第七話 決闘
初秋のまだ温かい空気が流れ、鈴虫やフクロウの声が聞こえる中庭の噴水近くで二人は向かい合っていた。
モニカは腰に付けてあったロングソードを鞘から抜き、戦闘態勢に入る。
構え方は様になっていて一見隙が無いように見えるが、グリップ部分を持っている両手が小刻みに震えていた。
今まで模造の剣だけを使って練習していたが、本物の剣を扱うのは──モニカにとって──初めてである。
それに、モニカが手にしている剣は安物──装備屋でがめつい亭主の口車に乗せられてしまい、結構な額を払ってしまったんだろう──であり、所々錆付いている部分が遠目でも確認できてしまう。
マルグリットは益々、モニカお嬢様を外の世界に行かせる訳には行かせない、多少なりとも痛い目を合わさないと止める事は出来ない、と思って鞘から剣を引き抜いた。
だが、モニカを極力傷つけたくないマルグリットは、改めて説得した。
「モニカ様、自分が何をしているか分かってるんですか?」マルグリットは声を上げた。
「貴方一人で外の世界に出るのはいくらなんでも危険です。少しは大人になって──」
「うるさい!」モニカはマルグリットの説得を遮って一喝した。
「あたしはね、ただアリアを救いたいだけなのよ。それなのに、周りの人間は誰一人としてアリアを助けようとしない──お父様も、アルフレッドも、……マルグリット、貴方も同類よ」
マルグリットは一切口を挟まず、モニカの顔を真っ直ぐ見つめる。
その視線の先には、悲しさと呆れ、怒りが入り混じった第一王女の瞳が大きく揺れていた。
家族を助けたいという思いがひしひしと伝わってくる。
モニカは自分を嘲笑うかのように言った。
「どうせ、私は世間知らずのお子ちゃまなのよ。町の皆も、城の皆も心の中ではあたしの事を見下してるんだわ。ええ、きっとそうよ」
マルグリットは首を振って反論した。
「お嬢様、それは違います! ゼレスティン領の人達はみな、貴方の事を心から愛しています」
「口だけなら何とでも言えるわよ。もし、あたしの事を本当に愛しているのなら、何で私を外の世界に連れてってくれないの? 誰に言っても『外は危ない』、『城下町にいる方が安全だ』、そんな事ばっかり言って私を止める。もう、うんざりなのよ……」
モニカは自分の気持ちを吐き出した後、マルグリットに二,三歩詰め寄って言った。
「貴方も私を止めるのなら、ここで貴方を殺す。例え自分がどんな目に遭おうが、邪魔になる奴らを全員殺してやる。それが私の覚悟よ」
ロングソードを持っているモニカの両手の震えは無くなり、重心を低くしてマルグリットに斬りかかる。
間一髪で躱したマルグリットは、距離を取って再び説得しようと試みるが、もう何を言っても無駄であった。
モニカは素早い足取りで間合いを詰め、マルグリットに連続斬りをお見舞いするが全て剣でガードされてしまう。
防御ばかりで一度も反撃してこないマルグリットに対し、苛立ちを隠せないモニカは息を切らしながらも挑発の言葉を並べ始める。
「なんで攻撃して来ないの? あたしの事が怖いんでしょ? 元傭兵だかなんだか知らないけど色んな人と戦って来たんでしょ? この五年間で力が無くなったんでしょうね。ほんと、憐れな人」
モニカがそう言うと、マルグリットの動きがピタリと止まった──手や足、肩の上下の動き、愛すべきお嬢様と一戦を交えるのが心苦しいと分かる表情は一変して、無表情のまま冷たい目でモニカを見ていた。
唯一動いている黒髪は風で揺れているだけ。
人形の様に動かなくなってしまったマルグリットを見て、モニカはヒリついた空気を感じ取る。
マルグリットは”本気”になっている。『闇夜の執行人』と呼ばれているもう一つの顔が目の前に現れている。
もし、本気になったマルグリットを倒す事が出来れば──自分はこの国の──最強の人間になる事が出来る、と思ったモニカは武者震いをしていた。
モニカは呼吸を整え、再びマルグリットに襲いかかる──電光石火の如く素早い動きで剣を振るうが、『闇夜の執行人』は、突きを横に避ける、横からの斬り込みは剣でガード、上からの叩き斬りはバックステップで回避する動作を瞬時に繰り出し、大振りになった所を剣で弾き返す。
すると、モニカのロングソードは真っ二つに割れてしまった。
鈍い金属音が中庭に鳴り響くのと同時に刃先が空しく落ちてしまった。
モニカは頭が真っ白になってしまい、数秒間、折れてしまった自分の剣を見つめてしまう。
そして、マルグリットが追撃の一発──剣の柄頭でモニカの腹部に当てる──を放ち、モニカはその場でうずくまってしまった。
「ガハッ……ゴホッ……ウエッ……」
唾液を垂らし、声にならない声でうめくモニカ。
だが、マルグリットは目の前で苦しんでいる第一王女を心配する素振りは一切見せず、無表情のまま彼女を見下ろしていた。
「お嬢様、これが貴方の実力です。それに、何ですかその剣は? こんな鈍らの剣を使って勝てるとでも思いですか? 外の世界は、一人で出歩ける程甘くは無いです。殺し合いにルールなんてありません。それに、襲ってくるのは人間だけじゃなく、凶暴なモンスターもそこら中にいます。背後からの奇襲、魔法を操って目の前の獲物を狙うモンスターも沢山います」
マルグリットが説教をしても、モニカは顔を上げずにその場で小さくうずくまっていた。
話を聞いているのか聞いていないかは不明だが、意識はハッキリしている──呼吸をする度に背中が伸縮している──為、マルグリットは彼女の意思を確認する事など無く、淡々と説教を行っていた。
「──もし、まだ反抗して来るなら今度は徹底的に痛めつけますよ。国王にもこの事を報告して──」
「アイスアロー!」
突如顔を上げたモニカは右手を出し、マルグリットに向けて氷の矢を解き放った!
マルグリットは咄嗟の反応で横に回避するが、脇腹を掠ってしまい服の一部分が凍ってしまった。
モニカは屈みの姿勢で懐に収めていた革製のムチを取り出し、相手に向けて振るった。
マルグリットは両腕でムチを防ぐが、運悪く自分の右手首──剣を持っている方──に当たってしまった。
痺れるような痛みに耐え切れず、マルグリットは剣を落としてしまう。
慌てて剣を左手で持とうとするが、今度はモニカに腹部を蹴られてしまった。
吹っ飛ばれたマルグリットは、両足で踏ん張ろうとするがブレーキはかからず、背後にあった噴水の縁に激突してしまう。
背中を強打し、縁の一部分が損傷してしまった。
マルグリットは、背中と腹部の痛みで片膝を付き、痛みに耐えようと苦悶の表情を浮かべていた。
そんな時、モニカが、マルグリットにゆっくり──まるで勝利を確信したかのような、余裕を感じさせる歩き方──と歩み寄った。
ケープマントを羽織り、白のブラウスと茶色のコルセットを組み合わせた軽装備が月光に当たって煌びやかに見える。
茶色のニーハイブーツの靴音をわざとらしく鳴らし、ムチを自由自在に操りながらモニカは言った。
「フフッ、ビックリしたでしょ?」
どうだ、と言わんばかりの自慢げな表情を浮かべて、マルグリットを見下ろすモニカ。
マルグリットは立ち上がろうとするが、腹部と背中が燃えているかのような激痛を感じていた。
右手は痺れて動けなくなり、脇腹は凍ってしまって思う様に立てなかった。
予期せぬ連続攻撃を食らって体力を消耗したマルグリットは、四つん這いの体勢でモニカの顔を見上げているだけであった。
たった数秒で形成が逆転してしまう、こんな事が未だかつてあったのだろうか、とマルグリットは頭の中で疑問を抱いていた。
モニカは両頬にえくぼを作り、マルグリットに言った。
「どうしたの、闇夜の執行人さん? これが貴方の実力なの? 殺し合いにルールは要らないんでしょ? さあ、どうする? あたしの事を黙って見逃すか、それともここで殺されたいのか、どっちか選びなさい! 今、ここで!」
モニカはそう言って、腰のベルトから短刀を抜き出してマルグリットに向けた。
だが、マルグリット本人は少し笑みを浮かべていた。
この五年間、モニカに対して厳格な指導を行ってきた自分がここまで追い詰められた事は一度も無く、逆に新鮮な気持ちであった。
屈辱的だが、お嬢様の成長を(物理的に)痛感して嬉しい気持ちである。
モニカは、口角を上げているマルグリットの顔を見て薄気味悪さを覚えるが、自分が出した問いに答えておらず、早く答えを出すよう促した。
「考えてる余裕は無いわよ。もし、答えなかったら……どうなるか分かってるよね?」
「……」
マルグリットからの返事は返って来ず、モニカの顔をジッと見つめている──その瞳から敵対心や殺意は一切感じなかった。
「何とか言いなさいよ。……こっちを見ないでよ!」
マルグリットは覚悟を決めていた──手元には武器も何も無く、身体中の痛みが全身を駆け巡って動けず、反撃の仕様が無かった。
だが、モニカはマルグリットにとどめを刺さず、動揺していた──武器をちらつかせるか、脅し文句を並べておけば素直に言う事を聞いて見逃してくれるだろう、と考えていたが、マルグリットは何も言わずにただ無防備の体勢のまま自分の事を見つめているだけでこれ以上どうするべきか考えていなかった。
マルグリットは首を横に振って言った。
「本当に、貴方はお優しい方だ」
「えっ、どういうこと?」
「言葉の通りの意味です。だからこそ、皆に愛されている、守りたくなってしまう存在なのですよ」
意味が分からず、唖然とするモニカ。
続けてマルグリットは言った。
「ですが、そこが大きな弱点です」
「さっきから何言って──ッツ!」
マルグリットはモニカに抱きつくように体当たりした。
モニカの手に持っていた短剣は手から離れてしまい、近くの草むらに飛んでいってしまった。
二人一緒に地面に倒れてしまい、モニカは慌ててムチを取り出そうとするが、マルグリットに横取りされてしまう。
そして取り上げたムチをモニカの首に巻き付けるマルグリット。
マルグリットに馬乗りされて身動きが出来なくなったモニカは声を震わせていた。
「卑怯よ! 不意打ちなんて!」
「貴方も同じような事をしましたよね? これでおあいこです」
大声で威嚇する猫をなだめるかのようにマルグリットは冷静な態度で反論する。
だが、モニカは不適な笑みを浮かべて言った。
「あたしを殺すの? やれるものならやってみなさいよ! この国の第一王女を殺したら、どうなるか分かってるの?」
その言葉に対し、マルグリットの眉間のシワが深く形成され、ムチを握り絞めている両手が左右に離れていった。
ギリリと音を立てながらモニカの首が締め付けられていく──首から上の皮膚は赤く変色し、血管が浮き出ていた。
マルグリットは低い声で言った。
「わたしは殺れますよ……。まだまだ未熟なお嬢様とは違ってね……」
モニカは首とムチの間に何本かの指を潜り込ませたが、締め付ける力が段々と強くなり、指先の感覚が無くなっていた。
口先から泡と唾液が湧き出て苦しんでいるモニカ。
その姿を見たマルグリットは、慌ててムチから手を離す。
一時酸欠状態になったモニカは苦しい声を吐き続けていた。
「ゲホッ! ゴホゴホッ! アガッ……ハァハァ……ううぇ……」
マルグリットは自分の両手を見下ろし、小刻みに震えていた。
──今、自分は何をしたのか? お嬢様の挑発に乗っかってしまい、その後……。
自分の事を家族の一員として接してくれる活発で優しいモニカお嬢様をこの手で──。
事の重大さに気付く時間はそんなに掛からなかった。
マルグリットは視線を前に向けると、地面に顔を伏せて咳き込みながらも泣きじゃくっているモニカの姿を捉えた。
「うわあああああ……。ひぐっ、ゴホォ。えぁぁ。な、なんで、なんでいつもこうなの……」
モニカは大声で泣きたいのだが、さっきまで首を絞められて喉の奥には唾液や痰が溜まっていた為、思い通りに声を出す事は出来なかった。
それと同時に身体中の痛みがジワジワと襲いかかってきた──アドレナリンが切れてしまい、神経が悲鳴を上げていた。
マルグリットは罪悪感を感じながらもモニカの元に行こうとするが、こっちも同じく痛みが走って一歩も動けなくなり、その場で倒れてしまった。
お互いの武器は地面に転がり、ひびが入った噴水の縁の部分からは水が滴り落ちていた。
誰もいない中庭で起こった二人の決闘は静かに終わりを迎えるのであった。




