第四話 曇だらけの心
マルグリットは任務の一環として、ゼレスティン王国が管轄する城下町の警備に当たっていた。
町の治安を守る為に朝から晩までの間、町の隅々まで目を光らしている──特に夜の時間帯は、不届き者が出没する為、活動が盛んであった。
悪事を働いた者はその場で捕まえ、城下町に複数点在している牢屋にぶち込むまでが彼女の任務である。
マルグリットがこの王国に来てから早五年、城下町の治安は著しく良好になりつつあった。
例え、その不届き者が女性であろうが、子供であろうが、一切容赦なく牢屋に入れてしまう躊躇無き姿勢、類稀な剣術と体術を駆使して抵抗する者を一瞬で制圧するなど、貢献度の高さは計り知れない。
町の人々は、そんな彼女の事を『闇夜の執行人』と呼ばれ、密かに恐れていた。
だが当の本人は、この二つ名を知ってはいるがあまり好きではない。
マルグリットはこの日、石畳で舗装された大通りを警備していた──町を行き交う人々、露店で何を買うのか迷ってる人、近くの公園で遊ぶ子供達の活発な姿、一見何も無さそうに見えるのだが、『闇夜の執行人』は決して油断はせずに監視を続けていた。
だが突然、彼女は公園のベンチに座り、空を見上げてぼんやりとしていた。
(モニカお嬢様、部屋に籠もって今日で三日目か……)
忘れる事が出来なかった。三日前の出来事を思い出しただけで胸が苦しくなる。
モニカお嬢様が自分に刃を突きつけた日の夜、あの時は自分の行動を後悔していた──何一つ慰めの言葉を言わずに部屋から出て行ってしまった事もあるが、自分の眉間に刃が向けられた際、一瞬だけお嬢様に敵意の目を向けてしまった事だ。
この時点で対立してしまい、どう修復すれば良いのかも分からない。
マルグリットはここ数日、昼間の公園のベンチに腰掛けながらそんな事を考えていた。
公園で遊んでいた子供達は、そんな彼女を遠くから観察していた──無論、彼女の顔と名前と二つ名は知っている為、なかなか声を掛けづらかった。
(マルグリットさん、今度は何を監視しているのかな?)
(そりゃあ決まっているよ! カラスだよカラス! 最近、屋台の食べ物を狙ってやって来る不届き者達を成敗する作戦を練ってるんだよ)
(すげぇや! あの人のお陰でこの町は平和だからな。……皆でお礼を言いに行こうぜ)
(バカ! 今、マルグリットさんは仕事中だ! 下手したら牢屋に連れて行かれるぞ)
(あっ、そうか……。仕事の邪魔しちゃ悪いから別の所で遊ぼうぜ)
(賛成)
子供達はひそひそと話し合い、公園を後にした。
マルグリットはそんな子供達のやり取りにも気がつかず、スズメのつがいが仲良く上空を飛び回っている姿を眺めていた。
(スズメさん達が羨ましい。あんな風にお嬢様と仲直りしたい)と、心の中で呟いていた。
マルグリットがベンチに座ったまま動かなくなって数時間後、誰かが彼女の肩を二回叩く。
振り返ると、お団子頭の中年女性が心配した面持ちでマルグリットを見下ろしていた。
「マルグリット? どうしたのよ、ボーッとしちゃって」
「あっ、ロドニーさん。こんにちは」
マルグリットはすぐさま立ち上がり、ロドニーに一礼する。
ロドニーは町の外れにある図書館の館長を務め、誰に対しても臆せずに話し掛ける事が出来る人だ。
とても気さくな人であり、マルグリットがこの町にやって来て最初にお世話になった人物である。
ロドニーは付けていた眼鏡を再度掛け直し、マルグリットの身体を隅々まで観察していた。
『闇夜の執行人』は、目の前にいる恩人から──頭からつま先まで──目視検査を受けてしまい、困惑した表情でその場に立っていた。
一通りの検査が終わると、ロドニーは顎に手を当ててマルグリットの目をジッと見つめて言った。
「最近、ちゃんと食べてる?」
「はい?」
「町の皆心配してるわよ。ここ数日間、貴方がベンチで一人黙り込んでいる姿を皆が見ているわ」
「えっ……あぁ、そうなんですか……」
「……アリア様の事で悩んでるんでしょ?」
マルグリットは思わず両眉を上げて驚いてしまった──アリアの事も心配ではあるが、それよりモニカと仲違いしている事の方で悩んでいた。
ロドニーは腰に手を当てて胸を張り、ふんっと鼻を鳴らす。
「あたしを甘く見るんじゃないよ。あんたの思っている事ぐらい何でもお見通しさ。……少しは自分の身体を労ってやりなさいよ。週に三日、朝から晩まで町の警備に全力を尽くしてたらそりゃ疲れるわよ。それに加えて、護るべきお嬢様が倒れて心配するのは尚更辛いわ。……あたし達も辛いさ、口に出してないだけで」
ロドニーの言葉に下を向き、ただ黙って頷くだけだった──本当に悩んでいる事を素直に打ち明けたいのだが、それを口に出してしまうとこの人に余計な心配を掛けさせてしまうと思い、言い出す事が出来なかった。
「今の状況は貴方にとって苦しい事だと思う。でもね、ただ黙って考えているだけじゃ何も変わらないよ。そういう時は、美味いご飯を沢山食べて、しっかり寝る事。いいわね?」
ロドニーはそう言ってマルグリットの手を取り、固く握手を交わした。
優しくて包容力のあるロドニーの姿に、彼女の冷え切った心はじわじわと暖かくなっていく──その証拠に、さっきまで暗い影を落としていたマルグリットの表情が宝石のように輝いていた。
ロドニーは、そんな彼女を見て本音が出てしまった。
「……あんたも笑う事が出来るじゃないの」と、呟くように言った。
「えっ?」
「あんた、巷で何と呼ばれているか知ってるかい? 『闇夜の執行人』だって! 聞いて呆れるわ、全く! こんなに笑顔が素敵な女性なのに、町の皆はあんたの事を『鬼』だとか『魔女』だとか恨み言しか言わないわよ! まぁ、ちょっとばかし厳しすぎる所もあるけど……」
(ハハッ……二つ名が増えている……)と、マルグリットは苦笑いを浮かべていた。
それ以降、ロドニーの喋りは勢いを増していった──屋台の食べ物を盗み食いする悪ガキ共、夜中に酒場でどんちゃん騒ぎする冒険者、富豪達の傲慢な態度、いつにも増して舌が回る(鬱憤が溜まっている)ロドニーに、マルグリットは一切口を挟まず、頷きながら聞いていた。
次第に、マルグリットは心の中でこう思っていた。
(この人を何かの間違いで牢屋に入れてしまったらとんでもない事が起こりそうだな……)、と。
一通りの鬱憤を吐き出したロドニーは、喋り過ぎて酸欠状態になってしまったのか、息を荒らくしながら改めてマルグリットに言った。
「まあ、とにかく。一人で抱え込まない事。何かあったら遠慮なく相談して頂戴ね」
「お気遣いありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそごめんなさいね。急に愚痴っちゃって」
そう言って二人は声を出して笑った。こういう友人が一人居るだけでも心強いし、何より素の自分でいれるから気を張らずに済むのだ──マルグリットはロドニーおばさんと出会えた事を心から感謝している。
二人は笑い合った後、ロドニーは何か思いついた様に両手をポンと叩いた。
「あっ、そうだ! アリアお嬢様が寝込んだ日、モニカお嬢様が図書館に来たのよ」
さっきまで笑っていたマルグリットの表情は一変して、真剣な顔つきでロドニーを見つめる。
マルグリットは三日前の昼頃にアリアの事を伝える為、城下町にいるモニカの元に駆けつけた事を思い出していた。モニカがあの時、城下町で何をしていたのか分からなかったが、図書館で本を読んでいたのかと腑に落ちた表情で頷いた。
「モニカお嬢様は、本を読むのが大好きなお方ですからね。それがどうかなさいましたか?」
マルグリットの問いかけに、ロドニーは少しばかり浮かない表情をしていた。
「いや、それがね……あの日、お嬢様はいつもの席で本を読んでいたのよ。あたしは離れた所でお嬢様を見かけたんだけど、本の整理で忙しかったから気にする余裕は無かったんだけどね。しばらく経った後、自分の仕事が一段落ついて受付の席に座ったら突然、鈍くて大きな音が聞こえてきたのよ」
「鈍くて大きな音?」
「ええ。多分、本を閉じる音だと思うの。ウチの図書館、静かで反響音が凄いからね」
「なるほど」
「音がした方向を見たら、モニカお嬢様が足早で、手に持ってる本を元の棚に戻してそのまま出て行っちゃったのよ。そのときのお嬢様、何か思い詰めた顔をしていたわね……」
思い詰めた顔──何故、本を読んでいただけで思い詰めるのか。
マルグリットは不思議に思い、ロドニーに質問した。
「あの、ロドニーさん。モニカお嬢様がその時に読んでいた本って分かります?」
「えっとねぇ……あれ何だったかなぁ……」
ロドニーは、自分の眉間を人差し指で何度も叩き、その時の事を思い出そうとする。
少しの間考え、確証がないという表情でマルグリットに言った。
「いや、本のタイトルは分からなかったけど……お嬢様が本を返した場所は大体覚えているわ」
「どこですか?」
「マルグリット、ごめんなさい。今日は図書館休みなの。あたしはこの後用事があるから、それが済んだら夜にまた会える?」
「ええ、勿論。図書館前で落ち合いましょう」
「分かったわ」
ロドニーはそう言って、足早で去って行った。
辺りはすっかり日が沈み、煌めく月が夜空という舞台に駆け上がる時間帯、マルグリットは王城に向かって歩きながら考えていた──三日前、自分に向けられた刃とモニカの鋭い目つき、ロドニーが言ってた『思い詰めたような顔』、モニカがその時に読んでいた本と何か関係があるかも知れない。
とはいえ、城下町の警備を怠る事は出来ない──この時間帯は特に。
マルグリットは服を着替える為、一旦王城に帰る事にした──いつもの軍服姿だと、かえって警戒されてしまうからである。




