第十六話 エルゼリアの過去
〈うごめく森〉から一時撤退した三人は、エルゼリアの自宅に避難する。
三人の着ていた服は洗濯した後、パチパチと燃えている暖炉の側で服を乾かしている。
全員毛布にくるまりながら、今後について話し合っていた。
「間一髪でしたね。エルゼリアの言う通り、何人も行方不明者が出ている原因はどうもあの沼地みたいですね」
「あの場所だけじゃないわ。あの森一帯は、一見何も無い綺麗な芝生が広がっていると見せかけ、足を踏み入れたら泥沼に嵌まってしまう天然のトラップがそこら中に点在しているの。平らな芝生はなるべく近寄らず、木の周辺を歩いた方が無難だね」
大人女子二人が話し合っている間、十八歳の女の子は無言のまま暖炉の火を見つめていた。
(あの時、マルグリッドが助けてくれなかったら……自分は今頃泥の中に沈んでいたかも……)
毛布を掴む手が震えている──冷たい泥に長時間浸ってた影響なのか、自分の手が冷え切っているのを感じた。
「大丈夫ですか? お嬢様」
声がした方へ振り向くとマルグリッドが優しい眼差しでモニカの手を握っていた。
すごく温かい。自分の手だけじゃなく冷え切っていた心まで温かくなるのを感じていた。
「あ、あの、お嬢様。先程は申し訳ありません」
急に畏まった言い方でモニカに謝罪するマルグリット。
モニカは不思議そうな表情でマルグリットの顔を見つめていた。
「えっ?」
「モニカお嬢様の事を……その……呼び捨てにしてしまって……」
モニカはかぶりを振って言った。
「そんなの気にしないで。私がいけなかったのよ。勝手に突っ走っちゃったせいで二人に迷惑をかけちゃって」
モニカはそう言いながら涙ぐんでいた。
二人の足を引っ張ってしまった事への反省、危うく命を落とす寸前だった事への恐怖で一杯になってしまい、小さな雫が両目から零れ落ちてしまう。
マルグリットは毛布にくるまったモニカを抱き締める。
「お嬢様、大丈夫です。私が守ってみせますから」
「マルグリット……」
エルゼリアもモニカに近づき、彼女の背中を優しくさすり始めた。
「まあ、初めてのダンジョンだからね。気持ちは分からなくもない。けどね、油断してたらあっという間にピンチになっちゃうから今度は用心するように」
エルゼリアの言葉にモニカは顔を上げて深く頷いた。
「うん、分かった。気をつける」
「よろしい。……ところでさ」
エルゼリアの視線はモニカからマルグリットに切り替わり、声のトーンを低くして尋ねた。
「昨日、何であたしの書斎部屋にいたの?」
「……見てたんですか」
「いや、あそこは結界魔法を張っていたからね。侵入者が入って来たかどうか一瞬で分かるの」
マルグリットは昨日の書斎部屋で起きた異変を思い出していた──部屋の中に入った途端、身体が痺れるような感覚に襲われてしまった事。あれは、結界の中へ侵入した時に起きた感覚なのか、と。
「結界魔法。あなたは魔道士なのですか?」
「元・魔道士よ。数年前に引退したの」
「引退?」
「私は昔、冒険者だったの。今はもう引退して隠居生活に突入って感じかな」
そう言ってエルゼリアは腕を組み、訝しげな目つきでマルグリットに尋ねた。
「で? 書斎部屋で何してたの?」
「本を読んでました。エルゼリア、随分な勤勉家ですね」
「ごまかさないで。部屋に入った目的は何なの?」
段々と異様な雰囲気に変わっていき、モニカは毛布を羽織りながら二人の顔色を伺っていた。
「エルゼリア」
「何?」
「自分の書斎部屋に結界魔法を仕掛けるとは随分と用心深いんですね。……何か見られたらマズい物でもあるんですか?」
マルグリットの問いかけに一瞬驚いた表情を出したが、直ぐに冷静な態度に戻った。
「別に。あそこは私の仕事部屋だからね。勝手に入られたら誰でも嫌でしょ? 分かる?」
「……そうですね。それは失礼致しました」
「今謝るタイミングじゃない。マルグリット、もしかして私の事疑ってるの?」
語気を強くしてマルグリットを責め立てるが、彼女は無表情のままエルゼリアの顔を見つめたままだった。エルゼリアは少々不気味さを感じながらも口撃を緩めなかった。
「あなた達を二回助けたのよ? 命の恩人に対して失礼だと思わないの? そんなに疑うんだったらこの家から出て行ってちょうだい!」
そう言って人差し指を玄関の方に向けるが、マルグリットはたじろぐ様子も一切見受けられず、まるで人形のように表情を殺したままエルゼリアを見ているだけであった。
そんな侍女の様子にモニカは気づく。
マルグリットは今、闇夜の執行人に切り替わっている、と。
慌てて侍女を止めようとするが、本人は片手だけ出してモニカを制止し、小声で呟いた。
「お嬢様、大丈夫です。私は間違ってもエルゼリアに手を出したりしませんよ」
モニカはその言葉を信じて二,三歩マルグリットから離れた。
マルグリットはふぅと息を吐き、エルゼリアに対して頭を下げた。
「エルゼリア、あなたを疑うような真似をして申し訳ありません。ですが、これだけは聞かせて下さい」
「何を?」
「この事についてです」
マルグリットは懐から木の枝のような一本の細い棒を取り出して見せた。
その棒は、赤と黒が入り混じった模様が表面に浮き出ており、とても気味が悪い外見である。
「それは?」モニカが尋ねた。「書斎部屋の机の抽斗から見つけた物です。この細い棒……、実は昨日私が見た〈転送魔法陣作成書〉のページに、これと似たような図柄が書かれてありました。エルゼリア、この細い棒は一体何に使うのですか?」
「なっ、何ってそりゃ……」
今まで強気な姿勢を取っていたエルゼリアだが、細い棒を目にした瞬間に視線を外し、口ごもってしまった。
モニカは細い棒をジッと見つめ、何かを思い出したかのように声を上げた。
「これって、中庭の噴水から出てきた触手に似ている!」
忘れもしない、二日前の夜の出来事が鮮明に浮かんで来た。
謎の声が脳内に響き渡り、〈うごめく森〉へ案内する、と言って噴水池から出てきた無数の触手。
その触手の柄が、マルグリットの手にしている細い棒の柄とほぼ一緒であった。
(まさか、中庭で聞こえた声って……)
モニカはエルゼリアに近づき、真っ直ぐな瞳で彼女を見つめ始める。
「私達を〈うごめく森〉に飛ばしたのはあなたの仕業なの?」
さっきまでの威勢は何処に行ったのか、エルゼリアは何も答えず、顔を横に逸らしたまま黙秘を貫こうとしていた。
モニカはそんな彼女の態度が気に入らなかったのか、沈黙している元魔道士の両肩を掴み、激しく揺さぶり始めた。
「何とか言ってよ、エルゼリア。ねぇったら」
必死で訴えても相手はうんともすんともしない。抵抗する意思も持っていない。伏せ目がちで十八歳の女の子に揺さぶられているだけの姿は、抜け殻同然であった。
モニカは我慢の限界に達し、エルゼリアを後ろに突き飛ばした。
エルゼリアは壁に激しく打ちつけられ、その場にしゃがみ込んでしまう。
ドンッ!という鈍い音が家中に響き渡り、壁に飾ってあった盾や剣が一斉に倒れ、乾かしてある三人の衣類までもが地面に落ちてしまった。
その時、エルゼリアの腰に装着してあった大きめのポーチが音を立てて地面に転がり、中身が全部出てしまった。
一枚の紙、コンパス、一冊の本、青白い結晶体、そして……何本もの細い棒(先程マルグリットが取り出して見せた棒である)。
壁に寄りかかり、雪のような白い髪を前に垂らし、うなだれているエルゼリア。
そんな彼女の姿を見たモニカはハッと我に返り、また相手を傷つけてしまったと自責の念が一気に押し寄せてしまい、本人もその場に座ってしまった。
代わりにマルグリットがエルゼリアに近づき、片膝を付いてエルゼリアの目線に合わせて言った。
「エルゼリア、大丈夫ですか?」
その言葉に彼女は微かに首を縦に動かした。
「エルゼリア。私達に何か隠し事があるんですか? 良かったら教えて下さい」
優しく問いかけたお陰なのか、エルゼリアはゆっくりと立ち上がり、近くの座椅子に腰を下ろしてしばらく黙り込み、口を開いた。
「分かった。全部話すわ」




