第十四話 うごめく森
その森は異様な雰囲気を醸し出していた。午後の太陽を隠せる程の高い木々が無数に連なり、二人が歩いている時に聞こえていた小鳥のさえずりや聞き心地のよい風の音が一切聞こえない。
森の入り口付近は天然の洞窟みたいに薄暗く、垂れ下がった木の枝や蔦がより不気味悪さを引き立たしていた。
二人は辺りを見渡し、エルゼリアの姿を探す。
「……まだ来てないですね」マルグリットが言った。「多分、兵士に呼び止められて再度、質問攻めに遭っているのでしょう」
「うん、そうだね。一旦、休みましょう」
モニカはそう言って草原の芝生に座った。
歩き続けて疲れたのか、モニカは右足のブーツを脱ぎ、両手でふくらはぎをマッサージしている。
それを見たマルグリットが近づき、片膝を立ててモニカに声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
「平気よ。ちょっと疲れただけ。それにしても……」
モニカは〈うごめく森〉の入り口付近に目を向ける。
「……あそこの近くでエルゼリアに助け出されたんだよね」
マルグリットも彼女と同じ方向に目を向けて言った。
「不思議な感じですね。”初めて行く”って言うより、”戻って来た”って感じですかね……」
二人がそんな事を話している内に、背後から声が聞こえた。
「おーい! モニカー! マルグリットー!」
二人は声のする方へ振り返ると、エルゼリアが手を振りながらやって来た。
エルゼリアは息を乱しながら二人の元に駆け寄り、笑顔を見せて言った。
「ごめんごめん、兵士に見つかっちゃって。……どうしたの? そんな怖い顔しちゃって」
モニカはかぶりを振って言った。
「いや、なんでもないわ。それよりも早く行きましょう」
そう言って、モニカはブーツを履き直して森の中に入ろうとするが、エルゼリアに止められてしまう。
「待ちなさい、モニカ。急いだって何も変わりやしないよ。私が先導するから、二人は私の後についてきなさい」
二人はエルゼリアの指示に従い、森の中に入って行った。
◇
森の中は想像以上に暗く、数時間前まで雨が降っていた影響で、地面に水たまりが出来るほど道中は荒れていた。当然、道は舗装されておらず小石や木の枝が突き出ていて足元が不安定な状態であった。
三人が歩く度に、バシャバシャと水しぶきが飛び、三人の履いているブーツの足首辺りがじわじわと濡れていく。
エルゼリアは片足を使い、地面が固いかどうか確かめながら二人に声を掛けた。
「二人共、大丈夫?」
「ええ、なんとか、──きゃ!」
モニカは短い悲鳴を上げ、その場で尻もちを付いてしまった。
「お嬢様! 大丈夫ですか?」
マルグリットが声を掛けると、モニカは驚いた表情で侍女を見上げる。
「マルグリット、手を貸して。足が沈んじゃった」
モニカの左足は水たまりの中に突っ込み、膝上辺りまで沈んでいた。
マルグリットは慌ててモニカの両脇の下に腕を回し、手前まで引っ張り出した。
「ありがとう、マルグリット」
「お怪我はないですか?」
「ええ、なんとか」
モニカの悲鳴を聞いたエルゼリアが二人の元に戻って来た。
「お二人さん、大丈夫かい?」エルゼリアは少し笑みを浮かべて言う。
「まだまだこんなの序の口だからね。先に行けばもっと険しい道が続いているから油断しな──うわっ!」
モニカとマルグリットの視界からエルゼリアが消えてしまった──さっきモニカが嵌まったのと同じ水たまりに沈んでしまい、右足が太股の付け根まで地面にめり込んでしまった。
「……」
「……」
「……」
一瞬の出来事に戸惑う三人。
エルゼリアは腰を動かしてその場から脱出を試みるが、全く動けずじまい。
身体を動かしたせいで更に水たまりの中へ沈んでしまう有様である。
彼女は頬を赤くしながら二人に助けを求めた。
「……ごめん。足が抜けなくなっちゃった。手、貸してくれる?」
情けない姿を晒してしまったせいか、なるべく二人の視線を合わせないように両手を伸ばす。
モニカとマルグリットは慌ててエルゼリアの手を掴み、力の限り引っ張り出した。
数分経ってやっと助け出されたエルゼリアは四つん這いの姿勢になり、両肩で息をしながら二人に感謝の言葉を述べた。
「はぁはぁ……。助けてくれてありがと。……本当に。はぁはぁ……」
マルグリットは疲弊している彼女の背中をさすり、優しい口調で声を掛ける。
「エルゼリア、大丈夫ですか?」
「はぁはぁ……。見ての通り、油断するとこんな風になっちゃうから気をつけてね」
「身体を張って教えてくれた事に感謝します」
「どういたしまして。あと少しで日差しが当たる場所に辿り着くからそこで休憩しましょう」
三人は湿気の漂った森の中を歩き続けていると、目の前に光が射し込んでいる広い空間を見つけた。
駆け足でその場所に向かうと、さっきまで自分達が歩いていた薄暗い場所から一転、晴天と太陽に照らされた広い緑の芝生が風に揺れて踊っていた。
モニカは緩やかな芝生の斜面に大の字に倒れ、午後の快晴を全身で受け止めた。
後の二人もモニカを挟んで座り、休息を取り始める。
エルゼリアは腰に付けてあるポーチの中から一枚の紙を取り出して目線を左右に動かしていた。
モニカは横目で、ネモフィラの咲いてある場所を確認しているのかな、と思って声を掛けようとするが、エルゼリアの肩口の延長線上から見える一つの樹木に思わず目が留まってしまう。
モニカはその樹木の幹から生えている少数の青白い花を発見して、思わず声を上げた。
「ねえ、ちょっと。あれ、ネモフィラじゃない?」
他の二人は呆気に取られた表情でモニカの指さす方向に目を向ける。
エルゼリアは目を懲らしつつその花を観察する──三人の座っている位置と青白い花が咲いてある位置は遠く離れていた。
「うーん。確かにあれはネモフィラだね。でも──」
「やっぱり! そうだよね? あれ〈黄金のネモフィラ〉だよね? 早く採りに行かなくちゃ!」
「お嬢様、待って下さい!」
興奮気味のモニカは、二人の話を聞かずに花が咲いてある所まで走って行く。
慌ててモニカの後を追いかけるエルゼリアとマルグリット。
三人は斜面を駈け降り、雨で濡れている平らな芝生の上を数メートル程走ると突然、足が芝生の中に沈み込んでしまった。
異変を感じた三人はその場で立ち止まり、踝まで埋まってしまった足を抜こうとするが、草の中に埋没した足はそう簡単に抜く事は出来なかった。
モニカは昨日の夜、エルゼリアの言ってた事を思い出した。
『ギルドが危険指定区域と認定した場所なの。毎年、行方不明者が出てるのよ』
行方不明者が出ている──その意味が、ここに来てようやく理解出来た。
モニカは戦慄した表情で沈みゆく自分の足を懸命に引っこ抜こうとする。
が、足を動かそうとすればするほど不安定な足場になり、露に濡れた芝生は茶色く濁った泥沼に変貌していた。




