第7話 持ち込み品
それから数日、店で働く合間に、少しずつこの世界について調べていた。
とはいえ、今の俺に手に入れられる情報など、一般教養の範囲を出ない。
詳しく調べようとすれば、古い神話や伝承めいた話ばかりになっていく。
まず、この世界は大きく五つの世界に分けられているらしい。
今、俺がいる人間界。
精霊族の故郷とされ、人間がいまだ到達したことのない精霊界。
妖精族が住み、妖精女王と呼ばれる絶対的な存在がいる妖精界。
神々――神族が住む神界。
そして、数千年にわたって人間と戦争状態の魔族の世界、魔界。
もっとも、種族ごとに住む世界が完全に分けられているわけではない。
人間界には人間だけでなく、ほとんどすべての種族が暮らしているとされている。
この五つの世界から帰る手がかりがあるとすれば、やはり神界だろう。
俺をこちらへ連れてきた神と、言語の加護を与えた神が同じ存在なのかはわからない。
それでも、少なくとも加護を与えた神ならば、何か事情を知っていてもおかしくはない。
だが、問題は神界に行く方法だった。
古い記録には、人間が神に導かれ、神界へ赴いたという話が残されている。
一方、後の時代に書かれた資料には、生きた人間は、たとえ神の導きがあろうと、神界へ渡ることはできないと記されていた。
二つの記録は書かれた時代が大きく異なっている。
時代とともに、事情が変わった可能性もある。
今のところ、それ以上のことはわからなかった。
それでも、歴史を調べてみると驚かされる。
この世界では、文明そのものが数万年単位で続いているらしい。
ここ、アルヴェリア王国の歴史だけで見ても、簡単に整理できる長さではなかった。
王朝や、制度の変化だけでなく、神界や魔界との戦争、異種族との交流まで、人間の歴史に組み込まれている。
特に神界、魔界は遠くはなれた別世界というより、何度も人間界に関わってきた存在らしい。
神話として片付けるには、記録が具体的すぎる。
かといって、すべてを事実と受け入れるには、時代によって内容が食い違っていた。
俺が数日調べた程度では、この世界の大まかな形を理解するだけで精一杯だった。
帰る方法を探すにしても、まずはもう少し、この世界のことを知らなければならない。
「今日はこの程度にしておくか」
俺は、開いていた本と書き留めた紙を片付け、その日の調べものを切り上げた。
◇
翌朝、開店前の店内に呼び鈴の音が響いた。
「悪いんだけど、対応してもらえる?」
「わかりました」
エリゼに頼まれ、店のドアを開ける。
「はい、どのような御用でしょうか。ああ、クラリスさん。おはようございます。どうされたんです?」
呼び鈴を鳴らしたのは、《金兎商会》のクラリスだった。
彼女は、何か小箱のような物を抱えていた。
「営業前に申し訳ありません。エリゼさんはいらっしゃいますか? 急ぎ、見てもらいたい品がありまして」
クラリスは店内を覗き込むでもなく、返事を待つように静かに俺を見た。
「えぇ、居ますよ。呼んできますので、少々お待ちください」
クラリスにはその場で待ってもらい、エリゼのもとへと向かう。
「エリゼさん。金兎商会のクラリスさんが見てもらいたい品があるそうです。箱をひとつお持ちになっています」
「ちょうどよかったわ。ここまで案内してもらえる?」
「わかりました」
俺は再び入口に戻り、クラリスを店の奥へ案内した。
「エリゼさん。営業前に申し訳ありません。どうしても、エリゼさんにしかお願いできないことがありまして」
「みたいですね。そこで、見ましょうか」
エリゼはクラリスの表情を一度確かめてから、作業のために空けていた卓上を指さした。
「わかりました」
クラリスが、指示された場所へ箱を置く。
「これは、当商会で預かっていた品なのですが、受取期限を過ぎても預け主が現れず、連絡も取れない状態です。詰所にも相談し、所在を調べてもらっているのですが……エリゼさんには、この品の来歴を探って頂きたく」
「訳ありかどうか確かめたいということですね」
エリゼは箱を見下ろしたまま、小さく息を吐いた。
「あくまで、私に見られるのはこの品のたどった来歴程度ですよ。今現在の持ち主がどこにいるのかまでは直接探せるわけではありませんよ」
「もちろん、承知しています。少しでも、何かわかればそれで構いません」
「じゃあ、箱を開けて触らせてもらいますね」
エリゼは箱の留め具を外し、ゆっくりと蓋を持ち上げた。
中に収められていたのは、掌に載るほどの、小さな地球儀に似た魔道具だった。
何のための道具なのか、見ただけではまるで見当もつかない。
エリゼは右手を箱の中に伸ばし、魔道具の表面に指先を触れた。
淡い光が掌に灯り、魔道具へ染み込むように広がる。
「これが預けられた日は、何日前かわかりますか?」
「十四日前の午前中です。受取期限が七日前の午後でした」
「十四日前……わかりました」
エリゼは目を閉じた。
呼吸が僅かに浅くなる。
魔道具に触れた手は動いていない。
それでも、掌を包む淡い光だけが、何かを探すようにゆっくりと揺れていた。
「……いた」
小さく呟き、エリゼが眉間に皺を寄せる。
「預け主は、この男か」
俺達には何も見えない。
ただ、エリゼの閉じた瞼の向こうには、この魔道具が辿ってきた来歴が映し出されているようだ。
「商会に持ち込まれる三日前、男が、この道具を箱に入れている」
エリゼの声が低くなる。
「かなり焦っている。何度も後ろを確認して……隠すように蓋を閉じた」
掌の光が、一度大きく揺れた。
「その前は、箱の中か……暗くてほとんど何も見えない」
エリゼの言葉は、今に近いところから順に過去へと遡っているようだった。
逆再生で高速に映像から必要な場面だけを拾いあげているようにも聞こえる。
「もう少し前、男が走っている」
エリゼの眉間の皺が、さらに深くなる。
「何かに追われている」
その言葉にクラリスの表情が僅かに険しくなった。
「人の形をしている……いや、でも、人じゃない」
「魔獣ですか?」
クラリスが尋ねる。
「わからない。少なくとも、私は見たことがない」
エリゼは目を閉じたままだが、かすかに首を振った。
「何か声を出してる。でも意味が……届かない」
手元の光が、わずかに明滅した。
「さらに前……ここは遺跡? いえ、廃墟かしら。かなり崩れている」
途切れ途切れだった、エリゼの言葉が次第にはっきりとしていく。
「この男が、そこに置かれていた道具を拾った。祀られていた訳でも、厳重に保管されていた訳でもない。ただ、がれきの間に転がっていたものを、偶然見つけただけ」
エリゼが、わずかに息を呑む。
「拾った直後に、さっきの生き物が現れたようにも見える」
その瞬間、掌を覆っていた光が消える。
エリゼはゆっくりと目を開く。
「……終わりました」
軽く息を整えてからクラリスへ向き直る。
「場所までは特定できませんでしたが、何らかの遺跡か廃墟で、預け主がこの道具を拾ったようです。その直後、正体不明の人型生物に追われ始めています」
「その生物が、失踪に関わっている可能性があると?」
「可能性はあります。ただ、この道具が布や箱に包まれていた時間が長くて、見えた範囲はかなり限られています。追われた後、預け主に何があったのかまでは確認できませんでした」
「それでも、十分です。調査を進める手がかりになります。ありがとうございます」
クラリスは、一礼をし、箱の蓋を閉じ、留め具に手をかけた。
「クラリスさん」
エリゼが、箱を片付けようとする手を止める。
「もう一つ気になることがあります」
「なんでしょうか?」
「あの生き物は、何か声を発していました。ですが、私には単に聞き取れなかったのではなく、言葉の意味が届かなかった」
クラリスが、留め具から手を離す。
「言語の精霊の力が、働かなかったとうことですか?」
「おそらくは」
エリゼは閉じられた箱を見つめた。
「相手に意思疎通の意思がなかったのか。それとも、言語の精霊の干渉を受けないほど、格の高い存在なのか。今の段階では判断できません」
「……なるほど」
「この品そのものを追っている可能性も、ゼロではありません。念のため扱いには注意してください」
「わかりました。ありがとうございます」
クラリスは荒玉得て、箱の留め具を閉じると、両腕で抱え直した。
「今回の依頼の分も上乗せして、月末にお振り込みします」
「ありがとうございます」
二人の会話が終わり、クラリスはもう一度頭を下げてから出口へ向かった。
扉が閉まると、店内に再び開店前の静けさが戻る。
「なんだか、大変そうでしたね」
「まぁ、うちには関係のないことよ」
エリゼはそう言いながら、クラリスが出て行った扉へ視線を向けた。
「少し気にはなったけど、どこにあるのかもわからない遺跡を調べに行くことなんてできないしね」
小さくため息をつき、こちらへ振り返る。
「変なことには首を突っ込まないことが一番よ」
「そうですね」
俺は相槌を打った。
人の形をしているのに、人ではないもの。
そのうえ、言語の精霊の力が通じない。
エリゼが見たというそれが、どんな姿をしていたのか。
なぜか、そのことが妙に頭に残った。




