第10話 一割五分の男
冒険者ギルドの精算窓口には、独特の空気がある。
依頼を終えた冒険者たちが、討伐証明を提出し、報酬を受け取り、そして──分ける。円卓に金貨を並べて、誰が何をやったかを数え上げ、時に揉め、時に笑い合う。
その光景を、俺は五回目の順番待ちの列から眺めていた。
「はい、紅の盾さん。グラウンドワーム討伐、依頼難度B上位。報酬、金貨十二枚になります」
受付嬢が革袋を差し出す。ずしりと重い音がした。
金貨十二枚。Fランクの薬草採取が銅貨十五枚だから、換算すればおよそ八十倍。B上位の依頼というのは、そういう金額が動く。
ガルドが革袋を受け取り、いつもの窓際のテーブルに向かう。四人が続く。俺も、その後ろを歩く。
これから始まるのは、査定と分配だ。
俺の五回目の。
◇
「まずは全員、お疲れさん。今日は誰も欠けずに帰ってこれた。それが一番だ」
ガルドは金貨を卓上に並べながら、いつもの調子で言った。この男は、この儀式を必ずそう始める。
「じゃ、査定といくか。フィオナ、今日の主砲はお前だ。頭を一撃で仕留めた。文句なしの主戦力、三割」
金貨三枚と半分が、フィオナの前に置かれる。
「ガルド、あなたの取り分は」
「リーダー分と前衛分で、俺も三割だ。ニック、お前は後方警戒と退路の確保、二割」
「へーい」
「セシリアは回復と祝福。今日は使う場面が少なかったが、備えは仕事のうちだ。一割五分」
「ありがとうございます」
そして、残る。
金貨十二枚のうち、置かれていったのは十枚と半分。残りは一枚と半分。
「レイジ。今日のお前は先行索敵だ。役割区分は補助。一割五分」
金貨一枚と、半分。
俺の手元に置かれた。
◇
一割五分。
その数字を、俺は五回連続で受け取っている。
初日のロックワームで、一割五分。囮を務めたグレイヴボアで、一割五分。湿地のボグクロウラーで、一割五分。街道の護衛で、一割五分。そして今日、坑道の作戦を立案し、命がけで芋虫を釣ってきた俺が──一割五分。
数字は、動かない。
俺が何をしても、動かない。
「ガルドさん」
俺は静かに口を開いた。
「今日の作戦の立案は、俺です。坑道の図面を調べたのも、直線の射線を確保する策を出したのも、実際に誘導したのも」
テーブルの空気が、わずかに固まった。
ガルドは笑顔のまま、俺を見た。
「ああ、そうだな。よくやってくれた。あの作戦がなけりゃ、もっと時間がかかってた」
「では、査定は」
「補助だ」
即答だった。
「レイジ。お前の役割は、契約書に『先行索敵』と書いてある。俺はその通りに査定してる。作戦を立てたのは立派だが、それはお前が勝手にやったことだろう?」
──ああ。
見事な理屈だ。
作戦立案は、契約書に書かれていない。書かれていない仕事をどれだけやっても、査定の区分は変わらない。むしろ「勝手にやったこと」として処理される。
そして、次の依頼でも、俺の契約書には「先行索敵」と書かれるのだ。
「……分かりました」
「分かってくれりゃいい。焦るなよ、レイジ。正式加入すりゃ、査定の枠も変わる。実力は認めてるんだ」
ガルドは俺の肩を叩いて、豪快に笑った。
「よし、じゃあ飲みに行くか! 今日は俺の奢りだ!」
歓声が上がる。ニックが騒ぎ、セシリアが微笑み、フィオナが「私は結構です」と即座に断る。いつもの光景だ。
俺は、金貨一枚と半分を、丁寧に懐へしまった。
そして懐から羊皮紙を取り出して、テーブルに広げた。
「ガルドさん。査定の書面を」
「……律儀だな、お前も」
ガルドは苦笑しながら、羽根ペンを走らせた。
『依頼名:廃坑道グラウンドワーム討伐/難度B上位』
『レイジ 役割:先行索敵 査定区分:補助 配分:一割五分』
『署名:ガルド』
五枚目、回収。
◇
「──なあ、レイジ」
酒場の隅、俺の隣にニックが座り込んできた。
こいつは既にかなり酔っている。ガルドは店の中央で武勇伝を語り、セシリアがそれを聞いて笑っている。フィオナはとっくに帰った。
「お前、腹立たねえの」
「何がです」
「一割五分」
ニックは杯を呷って、喉を鳴らした。
「今日のあれ、どう考えてもお前の手柄だ。俺だって分かってる。図面を調べて、十五を数えて、命がけで走ってきたのはお前だろ」
「契約書通りですよ」
「そういうことじゃなくてさあ」
ニックは、テーブルに突っ伏した。
「……俺だってな。臨時から入ったんだよ。四年前に」
心臓が、静かに脈打った。
これは、初めて聞く話だ。
「孤児院育ちでよ。読み書きもできねえガキが、ガルドの旦那に拾われた。飯食わせてもらって、剣の握り方教わって、斥候の技を叩き込まれた」
「……そうですか」
「んで、去年やっと正式加入した。臨時から正式になったの、俺が最後だ。──いや」
ニックは、くつくつと喉を鳴らした。
「最初で最後、だな。四年かかったぜ、四年。……あ、あの嬢ちゃんは別な。フィオナは臨時なんざ通ってねえ。最初っから正式で入ってきた。二年前ギルドにきてとんとん拍子で加入だったよ。」
「……そうですか」
「才能ってのはすげえよなあ」
空になった杯を、ニックは指で弾いた。かん、と乾いた音がした。
「俺は四年かかった。あいつは一日もかかってねえ」
その声に、恨みはなかった。あるのはただの、乾いた事実の確認だった。
──ここで、二つの階層が可視化される。
才能ある者は、招かれる。才能なき者は、四年の労役と引き換えに、内側へ入れてもらう。
そして、内側へ入れてもらった者は、次の労役者を勧誘する側に回る。
「俺の後から入ってきた臨時の連中はな。全員、辞めてった。理由は色々だ。怪我したやつ、金が合わねえって怒ったやつ、黙って消えたやつ」
ニックは、卓に伏せたまま笑った。
「んで俺はさ、あいつらを勧誘した張本人でよ。酒場で声かけてさ、『うちは実力主義だぜ』つって、いい話ばっかりしてさ」
「……」
「なあ、レイジ」
顔を上げた。目が、赤い。
「お前、逃げろよ」
俺は杯を置いた。
「俺が言えた義理じゃねえけどさ。お前は俺なんかより百倍賢い。ここにいる理由なんてねえだろ。あと二ヶ月もすりゃ、お前は……」
言葉が途切れた。
ニックは自分の口を手で塞ぎ、俺を見て、それから乾いた笑い声を漏らした。
「──いや、なんでもねえ。忘れてくれ。悪い、酔ってる」
そう言って、ふらふらとガルドの方へ戻っていった。
その背中を、俺は目で追った。
あと二ヶ月もすりゃ、お前は。
その先を、こいつは知っている。
◇
宿に戻り、ノートを開いた。
まず、数字を書く。
『第五回精算。報酬金貨十二枚。レイジ取り分、金貨一枚と半分(一割五分)』
『累計:金貨六枚と四分の三。同期間の推定正当配分:金貨二十枚前後』
『搾取総額、約十三枚。──想定の範囲内』
想定の範囲内。
そう書いた自分の字を、俺はしばらく眺めていた。
想定していた。乗ると決めた夜に、宿の天井を見上げながら、俺はこう計算したのだ。報酬は六割から七割減。それは授業料であり、対価だと。
事実、俺はそれ以上のものを手に入れている。B上位の依頼の実戦感覚。祝福との重ねがけの検証結果。ガルドの指揮の技術。連携の呼吸。この五ヶ月で、俺の身体は明らかに変わった。
計算は、合っている。
合っているのに、なぜだろうな。
一割五分と書かれた羊皮紙を、五枚並べて眺めていると、腹の底に、何か冷たいものが沈んでいく。
──慣れてきている。
それが答えだった。
一回目、俺は数字を確認した。二回目、記録した。三回目、書面を求めた。四回目、当然のものとして受け取った。そして五回目の今日、俺は「作戦を立てたのは俺です」と言い、「補助だ」と即答されて、「分かりました」と頷いた。
抗議ですらなかった。あれは確認だ。
契約が正しく運用されているかどうかの、単なる確認作業。俺は自分が搾取される仕組みの、動作検証をしていたのだ。
そして仕組みは、完璧に動いていた。
「……なるほど」
俺は、ようやく理解した。
猟具屋の親父が「心が折れた」と言った意味を。
この仕組みが人を壊すのは、金を奪うからじゃない。納得させるからだ。
契約は正しい。査定は書面通り。リーダーは笑顔で肩を叩き、酒を奢り、正式加入をちらつかせる。何ひとつ間違っていない。だから怒れない。怒る理由が、どこにも見つからない。
そうやって半年、一年と過ごすうちに、人はこう思うようになる。──俺の働きは、一割五分ぶんなのだ、と。
俺はペンを取り、ノートの新しい行に、こう書いた。
『危険。搾取の慣れは、六ヶ月を超えると自己認識を侵食する。引き際の線を再確認せよ』
書いてから、その下に、もう一行。
『ニックは、四年目で正式加入した。そして俺に「逃げろ」と言った』
『彼は、俺が"いつ壊れるか"を知っている』
──あと二ヶ月もすりゃ、お前は。
十四人の平均在籍期間は、四ヶ月。
俺は今、五ヶ月目だ。
灯りを吹き消して、俺は横になった。
天井の闇を見つめながら、頭の中で盤面を並べ直す。回収済みのもの、まだ足りないもの、引き際の線、そして──
『十四人の名簿を、資料室で写す』
昨日書いた行が、まだ手つかずで残っている。
明日、写しに行こう。
そう思った瞬間、自分でも意外なほど、はっきりと自覚した。
俺はもう、この盤面から「損得だけ」で降りることは、できなくなっている。




