第十一話 見知らぬ家
私は暗闇の中を彷徨い歩いていた。
(ここは何処なの? みんなどこにいるの?)
歩いてはいるが、その場に留まっているだけの感覚に陥ってしまう。
しばらく歩くと、距離はあるが人影を捉える事が出来た。しかも複数人。
私は小走りで近づくと、見覚えのある背中──マルグリット、フリード、アリア──を見て思わず声を上げた。
「みんなー。 おーい、待ってよー」
足の回転を早くしようとしたその時、自分の腰回りに違和感を感じた。
ロープを腰に何重も括り付けたような圧迫感を覚え、視線を落とす。
赤黒い触手が私の胴体を強い力で巻き付き、暗闇の中へ引っ張ろうとする。
私は触手を掴んで振りほどこうとするが、抵抗すればするほど力は強くなっていく。
「な、何よこれ。みんな、た、助けて……」
私は必死で手を伸ばして助けを求めるが、三人は振り返らずに歩いて行った。
触手に動きを封じられ、闇の中に引きずり込まれていく私は必死で叫んだ。
「お願い! 置いて行かないでよ! いやあああああああああ!」
◇
部屋中に響き渡る悲鳴と共にモニカはベッドから飛び起きた。
シルク製の寝間着は汗で濡れ──体のシルエットが一目で分かってしまう程、肌に付着していた──、呼吸は乱れて目を見開いている。
(あ、あれ? ここは何処なの?)
見知らぬ木造の部屋で目を覚ましたモニカはふと顔を左側に向ける。
木材を積み上げて作られた壁面を目にし、思わず触れると滑らかな肌触りであり、微かな木の香りがモニカの鼻先を通り過ぎていった。
すると背後の方で雨の音が聞こえ、振り返ると大きめの窓が視界に入り、外は雨風の影響で木々が揺れていた。
窓の手前には椅子があり、座面にはモニカの衣類が綺麗に畳んである。
肘掛けにはモニカの私物──短剣が入ったベルトとムチ──が置いてあり、椅子の下にはニーハイブーツも揃えてあった。
モニカはベッドから降りようとして片足を床に付ける。すると踵の方で何かが当たった。
ベッドの端に座りながら腰を折り曲げてベッドの下を覗いてみると、温かそうなルームシューズが置いてあり、それを履いてドアの方に向かった。
部屋のドアを開けると右側は行き止まりの壁があり、左側を見ると青い絨毯で敷かれた廊下が続いていた。
左右の壁にはドアが二枚づつ設置してある──モニカが寝ていた部屋のドアを加えると全部で五枚もあった。
天井にはお洒落なペンダントライトが等間隔で設置されてある。
廊下を進み、階段を降りると広いリビングルームに辿り着く。
階段から少し距離がある先に黒のルームウェアを着た女性──キセルを口に加え、煙を吹かしている──が、座椅子に深く腰掛けて本を読んでいた。
モニカはゆっくりと近づいて話しかけようとした時、その女性は口からキセルを離してモニカの方に顔を向けた。
「おはよう。もう夜だけどね」
モニカは驚いて二,三歩後退するが、相手の女性は立ち上がって言った。
「あらやだ、ごめんなさい。驚かすつもりは無かったわ」
敵意は無いと感じたモニカは、控えめな笑顔で対応した。
「い、いえ。こちらこそ。あ、あの、ここは何処ですか?」
女性は両手に持っていた本とキセルを座椅子の横にあるサイドテーブルに置き、腰に手を当てて鼻を鳴らした。
「ここはあたしの家。どう? 割と綺麗でしょ?」
そう言われてモニカはリビングを見渡す。
リビングの中央付近には木製の長テーブルが置いてあり、火が灯っていないローソク立てが中央に添えてある。
テーブルの長い辺と同じ長さの横長椅子が、テーブルを挟んで前後に置いてあった。
左側の壁にはシカの剥製、高そうな剣や大きい白銀の盾、紫色の宝石が特徴の長い杖が暖炉を挟んで飾ってあった。
暖炉の手前には、大人数人が川の字になって寝そべる事が出来る程の大きな毛皮絨毯が敷いてある。
絨毯の端っこには黒ローブの女性がくつろいでいた座椅子が他にも二台、合計三台並べてあった。
反対側にはドア一枚とその横には台所が見える吹き抜けの部屋が視界に入った。
モニカはその場でリビング全体を見渡して感想を言った。
「ええ、とても綺麗です。珍しい作りになってますね」
「珍しい作り?」
「はい。木材で作られた家具は中々お目にかからなくて。私の家はすべて大理石で出来ていますから……」
「あー、なるほどねぇ」
モニカが感想を述べている途中、相手の女性は額に手を当てて浮かない表情を覗かせていた。
突然表情を曇らせた女性に対し、モニカは尋ねた。
「あの、どうかしたんですか?」
「いや、何でも無いわ。こっちの事だから気にしないで。……そういえば自己紹介がまだだったね。私はエルゼリア──【エルゼリア・クローネット】。貴方のお名前は?」
「私は【モニカ・ゼレスティン】と申します。以後、お見知りおき下さい」
モニカはそう言って一礼する。
「モニカ・ゼレスティン、良い名前じゃない。モニカって呼んでもいいかしら?」
モニカは顔を上げて頬を緩まし、エルゼリアの手を取って握手を交わした。
「勿論です! この度は助けてくれてありがとうございます」
「フフッ、どういたしまして。私の事はエルゼリアって呼んでいいから。それより着心地はどう? あなたに着せた私のパジャマは」
モニカは視線を下に向け、自分が身に付けている寝間着を確認した。
寝汗の影響で肌にへばりついていた服は生乾きになり、所々シミが浮き出て縦ジワが出来てしまった。
わざとじゃないにしろ、他人の服を台無しにしてしまった事に罪悪感を感じて再び頭を下げた。
「ごめんなさい! 服を汚してしまって……」
エルゼリアは首を横に振って笑顔で応えた。
「いいのよ、気にしないで。それよりも心配したわよ。あなた、丸一日寝込んでたんだから」
「丸一日!?」
モニカは目が点になり、咄嗟に声が出てしまった口を慌てて塞ぐ。
しかしエルゼリアは、終始、冷静な態度で説明を続けた。
どうやらモニカは、この家に運び出されて以降、ずっとベッドの上でうなされていたらしい。
エルゼリアは時折、モニカの寝ている部屋に行って風邪を引かないように濡れたタオルで汗を拭いてくれたのだという。
説明を受けたモニカは申し訳ない気持ちで一杯になり、頭を下げる角度が一気に深くなってしまった──顎が膝の皿まで付くのではないかという位に腰を折り曲げていた。
しかし、エルゼリアはやれやれと言った表情で、モニカの両肩に手を掛け、頭を下げている彼女の姿勢を真っ直ぐに正して言った。
「さっき言ったじゃん、気にしないでって。それよりも喉渇いたでしょ? 今、冷たい飲み物持って来るからそこで待っててね」
彼女はそう言ってキッチンのある部屋に小走りで向かい、飲み物の準備を始めた。
なんて親切な人なんだと思ったモニカだが、彼女に対して質問したい事があった──〈何故、自分はここにいるのか〉、〈何故、こんなにも初対面の自分に優しくしてくれるのか〉──が、あまりしつこく聞いても、かえって彼女を不機嫌にさせてしまう可能性がある。
ここは黙っておいた方がいいと判断し、近くの長椅子に座った。
「あっ、そうだ」
エルゼリアが何か思い出したのか、透明のグラスに紅茶を注いでいる手を一旦止めてモニカに向かって言った。
「モニカの連れの人、確かマルグリットって言うんだっけ?」
モニカは椅子から立ち上がる。
「マルグリットもここにいるの?」
「ええ、一時間前に出掛けたんだけど……、中々帰って来ないのよ。雨も降ってるし」
「じゃあ、私が様子を見てきます」
そう言ってモニカは立ち上がるが、長時間寝ていた影響で立ち眩みを起こしてしまう。
(あっ、あれ? めまいが……)
モニカは崩れ落ちるように椅子に腰掛け、机に伏してしまった。
その一部始終を見ていたエルゼリアは慌ててモニカの所に行き、彼女の両肩に手を掛けて上体を起こそうとする。
「無理しないでちょうだい。沢山汗をかいて水分が抜けてるんだから。ジッとしてなさい」
注意を受けたモニカは小さく頷き、うなだれた姿勢で何も置いていない机の木目に焦点を合わせた──その後ろ姿は、飼い主に怒られて背中を丸める子犬のように縮こまっていた。
待つこと数分、モニカの視界に飲み物が入ったグラス(色は赤茶色で、氷が二つ入っている)がやって来た。
対面側にエルゼリアが着席して、具合を悪くしているモニカに声を掛けた。
「ほら、飲みな。気分が落ち着くよ。……大丈夫、連れの人は帰ってくるから」
モニカはか細い声ではい、と返事をしてグラスを口に含んだ。
味は──ほんのり甘く、ほのかな香りが鼻腔の中を突き抜けていく。
グラスを傾けた際に、氷が上唇に当たって一瞬身震いしたが、気にせずにそのまま飲み干した。
飲み物が無くなったグラスを机に置き、目を閉じて深呼吸を数回繰り返す。
喉の奥が冷たく潤い、優しい香りが頭の中を包み込み、身体に付いていた重りが徐々に外れていくのを感じた。
軽やかな気持ちになり自然と口角を上げてしまう。
家主は微笑みながらもう一杯いかがですか、と質問する。
それに対し、金髪の愛らしい客人は少し照れくさそうにお願いします、と家主にグラスを渡した。
しばらくすると、玄関のドアが開く。
モニカはドアの開いた音に気づき、中腰の状態でドアの方に視線を向ける。
「……マルグリット!」
モニカは一目散に彼女の元へと駆け寄り、強く抱き締めた。
「マルグリット! ああ、良かった、無事で良かった!」
「モ、モニカお嬢様!?」
いきなり抱きつかれて声が裏返ってしまった──攻撃されたのかと思った──が、自分の胸に顔をうずめるモニカを見て、思わず笑みがこぼれてしまう。
マルグリットは両腕を広げてモニカの身体を包み込むようにして抱き締め返した。
「お嬢様、ご無事で何よりです。心配を掛けさせてしまい申し訳ございません」
「いいのよ、謝らないで。私の方こそごめんなさい。何か、私、うなされてたんだよね?」
二人は顔を見合わせると、マルグリットは深く頷いて言った。
「ええ、まあ……。話せば長くなりますので、とりあえず中に入ってもよろしいですか?」
少し離れた距離で二人を見守っていたエルゼリアは目を細め、腕を組んだまま二人に注意した。
「ほら、お二人さん。玄関開けっ放しだよ。雨が家の中に入って来ちゃうから閉めてちょうだい」
注意を受けた二人はすぐに玄関のドアを閉めて長椅子に並んで座り、再会の余韻に浸り始めた。
エルゼリアは再び台所に行って紅茶を作る準備に取りかかる──ホットとアイス両方の紅茶。ついでに、カウンター上のキャビネットを開けてクッキーの袋詰めを取り出した。




