第16話 灯を、点す
ガルドが答えを持ってきたのは、三日後だった。
その三日間、俺は資料室にこもっていた。バッセさんの前に、支部長の名が記された帳簿の写しを、何枚も並べながら。
「──支部長のジグムント。この街のギルド支部を、十五年、仕切ってきた男じゃ」
老斥候は、丸眼鏡の奥から、その帳簿を睨んでいた。
「レイジよ。お前さん、とんでもねえ蜂の巣に、手を突っ込もうとしとるぞ」
「分かっています」
「分かっとらん。──支部長ってのはな、ただの役人じゃねえ。ギルドの依頼を差配し、ランクを認定し、報酬を精算する。この街の冒険者の生き死には、全部あの男の匙加減ひとつじゃ。敵に回せば、お前さんは明日から、まともな依頼を一件も受けられなくなる」
バッセさんは、帳簿を置いた。
「そして、ジグムントの後ろには、もっと大きな影がある。あの男が抜いた金を、どこへ納めとると思う。──貴族じゃ。いや、その先の、王国じゃ」
俺は、頷いた。
「知っています。だから、正面からは戦いません」
「ほう」
「支部長を、力で倒すんじゃない。──支部長が、いなくても回る仕組みを、作ります」
バッセさんの、眉が、動いた。
◇
「俺たち冒険者は、支部長に、生殺与奪を握られています」
俺は、頭の中で三日間かけて組み上げた盤面を、口に出していく。
「依頼を差配されるから、逆らえない。ランクを認定されるから、頭が上がらない。報酬を精算されるから、抜かれても文句が言えない。──全部、俺たちが『冒険者ギルドに依存している』から成立している構造だ」
「じゃが、それが冒険者ギルドじゃろう。依存せずに、どうやって冒険者をやる」
「依存先を、もう一つ作ればいい」
俺は、言った。
「まずは、クランとして始めます。冒険者による、冒険者のためのクランを。──支部長の足元、冒険者ギルドの内側に、正式に登録して」
「内側に? 敵の懐に、自分から入るのか」
「ええ。クランなら、掲示板にも依頼記録にも、正規にアクセスできる。支部長の情報の、内側に立てる。そこから、あの男が偽ってきた難度の嘘を、暴いていく」
バッセさんが、息を呑んだ。
「支部長は、難度を偽って、平民を安く使い潰してきた。なら、俺たちは──正しい難度を、自分たちで評価する。過去の記録から、魔物の本当の格を、地形の危険を、失敗の要因を割り出す。この依頼は、本当はいくらの価値があるのか。どのパーティーなら、生きて帰れるのか。それを、俺たちが判断する」
俺は、資料室の棚を見渡した。何十年ぶんの記録が、そこに眠っている。
「支部長の武器は、情報の独占です。難度を偽れるのは、本当の難度を、俺たちが知らないからだ。──なら、俺たちが知ればいい。この資料にある記録は、全部、そのための武器になる」
「……情報で、対抗するのか」
「はい。それと、公正な査定と、仲間の補償を。──支部にできないことを、全部やります」
「じゃが、レイジよ」
バッセさんが、丸眼鏡の奥から、俺を見た。
「たかがクラン一つで、冒険者ギルドに、対抗などできるのか。向こうは、何十年も続く、街の背骨じゃぞ」
「今は、できません」
俺は、正直に答えた。
「だから、段階を踏みます。──最初は、小さなクラン。難度の真実を配って、燻る冒険者を死なせない。評判が広まれば、依頼主が、支部の窓口を通さず、俺たちに直接、依頼を持ち込むようになる」
俺は、続けた。
「直接受注が増えれば、支部の仲介独占は、内側から空洞化していく。俺たちは、登録上はただのクランのまま──その機能だけ、冒険者ギルドそのものになっていく」
バッセさんの、目が、見開かれた。
「クランのまま、実質、ギルドになる、と」
「ええ。看板を掲げて正面から戦えば、支部長に潰される。だから、看板は掲げない。ただ、冒険者たちが『あそこに頼めば死なない』と思う場所を、作る。気づいたときには、この街の冒険者の生き死には、支部じゃなく、俺たちが握っている。──それが、目標です」
バッセさんは、長い間、黙っていた。
やがて、この老斥候は、くしゃりと笑った。
「……わしはな、レイジ。この資料室で、四十年、記録をつけてきた。その間、何百人もの若い冒険者が、偽られた難度の依頼で、死んだり、潰れたりするのを、見てきた」
彼の声が、掠れる。
「わしは、本当の難度を、知っとった。この依頼は危ない、と分かっとった。じゃが──わしは、ただの司書じゃ。記録をつけるしか、能がない。声を上げても、誰も聞かん。何度も、見殺しにしてきた」
バッセさんは、立ち上がった。
「お前さんが、その記録を武器にして、支部の足元を食い破るというなら。──四十年ぶんの、わしの罪滅ぼしを、手伝わせてくれ」
「助かります。──それと、もう一つ、お願いが」
「なんじゃ」
「支部の中に、あなたと同じ思いの職員が、いるはずです。難度の偽装に気づきながら、声を上げられずにいる人が。──その人たちを、連れてきてほしい」
バッセさんは、少し驚いた顔をして、それから、深く頷いた。
「……おるよ。何人か、心当たりがある。ずっと、腐っとった連中じゃ。お前さんの話をすれば、乗ってくるかもしれん」
内側の記録と、内側の良心。
支部長の城を、内側から食い破る駒が、また一つ、増えた。
◇
その日の夕方、ギルドの一室に、五人が集まった。
ガルド、セシリア、ニック、フィオナ、そして俺。
「紅の盾は、解散する」
ガルドが、最初に、そう言った。
三日間で、この男は、少しやつれていた。だが、その目には、もう、あの搾取者の濁りはなかった。
「俺は、支部長に、力を貸す側の人間だった。難度を偽り、仲間を使い潰し、金を抜いて、上に納めた。その罪は、消えない。──だが」
ガルドは、テーブルに、あの告発の綴りを置いた。俺が、彼に預けたものだ。
「レイジ。お前は、これで俺を潰す代わりに、支部長を引きずり出すのに力を貸せと言った。……俺は、乗る。俺にしか、できないことがあるって言うなら。俺は、この命、そのために使う」
「ガルド」セシリアが、静かに名を呼んだ。
「セシリア。お前には、六年間、迷惑をかけた。……本当に、すまなかった」
「いいえ」
セシリアは、首を振った。
「私は、あなたを止められなかった。だから、これからは──あなたが、正しいことをするのを、隣で見守らせてください。今度こそ、逃げずに」
ガルドは、その言葉に、ぐっと、喉を詰まらせた。
「……俺も、乗るぜ」
ニックが、手を挙げた。
「勧誘は、俺の得意技だ。今まで、そいつを、最低なことに使ってきた。……今度は、まともなことに、使わせてくれ。この街で燻ってる、いい冒険者を、俺が集めてくる」
そして、フィオナが。
「私は、戦力です」
いつもの、淡々とした口調で。
「あなたたちの理念とやらに、興味はありません。……ですが、レイジさんが組む盤面が、どこまで通用するのか。それを、一番近くで見られる場所にいたい。だから、残ります」
そう言って、彼女は、ちらりと俺を見た。
「──戦術的な、興味です」
「知っています」
俺が答えると、フィオナは、つんと顔を背けた。ニックが「何だお前ら」とにやにやしたが、俺は無視した。
◇
「──名前を、決めましょう」
俺は、五人を見渡して、言った。
「支部長の下請けじゃない。冒険者による、冒険者のためのクラン。その、名前を」
「お前が決めろよ、レイジ」ガルドが言う。「全部、お前の絵図だ」
「いえ」
俺は、首を振った。
「俺は、表には立ちません」
五人が、俺を見た。
「え?」ニックが、目を丸くする。「いや、お前が頭だろ。全部お前が考えてんじゃねえか」
「頭は、やります。作戦も、方針も、俺が組む。──だが、看板は、別だ」
俺は、ガルドを見た。
「クランの顔は、ガルドさん。あなたが代表だ」
ガルドが、絶句した。
「……正気か。俺は、搾取者だぞ。そんな男が、看板だと?」
「あなたが、看板だからいいんです」
俺は、静かに言った。
「あなたは、被害者で、加害者だった。だから、この街の冒険者の、痛みも、弱さも、全部知っている。難度を偽られて仲間を失う痛みも、金策に追い詰められて他人を踏みつける弱さも。──その両方を知っている人間が、看板に立つ。それが、このクランの、意味になる」
「……」
「俺みたいな、何の肩書きもない男が組んだ絵図に、人は付いてこない。でも、あなたが立てば、話は別だ。あなたは、Bランクの実力者で、六年、この街で顔を売ってきた。あなたの名前には、重みがある」
俺は、続けた。
「それに──俺は、記録に名前が残らない方が、都合がいい。支部長が、このクランを潰しにかかったとき。『本当の頭が誰か』を、掴ませない方が、盤面を組みやすい」
ガルドは、長い間、俺を見ていた。
やがて、この大男は、ふっと、笑った。六年ぶりに見る、憑き物の落ちたような笑みだった。
「……お前は、本当に、食えねえ男だな」
「よく言われます」
「いいだろう。──看板くらい、背負ってやる。俺の名前が、少しでも役に立つってんなら」
◇
「名前ですけど」
セシリアが、微笑んで、言った。
「一つ、思いついたんですが。……よろしいですか」
彼女は、窓の外を、指さした。
日が暮れて、ハルベルの街に、少しずつ、灯りが点り始めていた。宿の窓、酒場の軒先、家々の明かり。一つ一つは小さいけれど、集まれば、街全体を照らしている。
「レイジさんの戦い方って、いつも、そうなんです」
セシリアは、言った。
「一人一人は、小さな力。才能もない、ランクも低い。でも、あなたが、正しい場所に置くと──盤面全体が、明るくなる。一つ一つの灯りが、繋がって、道になる」
彼女は、俺を見た。
「『盤上の灯』。……どうでしょう」
俺は、窓の外の、無数の灯りを見た。
一つでは、何も照らせない小さな光。ランクの壁で燻り、才能がないと切り捨てられ、難度を偽られて使い潰されてきた、名もなき冒険者たち。
その一つ一つを、正しい場所に置く。
繋げる。
盤上に、灯を、点す。
「……いい名前です」
俺は、頷いた。
「盤上の灯。──それで、いきましょう」
◇
その夜。
俺は、宿の窓辺で、ノートを開いた。
第一部の頃から、ずっとつけてきた、検証ノート。バフの重ねがけ、魔物の生態、依頼の記録。損得の計算。引き際の線。
その最後のページに、俺は、新しい一行を書いた。
『盤上の灯、設立。──俺は、降りる盤面を、間違えたのかもしれない』
引き際の線は、とっくに越えていた。損得の計算は、とっくに合わなくなっていた。
ソロのFランクとして、誰にも縛られず、誰も背負わず、身軽に生きる。それが、俺の望みだったはずだ。
なのに、今、俺の盤面には、五人の仲間と、四十年ぶんの記録と、街じゅうの燻る冒険者たちが、乗ろうとしている。
降りるつもりだった盤面に、俺は、自分から、深く座り込んでいた。
クランとしては、まだ、小さな灯だ。所属五名。街の隅の、物置だった事務所。
だが、この灯を、繋げていく。一つ、また一つと。
燻る冒険者たちを、名もなき者たちを、正しい場所に置いて、繋げて、燃え広げていく。
いつか、この街の冒険者の全部が、この灯の下に集まったとき。
「盤上の灯」は、ただのクランではなくなっている。
冒険者ギルドに、依存しない。支部長に、生殺与奪を握られない。冒険者が、冒険者自身の力で立つ、もう一つの拠り所。
──実質の、ギルドに。
それが、俺の描く、最終盤だった。
「……神様」
俺は、窓の外の灯りを見ながら、呟いた。
あんたの端数は、ずいぶん遠くまで、来ちまったよ。
一つ、また一つと、街の灯りが点っていく。
その光の中に、俺の盤面が、静かに、広がり始めていた。




