第十話 招かれざる者達
その日の夕方、〈ベルダ村〉の集落から少し離れた所──山の中腹──にそびえ立つ黄色い煙突が目印のログハウスにて、エルゼリアは暖炉近くの座椅子に腰を下ろし、冷たい紅茶が入ったマグカップを両手で大事そうに持ちながら今日の出来事を振り返っていた。
思い出すだけでこめかみが疼いてしまう──〈うごめく森〉の遭難者二人を連れて帰った時、村人達の反応がいつも以上に冷たかった。まあ、慣れっこだが。
特に村長──アルミラの祖父──はこれでもかと言わんばかりに二人を問い詰めた。
厄介事を持ってきて一体何を考えているんだ、ここは部外者の憩いの場ではない、と散々まくしたてられた。
全く、あの石膏頭ジジイめ。
年齢を重ねる度に見た目も中身も白く固まってる姿は見てて悲しくなる。
嗚呼、おいたわしや。
だが、ここで反抗の態度を示せばこの村に居づらくなるため、なるべく反省の色を顔に出していたが、隣の孫娘は反省する素振りを見せず、万事が万事口笛を吹いて遠くの景色を眺めていた。
時間を掛けて説得し、自分の家で匿う事を条件に村の承諾を得る事が出来た。
遭難者二人の衣類を洗濯し、アザだらけの身体に驚きながらもタンスから寝間着を引っ張り出して二人に着させ、上の階の部屋で寝かせている。
その時はアルミラも手伝ってくれたため、そんなに苦労しなかった。
玄関ポーチの所でアルミラを見送る際、彼女は元気が無く、物憂げな表情が滲み出ていた。
刺激的な時間が終わって寂しいんだろう。
きっと家に帰ったら、厳格な祖父が玄関前で仁王立ちのまま待ち構えているかもしれない。
頑固な祖父の説教ほど退屈な時間は存在しない。
エルゼリアは下山するアルミラの後ろ姿を見つめ、心の中でエールを送った──アルミラ、あと五年は我慢してね。二十歳になったら好きなように生きて行けるから、と。
そんな事を考えている内に自分の中である疑問が浮かび上がって来た。
何故、私は遭難者を助けたのだろうか?
考えてみればおかしな話だ。
村長始め、村の皆が歓迎しないのも今になって理解出来る。
部外者を招き入れる行為は厄介事を持ち込むに等しい。
その気になれば放っておく事だって出来たはず。なのに何故?
エルゼリアは心の中で自問自答を繰り返す──その結果、答えは自ずと出た。
それが、自分の精一杯の”償い”だから。
アルミラが朝早く馬を引き連れて外に出て行こうとした時、急いで引き留めようとしたのも”償い”の一部分である。
鬱陶しがられても、罵声を浴びても構わなかった──この前までは。
早朝、アルミラに言われた事を今でも思い出し、胸が張り裂けそうになる。
『偉そうに説教しないでよ、この人殺し!』
人殺し──この世にこれ以上、心が潰れそうになる言葉があるのか?
気丈に振る舞っていたが、馬に乗ってアルミラを追いかけている途中で涙が出そうになった。
また言われたらどうしよう、今度は人殺し以上の辛辣な言葉が彼女の口から出るかもしれない、と内心怯えていた。
きっと村の皆も、アルミラと同じ考えを持っている。気を遣って口には出していないが。
エルゼリアは手に持っているマグカップを口に含み、紅茶を口の中でゆっくりと転がす。
今日は一段と苦味を感じる。
エルゼリアは暖炉の火を見つめて物思いにふけている時、誰かが階段を降りて来る音が聞こえて来た。
一歩、また一歩と踏みしめるようにリビングへとやって来る。
エルゼリアは頭の整理を一旦止めて階段の方に目を向けた。
長い黒髪が階段を下りる毎に左右に揺れ、クールな印象を持った一重まぶたは世話しなく辺りを見回していた。
エルゼリアの寝間着(青のナイトガウン)がとても似合っていて優雅な雰囲気を醸し出している。
「おはよう、気分はどう?」
エルゼリアは黒髪女性に話し掛けるが、相手はトーンを低くして口を開いた。
「……ここは何処ですか?」
「ここはあたしの家。どうぞ、座って」
エルゼリアはそう言って隣にある座椅子に座るよう促した。
相手の女性は失礼します、と一礼して座椅子に座り、エルゼリアの顔をジッと見つめた。
なるべく警戒心を解こうと思ってニコリと微笑むが、相手はクスリともせずにエルゼリアの顔のパーツを一個一個確認している。狙った獲物は逃がさないという意思を持った黒い瞳を用いて。
エルゼリアは思う──この女はそんじょそこらの冒険者ではない。多分、他の職業(他国の上級兵士か殺し屋の類い)に就いているのかもしれない。
ここは慎重に質問せねばと思い、エルゼリアは微笑んだまま相手の黒髪女性に質問した。
「あなたのお名前をお伺っても宜しいですかな?」我ながら呆れる──たどたどしい言葉遣いで質問してしまった自分自身に。しかも間違ってるし──余分な『お』を付けてしまった。
だが、相手は眉一つも動かさず、エルゼリアの顔をただ見つめているだけ。
この女は相当警戒しているなと思った矢先、ハッと気が付く。
「ごめんなさい、まず私から自己紹介するね。私は【エルゼリア・クローネット】。エルゼリアと呼んでちょうだい。さあ、あなたの名前は?」
黒髪女性は少し考えるように視線を下に向け、しばし間を置いた後に答えた。
「……マルグリット・グレースと申します」
「素敵な名前ね。マルグリットって呼んでも構わないかしら?」
「ええ、構いませんよ」
エルゼリアは直感で偽名だろうと思った──自分の名前を答えるのに時間が掛かるのはいくらなんでもおかしい、と。
だが、彼女の気持ちも何となく分かる。
何があるか分からないこの世界で簡単に人を信用するのは中々難しい。
だからこそ、自分の質問に答えてくれただけでも有難かった。
「今いくつなの?」
「今年で二十五才になります」
「あっ、私と一緒じゃん」
年齢が一緒──これもダミーなのだろう──というだけで妙に親近感が湧いてしまったエルゼリアは、徐々に距離を詰めようと他愛のない話を繰り返していた。
久しぶりの客人という事もあり、エルゼリアの心は躍っていたが、頭の片隅ではこう思っていた。
マルグリットという女性の経歴──名前や年齢など──が事実でありますように、と。
◇
太陽は沈み、外の景色は暗闇に染まってしまった時刻。
山の中腹にあるログハウスにて、二人の女性が暖炉の近くにある座椅子に身を委ねていた。
一人はキセルを口に加えて香りを楽しみ、もう一人は暖炉の奥でゆらゆらと火が不規則に踊っている様子をジッと眺めていた。
二人の間に会話は無く、薪の爆ぜる音だけがリビングの静寂さを掻き消している。
沈黙の時間が流れた後、嗜好品を嗜んでいた女性がもう一人の女性に話し掛けた。
「マルグリット、少し休んだら?」
マルグリットは首を横に振って答えた。
「私は大丈夫です、エルゼリアさん。お嬢様が起きるまで私はここに居ますので」
エルゼリアは天を仰ぎ、ため息をついた。
「ここは安全よ。山の中腹だし、そう簡単に侵入者は入ってこれない」
エルゼリアは呆れた口調で説得するが、マルグリットはかぶりを振って言った。
「いや、何が起こるのか分からないので」
「……あんたも頑固だねぇ」
マルグリットの表情は比較的穏やかだが、リビングルームに来てからはずっと気を張り詰めた状態であり、その緊張感がエルゼリアにひしひしと伝わって来ていた。
エルゼリアはマルグリットの姿を不安げな顔で見ていた──もし、お嬢様が目覚めた時、今度はマルグリットが倒れるのではないか、という不安が。
だが、これだけは言える。
マルグリットは、エルゼリアに対してまだ不信感を抱いている。
何故か──上の階で寝ているお嬢様の名前を教えてくれないからである。
夕方頃、その質問をしてみたが軽く流されてしまった。
すると突然、マルグリットは座椅子からゆっくりと腰を上げ、エルゼリアに向かって言った。
「……外の様子を見てきます。エルゼリアさん、私の衣類は何処にありますか?」
エルゼリアは驚いた表情で彼女を説得した。
「外はもう真っ暗よ。おまけに雨が降りそうだから止めときな」
「すぐに戻りますから」
「すぐにって──」
「そんなに遠くまで行きませんから」
人形のように表情は崩さず、淡々と言葉を並べているマルグリットに対し、これ以上説得しても無意味だと感じたエルゼリアは二階の部屋を指し示めす。
「貴方が寝ていた部屋のタンスにしまってあるから」
「ありがとうございます」
マルグリットはそう言って二階の部屋に入っていった。
数分後、黒の軽装備に着替えたマルグリットは玄関のドアノブに手を掛けた際、振り返ってマルグリットに言った。
「エルゼリアさん、私達を助けていただき本当にありがとうございます。お嬢様の事をよろしくお願いします」
マルグリットはそう言って外に出ようとするが、エルゼリアは引き止めた。
「待ちなさい」
「?」
「その『さん』付けは辞めな。あたしの事は呼び捨てでいいから」
注意を受けたマルグリットは目を細めて言った。
「以後気を付けます。……エルゼリア」
「行ってらっしゃい、マルグリット」
マルグリットは軽く会釈した後、ドアを開け、外に出て行った。
エルゼリアは彼女を見送った後、肩をすくめた。
(全く、私にお嬢様の子守をしろって言うの? まあ、ぐっすり寝てるから別にいいけどさ)
エルゼリアはその場で背伸びした後、バスルームに行って身体を清め、黒のルームウェアに着替え、いつもの定位置──座椅子──に座ってキセルを口に加えた。
今日は本当に疲れた、と目を閉じて刻みタバコの香りをゆっくりと味わう。
なんだろう、いつにも増してタバコの香りがまろやかに感じる。
そう思った時、エルゼリアの表情は充実感に満たされていた。




