第3話 金兎商会
「ソウイチロウ、わるいんだけど、ちょっとここを読んでくれる?」
「わかりました」
エリゼに呼ばれ、俺は彼女が指さした箇所に目を落とした。
ここ数日の、俺の仕事だった。
エリゼに指定された文章を俺が読み上げる。彼女はそれを聞きながら、手元の紙に細かな文字を書きつけていく。
俺には何をしているかまではわからない。
けれど、エリゼにとってはかなり重要な作業らしく、読み間違えた時だけは、いつもの柔らかな雰囲気のまま、きっちりと訂正が入る。
◇
「そういえば、日中のリュシアのいない時間はあんまり客って来ないんですね」
この古書喫茶《灯屋》。
日中は殆ど客が来ない。
少なくとも俺がここで世話になり始めてから、昼間に喫茶店らしい賑わいを見たことはなかった。
リュシアが魔法学校から帰ってきた後、夕方から夜にかけて、ようやく店らしい空気になる。
「喫茶のほうは、昼間は閉めてるからね」
エリゼはペンを置き、軽く肩を回した。
「そうそう、今日は仕事があるの。良かったらソウイチロウも来る?」
「俺もですか?」
「ええ、見ておいて損にはならないと思うわ」
この数日の日中は、基本的にはエリゼの解読作業の手伝いをしていた。
だから、どこかへ出かけるといわれるのは意外だった。
「どこに行くんです?」
「前に言ったでしょ?私の魔法は物の保管に長けるって」
「あぁ、確かに言ってましたけど……」
エリゼは机の上の紙をまとめると、いつもの穏やかな顔で笑った。
「今日は、その仕事よ」
◇
エリゼに連れられてやってきたのは、《金兎商会》という店だった。
「兎が目印……案外名前の通りで覚えやすいんですね」
俺は看板を見上げながら、呟いた。
店の看板には、跳ねる兎の意匠があしらわれている。
扉の金具、窓枠、飾り棚の端にも、小さな兎の装飾が見えた。
名前だけでなく、店全体でその印象を揃えているようだ。
「えぇ。初めて来た人でも、まず間違えることはないでしょうね」
エリゼはそう言って、店の扉を開く。
中には、様々な品が整然と並べられていた。
庶民向けの雑貨というより、もう少し上の層を相手にしている店に見える。
装飾品、布、細工物、箱詰めされた品々。
値札のようなものが見えるが、俺にはまだ相場は分からない。
ただ、安物を並べ薄利多売という店ではないことだけは分かった。
俺がエリゼの後を付いて店内を眺めていると、店員らしき男がこちらに歩み寄ってきた。
「エリゼさんですね。お待ちしておりました。副商会長が商談室にてお待ちです」
「えぇ、ありがとう」
エリゼと俺は店員に連れられ、店の一室へと案内された。
案内された先に、一人の女性がいた。
「お待ちしておりました、エリゼさん」
「今日はよろしくお願いしますクラリスさん」
二人は軽く挨拶を交わした。
クラリスさん。
副商会長と聞いていたからてっきりもう少し年上の人物を想像していた。
だが、目の前にいる女性は若い。
年齢だけなら俺と大差はないだろう。
片目を隠すように流れた青みがかった髪。
青と黒を基調にした服装は華やかさはあるが、浮ついた印象はない。
待っていた時間で作業でもしていたのだろう。
机の上に置かれた書類。帳簿。小さな鍵束。封のされた小さな箱。
それらが広がっていた。
「そちらの方は?」
クラリスが、エリゼに俺のことを尋ねる。
「最近雇った従業員なんです。いろいろと仕事を覚えてもらおうと思って」
「初めまして、古書喫茶《灯屋》で働いております。総一郎と申します」
俺は軽く頭を下げた。
現場ではもう少しラフな挨拶しかしてこなかったから、こういう固い挨拶には慣れていない。
「これは、丁寧にありがとうございます。私は《金兎商会》のクラリスです」
クラリスは静かに挨拶を返すと、再びエリゼに視線を戻した。
「では、さっそく本題に入りましょう。今回お願いしたいのは、保管庫にて保管しておりますこれらの品々です」
クラリスは机の上の書類を取り、エリゼに手渡す。
「……わかりました」
エリゼは手渡された紙を一通り目を通した。
「では、行きましょうか」
クラリスは、机の鍵束を取り俺たちを案内する。
商談室を出て、店の奥へと進む。
表の売り場と違い、奥へ行くほど人の気配は薄くなっていった。
棚に並ぶ品物も、客に見せるためのものでもなく、木箱や布で包まれた保管品が多くなる。
バックヤードといったところだろうか。
やがて、クラリスは一枚の重そうな扉の前で足を止めた。
「こちらです」
鍵束から小さな銀色の鍵を選び、扉の錠前に差し込む。
かちり。と乾いた音がした。
開かれた先は、薄暗い部屋だった。
完全な暗闇ではない。
壁に取り付けられた灯りが、部屋の中をぼんやりと照らしている。
中には、いくつもの棚が並んでいた。
乾燥させた薬草の束。布をかけられた絵画。箱に収められた細工物。用途不明の金属製の道具。
いかにも高そうなものが並んでいる。
「今回は、こちらの薬草類と絵画が二点、それから魔道具が三点です」
クラリスは手元の書類を確認しながら淡々と説明し、今回の依頼品に小さな札を付けていく。
「前回と同じ条件で?」
エリゼが尋ねる。
「はい。お願いします」
「わかりました」
エリゼがそういうと、棚の前へ歩み寄る。
彼女が手をかざすと、淡い光が薬草の束を包んだ。
派手な光ではなかった。
燃え上がるわけでも、雷のように弾けるわけでもない。
ただ、薄い膜のような光が、 薬草の輪郭に沿って静かに広がる。
俺は息を呑んだ。
これが魔法。
エリゼの魔法。
物を保管するための魔法。
「すごい……」
思わず、声が漏れた。
エリゼは俺の声が聞こえたのか、こちらに振り返らずに、小さく笑った。
「地味な魔法でしょう?」
「い、いえ。正直地味かどうかわかりませんけど、大事な仕事だと思います」
俺がそう答えると、クラリスがわずかにこちらを見た。
表情はあまり変わらなかった。
「その通りです」
クラリスは静かに言った。
「エリゼさんの魔法がなければ、薬草などの商材の長期保管ができませんからね。特に今回お願いしたのは少し貴重なものですので」
淡々とした声だった。
だが、その言葉には、はっきりとした評価を感じた。
「前回同様、劣化を遅らせるものですので、外的要因には注意してくださいね」
エリゼが魔法の注釈を少し入れた。
「はい。保管場所の温度や湿度はこちらでも管理します」
クラリスはそう答え、手元の書類に何かを書き込んだ。
薬草への処理が終わると、次は布をかけられた絵画だった。
クラリスが慎重に布を外す。
「こちらは、貴族家からの預かりの品です」
「売り物ではないんですか?」
「はい。この絵画は保管と管理だけを請け負っております。金兎商会では、こういった品の一時保管なども行っております」
なるほど。
商会と聞いて、物を売る場所だとばかり思っていたが、それだけではないらしい。
倉庫業も兼業しているのだろう。
俺は、一人納得した。
エリゼは絵画も、薬草同様に魔法をかける。
「あくまで劣化を遅らせるものですので、色そのものが修復するわけではありませんので」
「承知しました」
エリゼは俺たちの会話を聞いていたのか、注釈を入れる。
クラリスは短く答え、また書類に記録を残す。
流れ作業のように、次々とエリゼが魔法をかけ、それをクラリスが確認し、記録する。
二人の間では、必要以上の会話は殆どなかった。
何度も同じ仕事をしてきたことが分かった。
「最後はこちらです」
クラリスが一つの木箱の前で止まる。
その箱は、他の品よりも厳重に封がされていた。
蓋を持ち上げる。
中に入っていたのは、手のひらほどの大きさの金属製の道具だった。
用途は俺にはわからない。
表面に細かな文字のようなものが刻まれていた。
俺は、模様かなにかだろうかと、目を細めその文字のようなものを見た。
読めるわけではない。
この世界の文字は、まだほとんどわからない。
だが、その線が単なる模様ではないように見えた。
「……これは?」
気が付けば、俺はそう口にしていた。
二人の視線が同時にこちらへ向いた。




