第6話 言葉の意味
検査から帰った夜。
《灯屋》での遅めの夕食。
「やっぱり、昼間のこと気になるんですか?」
食事の手を止めていた俺に気が付いたリュシアが、少し心配そうに俺の顔色を窺う。
「今までできなかったことが、今日からできなくなったわけじゃないんだ。そこまで気にしていないよ」
俺は思った通りのことを言ったつもりだったが、リュシアには無理して話していると受け止められたのか、少し彼女の表情が曇る。
「代わりに加護っていうんだっけ? 何ができるのかできないのか、まだ全部わかっていないから」
できるだけ気楽に聞こえるよう、俺は笑って見せた。
リュシアは「そうですよね」と答えたが、あまり納得したようには見えなかった。
「そういえば、あなた文字は書けるの?」
エリゼがふと思い出したように聞く。
「書けると思いますが」
言われてみれば、俺はここにきてから文字を書いていない。
「思いますけどってことは、元いた場所では文字を書けたのね」
「ええ、ただこちらに来てから一度も書いてなかったので……」
エリゼは少し不思議そうな顔をしていた。
実際、俺はここにきてから文字は書いていない。
日本語を読めるのだろうか彼女らは。
◇
食後、エリゼが唐突に紙とペンを渡してきた。
「書いてみてくれる?」
「わかりました」
俺は言われるがままにペンを手に取り文字を書く。
――高嶺 総一郎
「見たことない字ね……でも、読めるわね。タカミネ・ソウイチロウ。うん、読めるわ」
エリゼは俺の名前の書かれた紙を睨む。
「面白い文字ね。アルヴェリア周辺じゃ見ない文字ね。民族文字かしら」
日本語も翻訳されるんだな。
「でも、残念ね。これは言語の精霊による翻訳よ。補助を切って文字を見たら本当に何もわからないもの」
「そんなことできるんですか?」
「できるというより、そうでもしないと古い文章を原文のまま研究ができないのよ」
エリゼは特に自慢げという感じではなく、淡々と説明するように答えた。
「そうだ、ちょっとこれを読んでみて」
エリゼは近くの本棚から一冊の本を取り出しページをめくる。
「どこを読めばいいんです?」
「ここよ」
エリゼは文章の一節を指さす。
「……えっと、戦の神の神器について書かれてますね。神器の呼び出しについてって感じですね。取説みたい」
「言葉を直接翻訳しているわけじゃないのね」
「どういう意味ですか?」
エリゼはにこりと笑い、説明を始める。
「バルトゥールについての記述はあるかしら?」
「書いていますね。神器の持ち主が戦神バルトゥールと」
「でも、この文章にはバルトゥールという名前は書かれていないの。『かの戦神』としかね」
「なるほど?」
「あなたの加護は、書かれた言葉を文字どおりの意味を伝えているんじゃない。書き手がその言葉で示そうとしたものを、受け取っているのかもしれないわね」
「悪いことではなさそうですけど」
「あなたに手伝ってもらってるときに少し気を付けないといけないなって思っただけよ」
エリゼは冗談っぽく笑う。
「さてと、今日はもう寝るわよ。リュシアも明日は学校行きなさいよ。ソウイチロウは明日もよろしく」
「おやすみなさい」
リュシアはそそくさと自室に戻る。
「お疲れ様です」
俺も、彼女に続くように自分の部屋に戻る。
◇
翌朝、リュシアはいつも通り学校へ向かった。
俺は開店準備を手伝い、エリゼから未整理の本や、古い買取記録を渡される。
「昨日、明日もよろしくって言ったでしょ?」
エリゼはにっこりと笑う。
「まずは本の整理から始めますね。そのあと買取記録の整理と」
「ええ、お願い。あと悪いんだけど、この領収書の控えも綴じておいてくれる?」
追加で十枚近い領収書の控えが渡される。
「これは……」
「私の仕事の売上ね」
エリゼは俺に仕事を押し付け終えると、いたずらっぽくウィンクして、奥の部屋へと向かった。
「整理が終わったら、古書の解読も手伝ってね」
「わかりました」
渡された仕事を順番に片付けていく。
未整理の本を種類ごとに分け、買取記録を日付順に並べる。
領収書の控えも、依頼主と仕事内容ごとにまとめて綴じた。
以前の仕事でも、書類仕事は嫌になるほど扱ってきた。
文字も形式も違うが、内容を分類し、後から確認しやすいように整理するという点では変わりない。
まだこの世界の物価については、十分につかめていない。
それでも、買取記録と一緒に置かれた帳簿を見比べれば、エリゼの魔法による保存処置の売上だけで、一か月分の喫茶店の売上を上回っていることは分かった。
喫茶店自体が不定休で、リュシアが学校から帰ってきた夕方以降にしか開いていないにもかかわらず、店を続けられている理由も納得できる
◇
「書類作業終わりました」
「もう?」
帳簿を確認していたエリゼが、驚いたように顔を上げる。
「本は種類ごとに分けました。買取記録は日付順に、領収書の控えは依頼主と仕事内容ごとにまとめています」
「あなた、こういう仕事に慣れているの?」
「前の仕事でこういう作業が多かったので」
「それは……心強いわね」
エリゼは満足そうに頷き、椅子から立ち上がる。
「じゃあ、お茶を淹れるから、それを飲んだら早速取り掛かりましょう」
「わかりました」
エリゼが慣れた手つきで茶器を並べ、湯を注ぐ。
彼女の淹れるお茶は、本当にうまい。
茶葉集めは彼女の趣味らしく、珍しいものを取り寄せては、自分の魔法で劣化を防いでいるという。
古書店でありながら、本よりもエリゼの淹れるお茶を目当てに通っているお客も少なくないらしい。
以前、リュシアが教えてくれた。
◇
エリゼと向かい合い、一冊の古書を読み進める。
「ここには、祭具を地下へ納めたと書かれています。保管場所は神殿の北側ですね」
「少し待って。北側に保管したとは書かれていないわ」
エリゼが指先で原文をなぞる。
「ここにあるのは、『日の差さぬ側へ納めた』という表現だけ。書き手にとっては北側を指す言葉だったのでしょうけど、場所によっては必ずしも来たとは限らないわ」
「俺には、最初から北側と書いてるように読めましたね」
「やっぱり、あなたの受け取っているのは文章そのものではなく、書き手の認識によるものが大きそうね」
エリゼは原文と俺の説明を照らし合わせながら、紙に書きとどめていく。
「解釈をそのまま訳文するのは危ないけれど、私と一緒なら役に立つわ」
「一人で任されることはないんですね」
「これは私の仕事でもあるもの。あなた一人に訳文を作らせて、楽しようなんて思ってないわよ」
エリゼは笑い、次の一節を指さした。
俺が内容を伝え、エリゼが原文の言い回しを確認する。
それを何度か繰り返しているうちに、机の上には訳文が積みあがっていった。
◇
「そろそろ、休憩にしましょうか」
「基本的に、同じ国の言葉を中心に読んでますよね」
エリゼが伸びをし、一息ついたところで、俺は先ほどから気になっていたことを尋ねた。
「そうね」
「いくつも古い言葉を覚えてるわけじゃないんですね」
「そんなことしていたら、いくら時間があっても足りないわ。私が専門にしているのは古アルヴェリア語。その中でも祭祀に使われていた文語が中心ね」
「へぇ、古語って感じですか。俺は古文はあんまり得意じゃなかったなぁ」
「聖史やアルヴェリア史にも関わるから、基礎だけなら読める人は多いわよ。専門的な文章なら話は別だけど」
「古語ってやっぱり歴史と絡むんですね」
あるあるといってもいいのか、他愛話でエリゼと少し盛り上がる。
仕事の合間に彼女とはこういう話をし続けている。
会話そのものは楽しい。
その一方で、ほんの少しだけ、彼女に申しわけなさは感じる。
彼女との会話を通じ、この世界のことを知ろうとしているのは事実だ。
だが、同時に元の世界へ帰る手段がどこかに無いか、探ってもいる。
ここでの仕事は見つかった。
だが、ここに残ると決めたわけではない。
まだ、この二つの折り合いはついていない。
いや、どうすればいいのか、まだわからなかった。




