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第八話 姿なき訪問者

次回の更新は7月18日(土曜日)20時です!

 壮絶な決闘からどれ位時間が経過したのだろうか?

 モニカとマルグリットは、噴水の縁に座って身を寄せ合っていた。

 背中に翼の生えた天使の彫刻が、水が湧き出ている瓶を担いで二人の後ろ姿を見つめていた。

 天使は二人の決闘をどのような面持ちで見ていたのか?

 興味が無いと思ってるだろうし、もっと戦いを見たいとも思っているだろう。

 決闘の際に出来た縁の損傷部分は誰が弁償するのか──恐らく噴水を作った人が直すだろう。

 天使は自分のテリトリーを壊されて怒っているかも知れない。

 そんな天使をよそに、マルグリットはモニカの肩に腕を回して──子供をあやすかの様に──モニカの髪の毛を優しく撫でていた。

 モニカは内心、子供扱いしないでよ、と思ったが、振りほどく力は残っておらず、全身の痛みが和らぐまで侍女のなすがままにされていた。

 マルグリットに至っては、背中に重石を背負っているかのような鈍痛を感じていた。熱がこもって痺れるような痛みもやって来て、我慢するのに精一杯であった。

 だが、それ以上に痛かったのは心に出来た傷である。

 守りたい人。

 守らなければいけない人。

 一生をかけて守り抜く人。

 そんな人の首を締めて殺そうとした自分が許せなかった。

 モニカは、一点だけを見つめて悲しい表情をのぞかせているマルグリットを心配する。


「大丈夫?」


 マルグリットはモニカに顔を向けると、痛々しい首のアザが視界に入り、心の傷が疼いてしまった。


「モニカお嬢様……」


 マルグリットは返答を試みるが、言葉は出てこなかった。

 それなのに何故か、モニカの髪を無意識に撫でている──恐らくこれが、今の自分の気持ちの表し方なのかもしれない。

 お互いに会話を交わさない時間が流れて行き、とうとう我慢出来なくなったのか、モニカは再びマルグリットに質問をぶつけた。


「ねえ、マルグリット。貴方は外の世界をどう思っているの?」


 マルグリットはモニカに視線を再び移す。


「教えてよ。外の世界は今どんな状況なの? 貴方もお父様も、外の世界について何も言ってくれないじゃん」


 突然、好奇心旺盛の子供のように質問をぶつけてくるお嬢様に対し、マルグリットは引きつった表情を浮かべながら視線を横にずらした。

 だがモニカは、彼女の頬に両手を挟み込んで強引に視線を合わせた。


「こっち見てよマルグリット。都合が悪い時、すぐ目をそらすんだから」

「うぐっ……」


 悪い癖を指摘されてしまい、マルグリットは思わず苦い表情を浮かべてしまう。

 そんな彼女を見て、モニカは微笑んだ。


「フフッ、そんな所も可愛いわ。思わずイジメたくなっちゃう」


 無邪気さと愛嬌を兼ね備えた笑顔、見たら吸い込まれそうな澄んだ茶色の瞳を武器にマルグリットを追い詰めていく。

 だが、マルグリットは自分の顔を挟んでいるモニカの両手を持ち、そっと自分の腿に降ろした。


「モニカ様の仰る通り、私がここに来る前は雇われ傭兵として外の世界で生きて来ました。悪人や魔物と戦い、多くの血が流れるのをこの目で何度も見てきました。ゼレスティン領内だけの活動でしたが、いつ襲われるか分からない状況で、夜も眠れない日が何日も続きました……」


 マルグリットは感慨深げに語っているが、モニカの方は呆気に取られてしまい言葉が出なかった──他国ならまだしも、自分の生まれ故郷がそんな風になっているなんて到底信じられなかった。

 マルグリットは過去の記憶を辿るかのように視線を一点だけに集中して話してくれた。


「五年前、私は敵の術中に嵌まってしまい、標的だった盗賊連中に捕まりましてね。暗い洞窟の中で私は拷問を受け続け、飽きられたら狭い牢屋に監禁される、そんな日々の繰り返しでした」


 さらっと衝撃的な事を言うマルグリットにモニカは驚きを隠せなかった。


「その時、私はここまでだな、と覚悟していたのですが、ある時、アジトの入り口付近で何人もの悲鳴が聞こえたんです」

「悲鳴?」

「ええ。何事だと思って見てたら、白の甲冑を身に纏った男の人が兵士を引き連れて中に入って来まして。胸の部分にゼレスティン王国の紋章が輝いて見えたのを昨日の事のように思い出します」


 モニカはハッと気づいた。まさか、マルグリットを救ってくれたのは──。


「お察しの通り、私を救ってくれたのはフリード・ゼレスティン。貴方のお父様です」

「お父様が……」


 マルグリットは目を細めて当時の状況を振り返る。


「最初は敵だと思って警戒してたんですが、そんな私にあの人は手を差し伸べてくれたんです。凜々しくも優しい眼差しで私の事を見つめていたお姿は今でも忘れません」


 その後マルグリットは、フリードの手引きでゼレスティン王国に保護され、治療を受けた彼女は命を救ってくれたフリードに恩を返そうと誓い、この王国に身を置くことになったのだという。

 自分の過去を話してくれたマルグリットは改めてモニカと向かい合い、手を握り締めたまま語気を強めて言った。


「モニカ様、改めてお願いがあります。どうか外の世界に出るのはお辞め下さい。私は……怖いのです。もし貴方が悪い奴らに捕まってしまったらと思うと想像しただけで恐ろしい。もう一度よく考え──」

「嫌よ」


 マルグリットの言葉を遮り、モニカは怒りと悔しさが入り混じった声で反論した。


「結局、貴方もお父様も外の世界に出てるじゃない。自分達だけ経験して私はダメだなんてそんなルールはあるの? 何処にも無いでしょ? 結局、なんだかんだ理由をつけて私を王城に閉じ込めるつもりなんでしょ……。な、なんで私だけ……」


 モニカの両手は震え、両目から涙がこぼれ落ちていた。


「あたしは生きている間中ずっと鳥籠に入っている鳥のように城に引きこもらなきゃいけないの? そんなのまっぴらゴメンだわ!」


 マルグリットは頭が痛かった──自分の経験談をお嬢様に伝えて考え直して欲しいと思っていたが、どうやら逆効果だった。 

 ふとマルグリットの頭の中でもう一つの心配事が浮かんできた──それは、この国の将来についてである。

 もし、モニカが成人して王国を継承すると仮定した場合、大陸情勢を細かく把握しておかないと後々まずい事になりうるかも知れない。

 世間知らずの王女様、温室育ちのワガママ娘などと揶揄されるのは間違いないだろう。

 もし今のまま、モニカお嬢様を王城に閉じ込めてしまったら、時間が経つにつれて考え方が変わってしまうかも知れない──最悪、人と接しなくなって部屋に引きこもる可能性もある。

 マルグリットは、そんなお嬢様の姿は見たくない、と心の底から思ってしまった。

 だからといって、このまま一人で外の世界に行かせてしまったらモニカの身に何が起こるか分からない。

 今まで王女の暴走を止める事しか考えていなかったマルグリットだが、ここに来て気持ちが揺れ動いていた。

 マルグリットの視線の先には色とりどりの綺麗な花が風に揺れていた。

 が、彼女は実際には見ておらず、己の心と向き合っていた。

 そして、屈強な侍女はある決意を固めた。


「お嬢様」

「何?」

「貴方の想いは伝わりました。……私も一緒に行きます」

「えっ?」


 モニカは驚きの余り声が出なかった。まさか、マルグリットが味方してくれるなんて想像もしていなかった、と言いたげな表情が前面に出ていた。

 マルグリットは口角を少し上げて言った。


「何をそんなに驚いてらっしゃるのですか? 私は貴方の護衛かつ侍女ですよ? 貴方の身の回りの世話をするのが私の役目ですから」


 そう言って彼女は噴水の縁から降り、モニカの目の前で片膝を付き、頭を下げた。


「お嬢様一人で行かせる訳には参りません。このマルグリッド・グレースがモニカ様の剣となり盾となります!」


 その言葉からはダイヤモンドのように硬い決意と覚悟が込められていた。

 モニカも縁から降りてマルグリットの両肩に手を乗せ、改めて伺った。


「本当に私を外の世界に連れてってくれるのね?」


 マルグリットはキリッとした目つきで答えた。


「二言はありません」


 二人はお互いの意思を再確認し、王城から外に出る中庭の出口まで歩こうとした時、マルグリットが片手でモニカを制した。


「どうしたのよ急に」

「……様子がおかしい」


 モニカが辺りを見回すが何も変わった様子は無く(先程の戦いで私物が散乱しているが)、小声でマルグリットに確認する。


「何も無いじゃない」

「……静か過ぎるんです」

「静か過ぎる?」

「私達が中庭に入ってしばらくの間、虫の鳴き声とか鳥の微かな声が聞こえたのですが今は何も聞こえません──嫌な予感がします」


 モニカは耳を澄ますと、確かに虫や鳥の声は聞こえないどころか、噴水から出ている水の音が一切聞こえなかった。この空間の全ての音が無くなってしまったかのように。

 二人は辺りを警戒していると、突然、耳鳴りが発生した。

 耳の奥で鳴り響く不快な音。

 後を追うかのように頭痛もやって来て、二人は苦悶の表情で呻いていた。


(あ、頭が……。な、何が起こって……)


 その時、何者かの声が二人の脳内に響き渡る──その声は、性別が分からない程低くしゃがれていて、身体の神経が震える位に耳障りであった。


「ご名答。流石は『闇夜の執行人』ね」


 声の主はそう言って笑い声を上げると、上空には赤みがかかった厚い雲が出現し、空全体を一瞬で覆い尽くしてしまった。

 モニカは目の前の状況に理解が追いつかず、マルグリットの腕に絡み付く──その姿はまるで捨てられた子犬みたいに震えていた。

 マルグリットは自分の背中にモニカを誘導し、地面に落ちてた剣を拾って身構えた。


「誰だ!」マルグリットは叫んだ。「こんな幻覚を見せてないで姿を見せなさい!」

 

 声の主は笑いながら言った。


「そんなに怖がらないでよ。私は貴方達を助けたいだけなのよ」

「貴様の目的は何だ?」


 マルグリットの質問に対し、少し間を空けて答えた。


「貴方達の決闘を見てたわ。中々腕が立つじゃないの。これなら〈黄金のネモフィラ〉を探し当てる事が出来るかもね」


 その言葉にモニカが反応した。


「〈黄金のネモフィラ〉の事を知ってるの!?」


 マルグリットは直ぐさまモニカを制止した。


「ダメですお嬢様! 敵の罠かも知れません」

「敵だなんて……そんな冷たい事を。まあいい、貴方達を〈うごめく森〉へ案内するわ」


 声の主はそう言って何やらブツブツと呪文を唱え始めた。

 すると、遠くの方で水の流れる音が聞こえてきた。

 まるで二人に接近するかのようにその水音は徐々に大きくなっていく。

 ただならぬ異変に二人は後ずさりしようと足を動かす。


 コツッ……コツッ……ビシャ……バシャ、ビチャッ。


 水飛沫の音に驚いた二人は足許に視線を移すと、思わず目を疑ってしまった。

 自分達が立っている場所──白いタイルで舗装された地面──は、赤黒く禍々しい水に浸されてしまった。

 この水は何処からやって来たのか(あまりにも唐突過ぎて理解が追い付いておらず)、彼女達は視線を下に向けたまま瞳孔を世話しなく泳がせていた。

 マルグリットは、これは幻覚であり私達を撹乱させてるに違いない、と必死で冷静になり、魔法の発生源を探り出そうと辺りを見回す。

 上空に掛かっている赤みがかかった厚い雲、中庭を取り囲む白い壁、綺麗に整えてある草木の列を注意深く見つめる。

 そして、中庭のシンボルである噴水に目を向けた。

 噴水の中央にそびえ立つ天使像の両目から赤黒く濁った水が溢れ出ていた──まるで血の涙を流すかのように。

 その水は真下へと流れ、噴水池に溜まっている水は赤黒く濁り、ひび割れてしまった縁の部分から漏れ出して二人の足元に流れて着いている。

 マルグリットは直感であの天使の像が怪しいと踏んで走り出そうとする。

 しかし、噴水池の中から、木の枝みたいな触手が無数に飛び出してきた!

 触手は二人に向かって襲いかかろうとするが、マルグリットは素早い剣捌きで切り刻んだ。

 大小バラバラに切断された触手は、水浸しになっている地面に散乱してしまう。

 そしてマルグリットは、まだ噴水に沢山残っている触手に向かって叫んだ。


「モニカお嬢様に指一本でも触れてみなさい。私が即座に斬ってやるから覚悟して──」

「いやあああああああああ!」


 モニカの悲鳴が中庭に響き渡った。

 マルグリッドが驚いて後ろを振り返ると、さっき自分が斬ったはずの赤黒い触手がモニカの身体中に纏わり付いていた──まるでヒルのようにうねりながらモニカの足首、腰回り、両肩、側頭部に引っ付いて離そうとはしなかった。

 モニカは恐怖で涙目になりながらも必死で引き剥がそうとするが、もがけばもがくほど触手が絡み付いて身動きが出来なかった。


「お嬢様!」


 マルグリットは慌ててモニカの所に駆け寄り、お嬢様の身体にいやらしくへばりついている触手を引き剥がそうとする。

 だが、噴水に背を向けてしまったのが運の尽きだった。

 新しい触手がマルグリットに向かって忍び寄り、背後から彼女の身体を抱きしめるかのように巻き付けた。

 不意を突かれたマルグリットは抵抗しようとするが、背中に激痛が走って力が入らなかった。

 噴水から一本、二本、三本と触手がゆっくりと出現し、二人の身体を雁字搦めに縛り上げていく。

 身動きが取れなくなってしまった二人を嘲笑うかのように正体不明の声の主は言った。


「フフッ、どう足掻いたって無駄よ。私の魔法は一筋縄じゃ行かない。それじゃ、健闘を祈るわ。……精々、楽しませてね」


 身動きが出来なくなった二人は、赤黒く濁った噴水池の中に引き摺り込まれて行く。

 最初に両脚がズブズブと沈み込み、ゼリーみたいな感触に思わず悪寒が走ってしまう。

 そして、太腿、腰、胸の位置まで水中に飲み込まれていく。

 マルグリットは必死で抵抗し、真横にいるモニカに声を掛けた。


「お嬢様、大丈夫ですか!?」

「……」


 モニカは気を失ってしまい、首の位置まで沈み込んでしまった。

 マルグリットは懸命に片手を伸ばしてモニカの服の端を掴もうとするが、水の中で指を動かしているだけで何も掴む事は出来なかった。

 気絶してしまったモニカは、血のような池に完全に沈んでしまった。

 沈んだ直後、小さい気泡が水面上に浮かんでいたが直ぐに消えていった。

 お嬢様が沈んでしまったのを目にしたマルグリットは、やり場の無い怒りと無力感が込み上げていた。

 そんな彼女も抵抗出来ずに首の位置まで沈み込み、真上を見上げて声を上げた。


「くっ、離せ! このぉ……うっ、ゴポッ……」


 ズズ……ズブブ、ドプンッ……。


 二人は完全に赤黒い噴水の池に沈んでしまった。二人を呑み込んだ後、噴水はいつも通り綺麗な水に戻っていた。

 まるで何事も無かったかのように。

 こうして美女二人の冒険は、静かに幕を開ける……。

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