第17話 灯、点る
紅の盾の解散から、ひと月。
その間に、いくつかの後始末があった。
だが、片付かない問題も、一つ残っていた。
「レイジ。……あの送金な。カイルとフェルズの家族への。あれが、途絶える」
事務所の隅で、ガルドが、絞り出すように言った。
「搾取を、やめた。当たり前だ。もう、あんな真似はしねえ。……だが、そうすると、金が出ねえ。俺には、蓄えなんざない。抜いた金は、全部、そのまま送ってきた。手元には、何も残っちゃいねえんだ」
この男は、六年間、自転車を漕ぎ続けてきた。搾取して、送って、また搾取して。止まれば倒れる。止まった今、送る金が、消えた。
「まっとうに、なりたい。……だが、まっとうになったら、あいつらが、飢える。俺は、どうすりゃいい」
俺は、少し考えて、答えた。
「あなた一人で背負うから、詰むんです」
「……あ?」
「送金を、あなた個人の秘密にしておくから、原資が搾取しかなくなる。──なら、盤上の灯の、正当な稼ぎの中から、送りましょう」
ガルドが、顔を上げた。
「クランが、まっとうに稼いで、その一部を、仲間を失った者の家族に回す。恥じることじゃない。隠すことでもない。冒険者が、冒険者の遺族を支える。──それは、罪滅ぼしじゃなく、仕組みだ」
「……仕組み」
「ええ。だから、あなたがやるべきことは、一つです。」
──このクランを、成功させること。それが、そのまま、カイルさんの子供を、飢えさせない道になる」
ガルドは、しばらく、俺を見ていた。
その目に、ゆっくりと、光が戻っていった。六年間、自分一人で背負ってきた重荷が、初めて、分かち合えるものに変わった顔だった。
「……そうか。そう、だな」
彼は、拳を握った。
「なら、俺は、このクランに、全部賭ける。──あいつらのためにも」
そして、ひと月後の今日。
俺たちは、次の一手を指す。
◇
クラン「盤上の灯」の登録は、あっさりと受理された。
拍子抜けするほどに。
「クラン登録、確かに受け付けました。──盤上の灯、代表ガルド。所属五名。まあ、せいぜい頑張ってくださいね」
支部の受付職員は、書類に判を押しながら、口の端で笑った。
その笑みの意味を、俺は正確に読み取っていた。侮り、だ。元搾取パーティーが、名前を変えて再出発。所属五名の弱小クラン。──支部にとって、俺たちはまだ、路傍の石ころ以下の存在だった。
それでいい。
石ころは、踏まれない。踏むほどの価値も、まだないと思われている。その油断が、こちらの時間を稼ぐ。
そして何より──俺たちは今、クランとして正式に、冒険者ギルドの内側に入った。
支部長ジグムントの、足元に。
「予定通り、始めましょう」
俺は、事務所に戻り、一枚の紙を、机に広げた。
事務所と言っても、以前は物置だった一室だ。埃をかぶった棚に、バッセさんが運び込んだ資料の綴りが、少しずつ積み上がっている。
◇
「これは……依頼の、一覧か?」
ニックが、覗き込む。
紙には、今ギルドの掲示板に貼り出されている依頼が、ずらりと書き写されていた。ただし、普通の一覧じゃない。
依頼名の横に、俺の手で、もう一つの数字が書き加えてある。
「掲示板の難度と、俺が資料から割り出した『本当の難度』。それを、並べて書いてあります」
ガルドの顔色が、変わった。
「おい、これ……」
「ええ。ほとんどの依頼で、掲示板の難度が、実際より一段、低い」
俺は、リストの一件を指した。
「たとえばこれ。『西の森の害獣駆除、難度E』。だが過去五年の記録では、この地域で同種の依頼を受けた新人パーティーの、三割が負傷して撤退している。E級の依頼で、負傷率三割は、あり得ない。──本当の難度は、少なくともC。地形と、群れの規模を計算に入れれば、そうなる」
「支部長の、難度偽装か」ガルドが、低く唸る。
「そうです。安全を偽られた依頼を、何も知らない新人が受けて、死ぬか、潰れる。──この街で、ずっと続いてきたことだ。あなたが、その片棒を担がされていたように」
ガルドの拳が、微かに握られた。
俺は、その一覧を、ニックに差し出した。
「ニック。これを持って、酒場を回ってください」
「……何て言って?」
「何も言わなくていい。ただ、この一覧を、酒場の隅に貼り出すだけです。『盤上の灯』の名前を添えて」
ニックが、目を見開いた。
「これを、タダで配るのか? せっかくの情報だぞ。売れば金になる」
「配ります。──情報は、独占されているから、支部長の武器になる。なら、こっちは逆をやる。開示して、共有して、当たり前にする」
俺は、静かに言った。
「新人冒険者が、この一覧を見て、一人でも死なずに済んだら。その冒険者は、次から、どっちを信じますか。難度を偽る支部か。本当の難度を教える、俺たちか」
ニックは、しばらく一覧を見つめて──それから、にっと笑った。
「……なるほどな。勧誘とおんなじだ。俺は、人に信じ込ませるのが得意なんだ。今度は、嘘じゃなく、本当のことを信じさせりゃいいんだろ」
「そういうことです」
「任せろ。俺の口の上手さ、まともなことに使うのは、初めてだけどな」
◇
効果は、三日で出た。
最初は、半信半疑だった連中が。
「なあ、あんたら……盤上の灯の一覧、あれ、本当か」
事務所の扉を叩いたのは、二十歳そこそこの、痩せた冒険者だった。ランクは、E。
「西の森の依頼、難度Eって書いてあったが、あんたらの一覧じゃC相当だって……。俺、明日それ受けるつもりだったんだ」
「受けない方がいい」
俺は、即答した。
「あなたのパーティーは、何人ですか」
「……三人。全員、Eランク」
「なら、死にます。あの森は、地形が入り組んでいて、退路が読みにくい。害獣は群れで動く。三人のE級では、囲まれたら終わりだ」
若い冒険者の顔が、青ざめた。
「じゃ、じゃあ、どうすれば……。俺たち、金がなくて。安い依頼しか、受けられなくて」
「──それを、一緒に考えましょう」
俺は、彼に椅子を勧めた。
「あなたたちの手札で、生きて帰れて、ちゃんと稼げる依頼を、探します。それが、俺たちの仕事だ」
若い冒険者は、しばらく、俺を見ていた。
そして、掠れた声で、聞いた。
「……あんたら、なんで、そんなことしてくれるんだ。得に、ならねえだろ」
俺は、少し考えて、答えた。
「昔、俺も、同じでした。才能がなくて、ランクが上がらなくて、安い依頼を、命がけでこなしていた。──誰も、本当の難度を、教えてくれなかった」
俺は、事務所の棚に積まれた、バッセさんの資料を見た。
四十年ぶんの、記録。偽られた難度で消えていった、無数の冒険者たちの、痕跡。
「その記録は、ここにあったんです。ずっと。──ただ、誰も、使わなかっただけだ」
◇
その日から、事務所を訪れる冒険者が、増えていった。
一人が二人を連れてきて、二人が四人を連れてくる。みんな、ランクの壁で燻り、安い依頼を命がけでこなしてきた、名もなき冒険者たち。
バッセさんが、彼らの相談に乗った。四十年の記録が、ここで初めて、人を救うために使われた。
「この依頼は、やめとけ。三年前、同じ場所で二人、担ぎ込まれとる。……こっちの護衛依頼にしとけ。地味じゃが、お前さんらの脚なら、まず死なん」
老斥候の目は、確かだった。どの依頼が、どのパーティーにとって「本当は」どれだけ危ないか。四十年、見続けてきた男にしか、分からない目利きだった。
ニックが、酒場で人を集めた。かつて搾取のために使った話術が、今は、冒険者を救うために回っていた。
セシリアが、怪我をした冒険者を、無償で治療した。
フィオナは……相変わらず、隅で我関せずといった顔をしていたが、それでも、依頼の魔物の弱点を聞かれれば、面倒くさそうに、しかし正確に、答えていた。
「その火竜擬きは、腹が弱点です。氷ではなく、水を浴びせて体温を奪ってから叩きなさい。……なぜ私が、こんな初歩を説明しているのか、分かりませんが」
そう言いながらも、質問に来た冒険者が「助かった」と頭を下げると、彼女は少しだけ、居心地悪そうに目を逸らすのだった。
そして、ガルド。
看板であるこの男のところには、古い冒険者たちが、探るように顔を出した。「紅の盾のガルドが、慈善事業か?」と。
ガルドは、その一人一人に、頭を下げた。
「俺は、間違ってた。新人を、食い物にしてきた。──その償いを、始めてる。信じられねえなら、それでいい。だが、見ててくれ」
かつての搾取者が、頭を下げて回る姿を。
古参の冒険者たちは、最初は嘲笑した。だが、その真剣さが、少しずつ、伝わっていった。
盤上に、灯が、一つ、また一つと、点っていく。
◇
半月が過ぎた頃。
事務所には、常連の冒険者が、十数人。彼らは依頼の相談に来るだけでなく、自分たちが得た情報を、逆に持ち寄るようになっていた。
「東の沼、最近ボグクロウラーが増えてる。気をつけろって、みんなに伝えといてくれ」
「北の街道の護衛依頼、依頼主がいい人だったぞ。報酬もちゃんと払ってくれた」
情報が、集まってくる。
一方通行だった「情報の配給」が、双方向の「情報の網」に変わり始めていた。
支部長が握っていたのは、上から下へ流す、一本の情報だった。だが、俺たちが作りつつあるのは、冒険者同士が横に繋がる、無数の糸だった。
「……レイジよ」
その様子を眺めていたバッセさんが、ぽつりと言った。
「わしは、四十年、この街の冒険者を見てきた。だが、こんな光景は、初めてじゃ」
「どんな光景です」
「冒険者が、互いを、仲間だと思っとる光景じゃよ」
老斥候は、目を細めた。
「今まではな、みんなバラバラじゃった。ランクを競い、依頼を奪い合い、格下を見下す。支部長の思う壺じゃ。バラバラな連中は、束になって支部に逆らうことなど、できんからのう」
「……ええ」
「じゃが、お前さんは、それを繋げた。一人一人は、弱い。才能もない。じゃが──繋がった灯は、街を照らす」
俺は、事務所を見渡した。
低いランクの、名もなき冒険者たち。かつての俺と同じ、燻る者たち。
その一人一人が、今、互いに情報を交わし、助け合い、笑っている。
盤上の灯。
セシリアが名付けたその意味が、少しずつ、現実になり始めていた。
◇
そして、それは、起きた。
ある日の午後、事務所の扉を叩いたのは、冒険者ではなかった。
身なりのいい、商人風の中年の男だった。
「──こちらが、噂の『盤上の灯』かね」
男は、荷馬車の護衛を探している、と言った。北の街道を、隣町まで。積荷は、割れ物の陶器。
「本来なら、ギルドの窓口に頼むところだが……」
男は、少し声を潜めた。
「あそこは、どうも信用ならん。前に頼んだとき、『安全な街道だ』と請け合われて、護衛も少なく手配されたのに、蓋を開けりゃ盗賊が出た。積荷は半分やられた。……あとで聞けば、あの街道は、その時期、盗賊の出没が増えていたそうじゃないか。ギルドは、それを知っていて、黙っていた」
難度の、偽装。
依頼主にすら、危険を伏せて、安く護衛を手配する。差額を、抜くために。
「だが、あんたらは、本当の危険を、正直に教えてくれると聞いた。──頼めるかね。多少高くついても、確実な方がいい」
俺は、ガルドと、目を見交わした。
これが──直接受注だ。
依頼主が、支部の窓口を通さず、俺たちに、直接、依頼を持ち込んできた。
俺の描いた盤面の、最初の一手が、動いた瞬間だった。
「──お受けします」
俺は、静かに言った。
「北の街道、隣町まで。この時期の盗賊の出没状況、風の強さ、荷馬車の速度。全部、こちらで計算します。あなたの陶器は、一枚も割らせません」
商人は、ほっとした顔で、頷いた。
◇
その護衛依頼を、俺たちは、完璧にこなした。
バッセさんの記録から、盗賊の出没しやすい地点を割り出し、そこを避ける迂回路を選んだ。ニックが先行して斥候を務め、待ち伏せを事前に察知した。ガルドが荷馬車の前面に立ち、その威容だけで、日和見の盗賊を近寄らせなかった。
陶器は、一枚も割れなかった。
商人は、大喜びで、約束の倍の報酬を置いていった。「次も、必ずお前たちに頼む」と。
そして、その評判が、また、次を呼んだ。
商人が、商人を連れてきた。「あそこは、確実だ」と。荷馬車の護衛。行商の同行。倉庫の警備。支部の窓口を通さない、直接の依頼が、少しずつ、事務所に舞い込むようになっていった。
盤上の灯は、いつの間にか、ただの「相談所」ではなくなっていた。
依頼を受け、こなし、報酬を得る。──冒険者ギルドと、同じ機能を持ち始めていた。
登録上は、ただのクランのまま。
だが、その中身は、少しずつ、少しずつ。
◇
異変を、ニックが持ち帰ったのは、その夜だった。
「レイジ! ……妙な噂を、聞いた」
事務所を閉めようとしていた俺のもとに、ニックが、血相を変えて駆け込んできた。
「支部長のジグムントが、俺たちのことを、探り始めてるらしい。誰が出入りしてるか、どんな依頼を回してるか。……子飼いの冒険者を使って、嗅ぎ回らせてる」
俺は、手を止めた。
来たか。
石ころだと侮られていた俺たちが、支部長の視界に入るまでの、猶予。それが、ちょうど尽きた頃合いだった。
直接受注が、増え始めた。支部の仲介手数料が、その分だけ、減り始めた。──支部長が、気づかないはずがない。
「レイジ、どうする。……まだ、俺たちは小さい。今、支部長に本気で潰しにかかられたら」
「大丈夫です」
俺は、事務所の灯りを、そっと消した。
窓の外、ハルベルの街に、無数の家々の灯りが点っている。一つ一つは小さいけれど、もう、誰にも数えきれないほどに。
「向こうが探り始めたということは、向こうが、俺たちを『駒』だと認め始めたということだ。──石ころのままなら、探る必要すらない」
俺は、静かに笑った。
「盤面に、上がった。ここからが、本番です」
支部長ジグムント。
あんたが握ってきた情報の独占を、俺たちは、内側から食い破る。直接受注が増えるほど、あんたの仲介独占は、空洞になっていく。
そして、いずれ──あんたが偽ってきた難度の、全部の帳尻を、この街の冒険者たちの前で、合わせてもらう。
灯は、もう、点った。
あとは、これを、燃え広げるだけだ。




