ。重傷者、ゼロ。
同じ期間の、支部が斡旋した依頼の達成率は、七割を切っていた。負傷者は、二桁に上っていた。
その差は、あまりにも、明白だった。
そして、その数字は──依頼主たちの間で、あっという間に、広まった。
◇
「──こちらが、噂の『盤上の灯』かね」
東地区の外れの、その家の扉を叩く客の顔ぶれが、変わり始めた。
最初は、街の商人。次に、有力な商会の主人。そして。
「……失礼。私は、ハルベル近郊に領地を持つ、モーリス男爵家の者だが」
現れたのは、身なりのいい、若い執事だった。下級貴族の、使いだ。
「領内の街道に、魔物が出るようになってな。ギルドに討伐を依頼したのだが……三度、失敗した。三度とも、『難度の見立てが甘かった』と言われてな。そのたびに、追加の報酬を、要求される」
執事の顔には、隠しきれない苛立ちがあった。
「主人は、こう仰った。──『あのギルドは、金を毟り取ることしか考えておらん。だが、盤上の灯というクランは、確実に仕事を片付けるらしい。そちらに頼め』と」
俺は、内心で、静かに、盤面が動く音を聞いた。
商人が流れ、商会が流れ、そして今、下級貴族が流れてきた。
支部の仲介手数料は、その分だけ、確実に、減っている。
「──お受けします」
俺は、頷いた。
「クランが依頼を受け、最適なパーティーを組んで、当たらせます。報酬は、クランが一括で受け取り、実働した者に配分する。──クランの取り分は、一割五分。事前に、明示します」
「ほう。ギルドの手数料と、同じか」
「同じです。ですが、条件が一つ。真実の難度を、正確にお伝えします。ギルドが『D』と言った依頼が、実際はBかもしれない。その場合、報酬も、それに見合った額を、いただきます」
執事が、目を見開いた。
「……最初から、正直に、言うと?」
「はい。安く見せて、後から追加を要求するのが、支部のやり方です。俺たちは、逆をやります。最初から、本当のことを言う。高いと思われたら、断ってくださって結構です」
執事は、しばらく、俺を見ていた。
そして、深く、頷いた。
「……主人が、あなた方を選んだ理由が、分かりました」
◇
「……なあ、レイジ」
その夜、一階の広間で。
依頼の割り振りを終えた冒険者たちが引き上げた後、ニックが、ふと、周りを見回した。
長机の並んだ広間。壁一面の掲示板。二階には資料室と執務室。裏には厩と倉。受付には、元支部の職員が座り、帳簿をつけている。
依頼が集まり、パーティーが組まれ、報酬が配分され、記録が残される。
「これ、もう──ギルドじゃねえか?」
「クランです」
俺は、即答した。
「登録上は……」
◇
同じ頃。
支部の建物の、最上階。支部長室の灯りが、遅くまで、消えなかった。
俺は、二階の窓から、遠くに見えるその灯りを、静かに見上げていた。
「焦ってやがるな」
隣で、ガルドが、腕を組んだ。
「そりゃそうだ。ここ二ヶ月で、手数料収入が、目に見えて減ってる。あの男は、抜いた金を、上に納めなきゃならん。──納める額が足りなきゃ、あいつ自身の首が、危ない」
「ええ」
支部長ジグムントの、焦りの正体は、そこだ。
あの男は、この街の王じゃない。もっと上の、貴族と王国に、金を納める、ただの中間管理職だ。上納の額が減れば、責められるのは、あの男自身。
「……なあ、レイジ」
ガルドが、ぽつりと言った。
「お前、これ、どこまで読んでた?」
「どこまで、とは」
「支部長が、ランク審査で嫌がらせをすること。それで冒険者が離れること。──でも、離れた連中の中に、『どうせランクは上がらん』と諦めた奴らがいて、そいつらが、逆に、うちに流れてくること。そして、あの狸が俺たちを支部から追い出したことが、逆に、あいつの目の届かない場所を、俺たちに与えたこと」
ガルドは、俺を見た。
「全部、読んでたのか」
俺は、少しだけ、考えた。
正直に言えば、全部ではない。盤面は、常に、想定外を含む。
だが。
「──支部長が、ランクを人質に取ることは、読んでいました」
俺は、答えた。
「あの男の武器は、それしかありませんから。依頼の差配、ランク認定、報酬の精算。俺たちが直接受注を始めた時点で、依頼の差配と報酬の精算は、無効化されている。残るのは、ランクだけだ」
俺は、遠くの支部長室の灯りを見た。
「そして、人質というのは──人質の価値を、人質に取られた側が、諦めた瞬間に、消えるんです」
ガルドが、長い息を吐いた。
「……お前は、本当に、恐ろしい男だな」
「よく言われます」
「支部長が、必死に振り回してる武器が。──お前の手の中じゃ、とっくに、ただの棒切れになってやがる」
俺は、答えなかった。
代わりに、頭の中で、次の盤面を組んでいた。
支部長は、必ず、次の手を打つ。ランクが効かないなら、もっと直接的な手を。古参の冒険者をけしかけるか、依頼主に圧力をかけるか、あるいは──もっと、汚い手を。
来い。
打てば打つほど、あんたの城は、内側から、崩れていく。
もう、とっくに、記録も、良心も、この家に、移った後だ。




