第18話 支部長の手
支部長ジグムントの、最初の手は、驚くほど、まっとうな顔をしていた。
「盤上の灯、代表ガルド殿。──折り入って、お話がありましてな」
事務所に、支部の使いがやってきて、俺たちは支部長室に呼び出された。
初めて見るジグムントは、恰幅のいい、柔和な顔つきの男だった。歳は五十がらみ。仕立てのいい服に、指には宝石の嵌まった指輪。人好きのする笑みを浮かべて、俺たちに椅子を勧める。
その笑みが、ガルドのかつての「兄貴分の仮面」と、同じ種類のものだと、俺はすぐに気づいた。
「いやあ、噂は聞いておりますよ。困っている冒険者の相談に乗り、依頼の斡旋までしていると。──実に、結構なことだ」
言葉とは裏腹に、その目は、笑っていなかった。
「ですがね。一つ、困ったことがある。──あなた方、最近、依頼を『直接』受けておられるでしょう」
来た。
「本来、依頼の仲介は、ギルドを通すのが決まりでしてな。ギルドは、依頼主と冒険者の間に立ち、報酬を保証し、揉め事を裁く。その手数料で、この街の冒険者社会は、回っている。──あなた方が、ギルドを通さず直接受注を続ければ、その秩序が、崩れてしまう」
もっともらしい理屈だった。
だが、その本音は、透けて見えている。直接受注が増えれば、支部の手数料収入が減る。そして、手数料収入の一部は、王国への上納金の原資だ。俺たちは、支部長の懐と、その先の王国への金の流れを、削り始めている。
「支部長」
俺は、口を開いた。ガルドが看板だが、この手の交渉は、俺が引き受ける手筈だった。
「直接受注は、違法ですか?」
ジグムントの、笑みが、わずかに固まった。
「……いや。違法、というわけでは、ない。だが──」
「クランが、依頼主と直接契約を結ぶこと。それを禁じる規則は、ギルドの規約のどこにも、ありません。俺は、加入前に、規約を全部読みました」
俺は、静かに続けた。
「仲介を『通すのが決まり』とおっしゃいましたが、それは慣習であって、規則ではない。俺たちは、何一つ、規則を破っていない。──むしろ、依頼主が、自らの意思で、ギルドではなく俺たちを選んでいる。それだけです」
ジグムントの目が、細くなった。
柔和な仮面の下から、初めて、剥き出しの警戒が覗いた。
「……なるほど。ガルド殿は、随分と、口の回る参謀を、抱えておられるようだ」
「参謀?」
ガルドが、とぼけた。
「うちに、そんな上等なもんはいませんよ。俺たちは、ただの、しがないクランです」
俺は、内心で、少しだけ笑った。ガルドも、芝居が上手くなった。
支部長は、俺を【ただのクランの一員】として処理するしかない。俺には、肩書きがない。代表はガルドだ。この城の主は、誰を叩けばこのクランが崩れるのか、まだ、掴めていない。
◇
「──いいでしょう」
ジグムントは、仮面を、被り直した。
「規則で縛れぬのなら、仕方がない。ですが、一つ、忠告しておきましょう」
彼は、指輪の嵌まった指を、組んだ。
「この街の冒険者は、ギルドのランク認定なしには、まともな仕事ができません。ランクが上がらねば、高額の依頼は受けられない。──そのランクを認定するのは、この、私です」
脅し、だった。
「あなた方に出入りしている冒険者たちの、ランク審査。……最近、どうも、厳しくせざるを得なくてね。昇格が、通りにくくなっているようだ。実に、残念なことです」
つまり、こういうことだ。
盤上の灯に出入りする冒険者は、ランクを上げてやらない。昇格審査で、意図的に落とす。『あのクランに関わると、出世できなくなる』
──そう思わせて、冒険者たちを、俺たちから引き剥がす。
合法的に登録した俺たちを、正面から潰せないなら。俺たちに集まる、冒険者たちの方を、締め上げる。
「よく、覚えておくことです」
ジグムントは、にこやかに、そう締めくくった。
「灯というのは……消すのは、簡単なのですよ。風を、少し送ってやるだけで」
◇
「──くそっ、あの狸親父!」
事務所に戻るなり、ニックが机を叩いた。
「ランク審査で嫌がらせだと? そんなの、うちに来てる連中が、割を食うだけじゃねえか! みんな、ランク上げたくて、必死なのに!」
事実、その影響は、すぐに出始めた。
盤上の灯に出入りしていた冒険者の何人かが、昇格審査で、理不尽に落とされた。明らかに基準を満たしているのに、『まだ実績が足りない』と突き返される。
そして、噂が、流れ始めた。
「盤上の灯に関わると、ランクが上がらなくなるらしいぞ」
「支部長に、睨まれてるんだと」
「……悪いけど、俺は、ランクを上げたいんだ。あそこに出入りするのは、しばらく、やめとくよ」
一人、また一人と、事務所から足が遠のいていく。
点り始めた灯に、支部長は、確かに、風を送っていた。
「レイジ」
ガルドが、苦い顔で言った。
「どうする。……このままじゃ、せっかく集まった連中が、離れていく。ランクは、あいつらの生活が、かかってる。責められねえ」
セシリアも、心配そうに俯いている。
だが、俺は。
事務所の窓から、支部の建物を見上げながら、むしろ、静かな手応えを感じていた。
「……ちょうどいい」
「あ?」
ニックが、怒ったように俺を見る。
「何がちょうどいいんだよ、こんな状況で!」
「支部長は、ランク認定を、脅しの道具に使った。──つまり、認めたんです。ランク認定は、実力の証明じゃなく、支部長の『匙加減』なんだと。自分の口で」
俺は、ノートを開いた。
「これは、支部長の、最大の弱点を、自分から晒したのと同じだ」
◇
「考えてみてください」
俺は、五人に向かって、盤面を説明する。
「ランク認定が、公正な実力の証明なら、支部長には、それを嫌がらせに使えない。基準を満たした冒険者を落とせば、それは『不正』になる。──でも、あの男は、平然と、それをやった。なぜか」
「……ランク認定そのものが、最初から、公正じゃなかったから」フィオナが、静かに言った。
「その通りです」
俺は、頷いた。
「支部長は、十五年、ランク認定を握ってきた。才能のある者を上げ、金を積む者を上げ、気に入らない者を落とす。──ランクは、実力じゃない。支部長への、忠誠と、貢献の証だった」
俺は、バッセさんを見た。
「バッセさん。ランク審査の、過去の記録は、残っていますか」
老斥候の目が、光った。
「……残っとる。審査の判定と、その根拠はな。表向きは、実績と測定値で決めることになっとる。じゃが──」
「その通りに、なっていない事例が、あるはずです。実力があるのに落とされた者。実力がないのに、上げられた者。それを、全部、洗い出しましょう」
俺は、続けた。
「支部長は、俺たちに出入りする冒険者を、審査で落とした。それは、動かぬ証拠になる。──基準を満たしているのに落とされた、という記録が、今、リアルタイムで、積み上がっているんですから」
ニックが、はっと顔を上げた。
「……そうか! あいつ、自分で、証拠を作ってるのか!」
「ええ。支部長は、目先の嫌がらせのために、『ランク認定は不正だ』という証拠を、自分の手で、量産している」
俺は、静かに笑った。
「これを、過去十五年ぶんの審査記録と、突き合わせる。実力と、ランクが、一致していない事例を、全部並べる。──そうすれば、見えてくる。ランク認定が、いかに恣意的に操作されてきたか。この街の冒険者が、いかに、不当に評価されてきたか」
◇
「だが、レイジ」
ガルドが、慎重に、口を挟んだ。
「証拠を並べて、どうする。支部長を、告発するのか? ……前に、俺を告発しなかったお前が」
いい問いだった。
「告発は、しません」
俺は、答えた。
「支部長を、法で裁こうとすれば、その先の貴族や王国が、揉み消す。俺一人が正義を叫んでも、この城は、びくともしない」
俺は、事務所に出入りしていた、冒険者たちのことを、思った。今は、支部長を恐れて、足が遠のいた者たち。
「だから、告発じゃない。──俺たちがやるのは、『もう一つのランク』を、作ることです」
「もう一つの……ランク?」
「支部のランク認定が、支部長の匙加減なら。俺たちは、本当の実力を、公正に評価する、独自の指標を作る。バッセさんの四十年の記録と、俺たちが集めた実戦の情報で。──この冒険者は、本当は、どれだけの依頼をこなせるのか。それを、俺たちが、正直に、証明する」
俺は、盤面の、次の何手も先を、見据えていた。
「支部のランクは、高額依頼を受けるための『鍵』だ。それは、当面、変わらない。でも──直接受注の依頼主にとって、必要なのは、支部のランクじゃない。『この冒険者は、確実に仕事をこなすか』という、信頼だけだ」
俺は、続けた。
「盤上の灯が、その信頼を、保証する。『うちが評価したこの冒険者は、確実だ』と。そうすれば、支部のランクが低くても、直接受注の仕事は、回ってくる。──支部長が、ランクで冒険者を縛れば縛るほど、俺たちの『独自評価』の価値が、上がっていく」
事務所が、静まり返った。
やがて、バッセさんが、深く、長い息を吐いた。
「……お前さんは、本当に、恐ろしい男じゃな、レイジ」
老斥候は、掠れた声で、笑った。
「支部長が、嫌がらせをすればするほど。冒険者を締め上げれば締め上げるほど。──その全部が、お前さんの盤面の、駒になっていく」
「ええ」
俺は、頷いた。
「支部長は、風を送って、灯を消そうとした。──でも、風は、火を、大きくすることもある」
◇
その夜。
俺は、事務所に一人残って、過去十五年ぶんの、ランク審査の記録を、繰っていた。
隣では、バッセさんが連れてきた、支部の若い職員が、黙々と、記録の照合を手伝っている。
「……あの」
不意に、その職員が、口を開いた。
まだ二十代の、真面目そうな青年だった。バッセさんが「腐っとった連中の一人」と言った、内部の良心の一人。
「本当に、変えられるんでしょうか。……この街を。支部長を」
彼の声には、長く押し殺してきた、疲れが滲んでいた。
「僕は、三年、支部で働いてきました。おかしいと、ずっと思ってた。難度が、偽られている。ランクが、操作されている。冒険者が、不当に、使い潰されている。……でも、声を上げれば、クビだ。生活が、ある。だから、見て見ぬふりを、してきた」
彼は、手元の記録を、見つめた。
「あなたたちのやり方は、証拠を集めて、告発する、というものじゃない。……もっと、静かで、もっと、確実だ。支部長の力の、根っこそのものを、じわじわと、無効にしていく」
「ええ」
「勝てますか」
俺は、記録から顔を上げて、その青年を見た。
「勝ち負けじゃ、ありません」
俺は、言った。
「支部長を倒しても、また次の支部長が来る。王国が、そういう仕組みで、この街を回している限り。──だから、俺は、『倒す』ことを目標にしていない」
俺は、窓の外の、街の灯りを見た。
「冒険者が、支部長がいなくても、生きていける。互いに情報を分け合い、正しく評価し合い、支え合う。──そういう仕組みが、当たり前になれば。支部長の匙加減なんて、誰も、必要としなくなる。それが、俺の、勝ち筋です」
青年は、しばらく、俺を見ていた。
そして、初めて、少しだけ、笑った。
「……手伝わせて、ください。僕にできることなら、なんでも」
盤上に、また一つ、灯が、点った。
支部の、内側で。




