第12話 割に合わない依頼
その依頼書が貼り出されたのは、雨の朝だった。
ギルドの掲示板の前に、人だかりができていた。俺は資料室へ向かう足を止めて、その輪の後ろから覗き込む。
赤い判が、二つ。
『飛竜討伐。魔物格B。依頼難度B上位。推奨、Aランクパーティー。報酬、金貨八十枚』
金貨八十枚。
思わず、目を疑う金額だった。B上位の依頼が金貨十二枚だったことを思えば、その七倍近い。
「おいおい、八十枚だってよ」「ワイバーンかよ、単騎でもAランク推奨だぞ」「割に合わねえだろ、いくら金積まれても竜種は……」
冒険者たちの声が、ざわめく。
理由は明白だった。ワイバーンは、討伐難度がB上位。だが「B上位のパーティーが挑んで死者が出ない見込み」ではない。この依頼が推奨しているのは、Aランクだ。
つまり──Bランクが受ければ、死ぬ可能性がある。だからこそ、Aランク相当の報酬が積まれている。
金貨八十枚は、命の値段だった。
「──受けるぞ」
背後からの声に、俺は振り返った。
ガルドだった。
雨に濡れた肩を揺らして、彼は人だかりをかき分け、掲示板の依頼書に手を伸ばした。
その手を、俺は反射的に掴んでいた。
◇
「ガルドさん」
「……なんだ、レイジ」
「これは、受けるべきじゃない」
ガルドの目が、細くなった。
周囲の視線が集まる。俺は構わず続けた。
「推奨はAランクです。俺たちはB上位。単騎のワイバーン相手でも、うちの戦力では余裕がない。何か想定外が起きれば──」
「起きなきゃいい話だろう」
「起きるものです。それが戦場です」
「随分、偉くなったもんだな。臨時の分際で」
冷たい声だった。いつもの豪快な兄貴分の顔は、そこになかった。
「レイジ。お前は先行索敵だ。お前の仕事は、俺の指示通りに動くことだ。依頼を選ぶのは、リーダーの仕事だ。──分をわきまえろ」
「…………」
正論だった。搾取の構造を抜きにすれば、パーティーの指揮系統として、彼の言葉は正しい。
だが、俺には見えていた。
この男が、なぜこの依頼を受けようとしているのか。
三ヶ月ごとの、金貨三枚の送金。次の送金月は、もうすぐだ。そして今回の相手は盗賊団で、報酬は金貨四枚と、売れない付与品の山だけ。送金の原資が、足りていない。
金貨八十枚。うち、ガルドの取り分は三割で二十四枚。送金の八ヶ月ぶんだ。
彼は、金を必要としている。死んだ仲間の家族に送るための金を。
そのために、生きている俺たちの命を、賭けようとしている。
「──分かりました」
俺は、掴んでいた手を放した。
「出過ぎたことを言いました」
ガルドは、少しだけ意外そうな顔をした。俺がもっと食い下がると思っていたのだろう。
だが、ここで争っても意味がない。この男は受ける。何を言っても受ける。ならば、俺が計算すべきは「受けるか否か」ではない。
「受ける以上は、生きて帰る算段を立てます。──下見と情報収集の時間を、ください」
「……ああ。それは好きにしろ」
ガルドは依頼書を剥がし、受付へ向かった。
その背中を見送りながら、俺は頭の中で、最悪の盤面を並べ始めていた。
◇
「──ワイバーンじゃと…」
その夜、資料室。バッセ爺さんは、俺が広げた依頼書の写しを見て、深く息を吐いた。
「ガルドめ、とうとうそこまで背伸びしよったか」
「バッセさん。ワイバーンの資料、あるだけ全部見せてください」
「あるにはあるがの……レイジよ」
老司書は、丸眼鏡を外して、俺を見た。
「お前さん、なんでそこまでする。臨時の身じゃろう。危ないと思うなら、抜ければええ。契約を切って、依頼の前に降りればしまいじゃ」
その通りだった。
俺は五ヶ月目だ。回収すべきものは、もう十分に回収した。B上位の実戦感覚も、祝福との重ねがけの検証も、付与品の山も。引き際の線は、とっくに越えている。
ここで抜けるのが、最も合理的だ。
「…………」
俺は、答えられなかった。
なぜ抜けないのか。自分でも、うまく説明できなかったからだ。
損得で言えば、抜けるべきだ。あのパーティーが背伸びした依頼で全滅しようが、俺の知ったことではない。ガルドは搾取者だ。フィオナは天才だが他人だ。ニックは加害者で、セシリアは──。
十四人、見送りました。全員の名前を覚えています。
……ああ、そうか。
俺は、あの人に十五人目を数えさせたくないのだ。
「──バッセさん」
「なんじゃ」
「たぶん俺は、盤面から降りるのが、下手なんだと思います」
バッセ爺さんは、しばらく俺を見て、それから、くしゃりと笑った。
「……そうか。そうかもしれんのう」
老司書は立ち上がり、資料室の奥へ消えて、やがて、埃をかぶった何冊もの綴りを抱えて戻ってきた。
「ワイバーンの生態、討伐記録、失敗事例。過去五十年ぶん、全部じゃ。──生きて帰れよ、亡霊」
◇
三日三晩、俺は資料に潜った。
ワイバーンについて、分かったことを書き出していく。
飛竜。翼開長、およそ十歩。地上では鈍いが、空では俺たちの誰も追いつけない。武器は、鉤爪と、尾の一撃と、そして──喉から吐く、風の刃。
弱点は、飛翔中の旋回の内側。急旋回の瞬間、片翼が失速し、一瞬だけ動きが止まる。過去の討伐成功例は、すべてその一瞬に大技を叩き込んでいる。
フィオナの氷嵐槍なら、届く。旋回の内側に、あの一撃を通せれば、翼を落とせる。落ちてしまえば、地上のワイバーンはガルドの盾とニックの短剣で仕留められる。
理屈は、組める。
問題は、その「旋回の一瞬」を、どうやってフィオナの射線と同期させるかだ。
そして──俺はもう一つ、資料の中に、嫌なものを見つけていた。
過去五十年のワイバーン討伐記録、二十七件。そのうち、四件に共通する記述があった。
『討伐中、二体目が飛来』
ワイバーンは、単独で縄張りを持つ。だが、繁殖期の番だけは、例外だ。
そして依頼書には、討伐対象が「一体」としか書かれていない。
依頼主は、この個体が番かどうかを、知らない。
「……ガルドさん」
俺は、ノートに書き付けた。
『最悪の盤面:討伐中の二体目飛来。確率、推定七分の一。──この場合、詰む』
七分の一。
低くはない。そして、もし引いてしまえば、B上位のパーティーに、二体のワイバーンを捌く力はない。
俺は、その一行を長いこと睨んでいた。
対策を立てようにも、二体目が「いつ」「どこから」来るかは、誰にも分からない。備えようのない想定外。それが戦場だ。
だが──と、俺はペンを握り直す。
来ると決まったわけじゃない。七分の六は、来ない。
そして万一来たとしても。
俺は、この五ヶ月で集めたものを、全部持っている。仲間全員の戦い方の記録。フィオナの射程と詠唱時間。ガルドの盾の防御範囲。ニックの走力。セシリアの祝福の持続。そして、闇を見通す目と、遠くの音を聞く耳と、疲れを知らぬ足と、誰の強化にも上書きされない、俺だけの積み重ね。
盤面の駒は、揃っている。
あとは、俺がどこまで正確に、それを動かせるかだ。
「……やるしかない、か」
俺はノートを閉じた。
窓の外では、雨が上がりかけていた。
討伐は、三日後だった。




