第三話 旧友との再会
翌朝、この日の食事会場のテーブルには、フリード国王ただ一人だけ座って食事していた。
先に朝食の準備をして待っていた使用人達には普段と変わらずに挨拶を交わしたのだが、いつも聞いている国王の挨拶の声が低くなっている事に使用人達は驚いていた──昨日の夕方頃、アリアが体調不良で寝込んだ事は知っているが、その後の騒動の事は知らない。
モニカが食事会場に来ない理由は、大体察しが付く──アリアの体調悪化を聞き、ショックで寝込んでいるのだろう──が、その異様な光景に戸惑いを隠せなかった。
そんな時、一人のメイドが会場に入り、小走りでフリード国王に駆け寄る。
メイドは耳打ちで、モニカお嬢様は部屋に鍵を掛けたまま出て来ません、と報告したが、本人は目をチラッとメイドに向け、そっとしときなさい、とだけ伝えた。
指示を受けたメイドは一礼をして、そそくさと部屋を後にした。
その後は何も言わず、若干不機嫌な表情をしたまま黙々と朝食を口にするフリードをよそに、部屋にいた使用人や兵士達の間には謎の緊張感が走っていた。
その中にマルグリットとアルフレッドもいたが、真相を知っている二人の距離は遠く離れていた──勿論、親子喧嘩の事は誰にも口外していない。
◇
その日の正午。
ゼレスティン王国冒険者ギルド〈セルディウス〉にて。
受付嬢のミアは、営業スマイルを武器に一日何十人もの冒険者達を相手にしていた。
この仕事に就いてまだ三年目の若手職員である彼女は、特徴的な髪型──艶やかな緑色の長髪をおさげ三つ編みにしている──と若干あどけなさが残る愛おしい顔つきで評判があり、巷では〈セルディウスの女神〉とまで言われている。
冒険者がクエストを達成し、ギルドの正面扉を開けた瞬間、受付カウンターから放つ彼女の眩い笑顔に圧倒され、疲労困憊だったパーティー全員の体力と魔力が全快したという逸話がある。
常時、人手不足だったギルドはミアの加入によって仕事がスムーズに回るようになり、ミアと友達になりたい、一緒に仕事をしたいという願望を持った若い女性達が次々と応募して来るようになった。
そのお陰もあってか施設内は大いに繁盛している反面、冒険者同士の争い事や新人冒険者の苦悩、更には他の受付嬢をナンパする人への対処など様々な悩みの種が増えてしまっていた。
あまりの激務に体調を壊して辞める人も少なく無かったが、〈セルディウスの女神〉は顔色を変えず、悩みの種を一個一個取り除いていった──特に争い事とナンパの件は、他の人には見せていない【もう一つの顔】を見せた時、相手は顔面蒼白で逃げ出してしまった。
だが、新人冒険者に対しては、女神の微笑みを浮かべながら新人の行先を丁寧に指導していた。
気付けば夕方。
今日の仕事を終えたミアは、目の前にある書類の山を丁寧に振り分け、番号が書いてある棚に向かい、一枚ずつ確認しながら棚の中に納めていく。
書類の振り分け作業が終わって一息つこうと所定の受付カウンター内席に座ろうとした時、閑散としているテーブル席にフード付きのクロークを身に纏った人物が座っていた。
受付口の窓越しから見ているので顔は分からないが、直感で不審人物だと思い、真横にある【職員専用扉】と書かれたドアを開けて、その人物に歩み寄る。
「あの、どうされたんですか? ご気分が悪いんですか?」
クロークの人はフードを被り、顔の下半分はフェイスマスクを着用していた。
ミアは恐る恐るその人の顔を覗くように見ると、フードとフェイスマスクの間から綺麗な金髪がさらりと出てきた。
「あっ」ミアはその金髪を見て驚きの声が上がったと同時に、その人物はフェイスマスクを下げてミアに素顔を見せた。
「久しぶりね、ミア」
「モニカお嬢様!?」
◇
二人は裏口から外に出て人気のない路地裏に入り、二年ぶりの再会を果たす。ミアは泣き出しそうなくらいに感激していたのだが、モニカの方は控えめな表情で口角を少し上げるだけだった。
「モニカお嬢様、少し見ない間に大人に成りましたね!」
ミアはモニカの手を取ってお嬢様の温もりを感じていた。
モニカは若干照れながら言った。
「ありがとう、貴方は相変わらずね。──ミアが王城のメイドを辞めてもう二年も経つのかぁ。すっかりギルドの仕事に慣れているわね」
「ええ、まぁ。王城に仕える以前は、別の国で似たような仕事をしていたので」
「そうなの? そんな事言ってたっけ?」
モニカの質問に対してミアは目線を下に向け、俯いたまま口を閉ざしてしまった。
一瞬、聞いちゃいけない事なのかと焦ったが、ミアは顔を上げてモニカに微笑んだ。
「……実は内緒にしてました」
「内緒?」
「はい、一生忘れられない出来事がありまして。……でも、本当は忘れたいんです。だから、他の国に移住して新しい自分に生まれ変わろうと思ったんです」
ミアはそう言って笑みを浮かべているが、目の色や光には負の感情が入り乱れていた。
モニカは、本当の感情を必死に隠そうとしているミアを見て心配な表情を浮かべていた。
だが、それと同時に彼女の事を羨ましがっていた──新しい自分に生まれ変わりたい、例え周りが邪魔して来ようと自分の道を突き進むしかない、とモニカの心は静かに燃え上がっていた。
「ところでモニカ様、今日はどの用で来られたのですか?」
モニカはここに来た目的を一瞬忘れてしまい、少しばかり焦ってしまう。
「えっ、あぁそうだったわ。今日は貴方に聞きたい事があって」
「聞きたい事?」
モニカは真剣な表情でミアを見つめる。
「ミア、これから私が言う事に笑わないでよ?」
笑わない? 一体どういう事なのか、ミアの頭の中には疑問符で一杯だった。
とりあえず話を聞くまではこっちも真剣な態度で対応しなければと思い、真っ直ぐな目でモニカの顔を見やった。
「はい。何なりとお申し付け下さい」
少し間を置いた後、モニカは言った。
「ミア、〈黄金のネモフィラ〉って知ってる?」
黄金のネモフィラ、その言葉を聞いたミアは何とも言えない表情をしていた──少なくとも笑ってはいないが、残念な気持ちも含まれている。
ミアは腕を組み、目の前にいる第一王女にどういう言葉を返したらいいのか悩んでいた。
《やめといた方がいいです》、《どこからそんな情報を聞いたのですか》、《私の口からは何も言えません》などの言葉が頭の中に残るのだが、どれも適切な答えではなく──かといって不正解でもない──頭をフル回転にして他の言葉を見つけ出そうとする──仕事が忙しくて疲れているのか、この日は全くと言って良いほど柔軟な考えが出来なかった。
モニカ自身も馬鹿げた事を口にしてしまったと内心呆れてしまうが、その呆れた気持ちは心の奥底に追いやって旧友の元に尋ねて来ていた。
「……」
「……」
少し経った後、モニカは諦めた表情でミアに謝罪した。
「ごめんなさい、ミア。困らせる様な事を言っちゃって。……今日はもう遅いし帰るわね」
そう言ってミアに背中を向けて裏路地から出ようとするが、ミアは引き止めた。
「待って下さい! もしかして、アリアお嬢様を助ける為ですか?」
モニカは驚きの表情で振り向いた。
「なんでその事を?」
「もう忘れたんですか? 私はギルドの仕事に就く前にお嬢様の元で一年間働いていた事を。……王城の知り合いから聞きました」
そうだった、すっかり忘れてしまっていた。ミアは職業柄、このゼレスティン王国のありとあらゆる情報に目を光らせている事を。
再度、ミアの元に近づいて話を伺うモニカ。
「じゃあ、何か知ってるのね? 〈黄金のネモフィラ〉の事を」
「……お嬢様はあの本をお読みになられたんですよね?」
あの本──『ログフェスト大陸の都市伝説を追え』の事だろう。
モニカは、目線を下に落として小さく頷いた。
ミアは納得した表情で言った。
「大きな声じゃ言えないのですが、ここ数年の間に〈黄金のネモフィラ〉を探そうとする人が増えて来ているんです。あの本はあくまで都市伝説をまとめた書物ですから、確固たる証拠はどこにも存在しません。ですが、それを信じる人は予想以上に多いんです。……特に新人冒険者さんは」
ミアはそう言って王女の顔を見つめた──この方は、愛する家族を救う為に一人で外の世界に旅立つのだろう。だが、いくらこの国の王女であっても外の世界では通用しない。そんじょそこらの野蛮人に捕まって金と体を根こそぎ奪われてしまうのがオチだ。
〈セルディウスの女神〉は決して微笑まず、一段と強い口調に変えて言った。
「モニカ王女、無謀な考えは止めといた方が身のためです。外の世界はハッキリ言って危険過ぎます。王女、これは私からのお願いです。どうか──」
「貴方もわたしの事を止めるの?」
ミアの話を遮るかのようにモニカは言った。
モニカの身体は震え出し、着用している黒ズボンのわたり部分を強く掴んでいる。
唇を噛み締め、悔しさと怒りが入り交じった茶色の瞳は微かに潤んでいた。
「……確かに貴方の言ってる事は間違ってないわ。でもね、そんな悠長に待っている訳には行かないの。待っている間にアリアが目を覚まさなくなったらどうするの? そんなの後悔するだけじゃ収まらないわ!」
口調が激しくなり、ゆっくりとミアに詰め寄って行く。
モニカは自分の今の気持ちを素直に吐き出した。
「私はお金目当てで冒険者になってる人達とは違うわ。私の目的は二つ、一つは家族を救うため。もう一つは、何も知らないまま過ごして来た私にとって外の世界は魅力そのものなの。だから、この王国から抜け出して大陸中を駆け巡りたいの!」
モニカはミアの両腕を掴み、改めて懇願した。
「お願い、力を貸して! 〈黄金のネモフィラ〉の情報を教えて! 細かい事でも何でもいいから!」
「ちょっ──痛いです! 落ち着いて下さい! モニカお嬢様……やめて!」
高い建物に挟まれた誰もいない裏路地にて二人の女性が大声を出して争っている最中、大通りを行き交う人達はその声に視線を向けるが──単なる痴話喧嘩なのだろうと思い──、視線を戻して自分達が行きたい方向に向けて歩いて行った。二人のやりとりを目撃しているのは、夕方の合図を知らせてくれる複数羽のカラス達だけだった。
ミアの両腕を強く掴んで身体を揺さぶってしまったモニカは慌てて手を離した。
つい興奮してしまったのか、自分の手のひらを見ると手汗が噴き出し、皮膚は真っ赤になっていた。
ふと視線を前に向けると、両腕をかばって痛がっているミアがそこにいた。
モニカは急いで謝罪した。
「ご、ごめんなさい! つい……」
「……」
ミアは冷静になろうとして小さく、そして早く息を繰り返している。
王女に掴まれた部分は熱く、ジンジンと痛みが疼いていた。
モニカは神妙な面持ちでミアに近づこうとするが、ミアは反射的に後ずさりしてしまう──二人の距離は、実際の距離より遙か遠く離れてしまった。
モニカは自分の事を慕ってくれる友達に対し──意図的ではないが──手を出してしまった行為を悔やんでいた。
多分、これ以上何言っても聞いてくれないと感じ、再びミアに背中を向けて歩き始める。
大通りに出ようとした瞬間、後ろから手首を掴まれた。
今度は身体を回さずに首を右に九十度回し、横目で見るとミアが半泣き顔で王女の手首を掴んでいた。
ミアは震えた声でモニカに言った。
「も、申し訳ありません……ネモフィラの事については、い、色々と聞かれたりしたのですが、わ、私自身も知らないのです。だ、だから……」
「……分かったわ、ありがとう──元気でね」
感謝の言葉をミアに告げると、大通りにいる群衆の中に消えていった。
ミアはその場──日の光が当たらない裏路地──でしゃがみ込み、自分の無力さを痛感していた。
何もする事が出来なかった。しかも、自分の事を気に掛けてくれる国の王女様に対して距離を置いてしまった。ミアは自分自身を責めてしまい、その場から動けなくなってしまった。
裏路地を挟んでいる建物の屋根から複数羽のカラス達が、小さく丸まっている受付嬢の背中を見下ろしていた。




