↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生勇者が死ぬまで10000日  作者: 慶名 安
1章 転生編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/817

第1章ー7

 「お父さん!?」


 「ッッ……!!」


 宙を舞っていた父の右手が、地面へと落ちた。


 その光景を目にした瞬間、頭の中が真っ白になった。


 父は右腕の切断面を左手で押さえ、苦悶の表情を浮かべながら膝をつく。指の隙間から、赤い血が絶え間なく流れ落ちていた。


 何が起こった?


 どうして、父の腕が……?


 理解できない。理解したくもない。


 けれど、目の前で起きたことだけは、嫌というほど理解できた。


 これは、まずい。


 今までの人生で感じたことのない恐怖が、全身を駆け巡る。


 逃げろと、本能が叫んでいた。


 この場にいてはいけない。目の前にいる存在は、絶対にまともな相手ではない。


 だが、足が動かなかった。


 「『これは失礼。貴方が突然、攻撃態勢に入ったものですから……どうやら、無意識に防衛反応が働いてしまったようですね』」


 父が片膝をつく中、灰色のローブをまとった人物が、何事もなかったかのように口を開いた。


 声は女性のものだろうか。


 澄んだ声ではある。だが、どこか機械音のような響きが混じっていた。人間の声に似ているのに、どこか決定的に違う。聞いているだけで、背筋がぞわりとする。


 「『しかし、腕を切断されて悲鳴ひとつ上げないとは……少々驚きました。それとも、激痛で声も出ないのでしょうか?』」


 「…………」


 ローブの女は、愉快そうに父へ語りかけていた。


 まるで、世間話でもしているかのような口調だった。


 片腕を失った人間を前にして、どうしてそんな態度でいられるのか。


 いや、そもそも――。


 目の前の女は、本当に人間なのか?


 自分ですら、恐怖で声が出ない。


 身体は震え、頭の中はぐちゃぐちゃだ。何かを考えようとしても、まともに思考が働かない。


 そんな状態なのだから、激痛に襲われている父が口を開けないのも当然だった。


 「『おっと、失礼。まだ名乗っていませんでしたね』」


 女は、わざとらしく思い出したように続けた。


 「『私は魔王軍幹部――【十死怪《じゅっしかい》】の一人、エイシャと申します。以後、お見知りおきを』」


 そこで、わずかな間が空いた。


 そして、彼女は淡々と付け加える。


 「『もっとも……貴方と再び言葉を交わす機会は、もうないでしょうが』」


 「…………」


 父は何も答えなかった。


 いや、答えられなかったのかもしれない。


 だが、そんなことなど意にも介さず、エイシャは自己紹介を終えた。


 十死怪。


 その言葉には、聞き覚えがあった。


 確か、魔王軍に所属する強大な幹部たちのことだったはずだ。前世の記憶を持つ自分にとっても、この世界の脅威として何度か耳にした名前だった。


 しかし、それよりも気になることがある。


 今、この女は何と言った?


 魔王軍幹部――?


 まさか、そんな存在が、どうしてこんな村に……。


 「……よ……」


 不意に、父の口から声が漏れた。


 「『ん? 何かおっしゃいましたか?』」


 エイシャが首を傾げる。


 父は左手で傷口を押さえたまま、荒い呼吸を繰り返していた。額には脂汗が浮かび、顔色も明らかに悪い。


 それでも、父は顔を上げた。


 「……鉄より硬き……剣《つるぎ》となり、我が元に……顕現せよ!」


 「ッ!?」


 その瞬間、父の手元に炎が集束した。


 「【業火剣《ヘルファード》】!!」


 燃え盛る炎が剣の形を成し、エイシャへと襲いかかる。


 右手を失い、激痛に襲われながらも、父は詠唱を最後まで成し遂げていたのだ。


 悲鳴を上げることも、助けを求めることもなく。


 ただ、敵を倒すために。


 その一撃は、エイシャの反応をわずかに遅らせた。


 業火の刃が、彼女の身体を横薙ぎに切り裂く。


 「『ほう……』」


 炎が爆ぜ、灰色のローブが大きく揺れた。


 今度こそ、当たった。


 そう思った。


 だが――。


 「『この状況で反撃とは……。なるほど、相当な手練れのようですね』」


 「ッ!?」


 エイシャの声が、炎の向こうから聞こえてきた。


 平然とした声だった。


 まるで、何事もなかったかのように。


 やがて炎が晴れ、その姿が露わになる。


 切り裂かれたはずの上半身は、紙切れをばらまいたかのように細かく散らばっていた。


 それなのに。


 散らばった身体の断片が、まるで時間を巻き戻すように集まり、繋がり、元の姿を形作っていく。


 数秒後。


 そこには、傷ひとつないエイシャが立っていた。


 「…………は?」


 思わず、間の抜けた声が漏れた。


 何だ、今のは。


 斬ったはずだ。


 父の攻撃は、確かに当たった。


 それなのに、どうして……?


 「『ですが、残念ながら……まだ私に敵うほどの実力ではありませんね』」


 エイシャは、淡々と言い放った。


 「くっ……!」


 父は悔しげに歯を食いしばる。


 反論する余裕などないのだろう。傷口から流れる血は止まらず、立ち上がることさえ難しそうだった。


 そして自分にも、理解できてしまった。


 相手の格が違う。


 父は強い。


 少なくとも、自分が知る限り、これほど頼りになる人はいなかった。


 そんな父が、片腕を失い、渾身の反撃を放っても、目の前の女には傷ひとつ残せない。


 この事実が、何よりも恐ろしかった。


 「あなた!?」


 突然、背後から母の声が響いた。


 「ッ!? ステラ!?」


 「お母さん!」


 外の異変に気づいたのだろう。母が慌てて駆け寄ってくる。


 そして、片腕を失って膝をつく父の姿を目にした瞬間――母の表情が凍りついた。


 言葉を失い、目を見開き、身体を強張らせる。


 少し前の自分と、まったく同じ反応だった。


 「……あなた……その腕……!」


 母の声が震えている。


 父は一瞬だけ母を見た。


 そして、すぐに視線を戻す。


 「サダメ」


 「……え?」


 「お母さんと一緒に、ここから逃げなさい」


 「えっ……?」


 逃げろ?


 父さんは、どうするんだ?


 まさか、自分が囮になって、自分たちを逃がすつもりなのか?


 「『逃げても無駄ですよ』」


 エイシャの声が、自分たちの思考を遮った。


 「何……?」


 父の表情が険しくなる。


 「『貴方なら、もう既にお気づきのはずですが……』」


 「……っ!? まさか……これは……!」


 父の顔色が、さらに変わった。


 「くっ……魔障結界か……!」


 「『その通り』」


 魔障結界?


 何だ、それは。


 聞いたことのない言葉に、自分は思わず父の背中を見つめた。


 結界というからには、何かを閉じ込めるためのものなのだろうか。


 それとも、外からの侵入を防ぐもの?


 だが、父の反応を見る限り、そんな単純なものではなさそうだった。


 「『魔障結界とは、特定の区域に大量の魔力を発生させる結界です。人間が一度に過剰な魔力を浴びれば、身体に異変をきたすことになる』」


 エイシャは、まるで講義でもするかのように説明を始めた。


 敵の口から語られる情報を、ただ聞くことしかできない。


 それが、たまらなく悔しかった。


 「『この結界は村の周囲を覆い、内部は通常の空気の十倍以上の魔力で満たされています。人間にとっては、極めて危険な環境でしょう。もっとも、魔族である私たちには何の問題もありませんが』」


 「そ、そんな……!」


 母が息を呑む。


 自分も、ようやく事態の深刻さを理解し始めていた。


 この村全体が、危険な魔力に満たされている。


 つまり、外へ逃げようとしても、結界の中を進まなければならないということだ。


 「け、けど……だったら、結界を壊せばいいじゃないか!」


 震える声で、自分は叫んだ。


 そうだ。


 結界なら、壊せばいい。


 魔法で破壊するなり、何か方法があるはずだ。


 そうでなければ、逃げ道がない。


 「サダメ……」


 母が不安げに自分の名を呼んだ。


 だが、エイシャは自分の言葉を聞いて、わずかに首を傾げた。


 「『結界とは言っていますが、実態は半径一キロメートルに及ぶ魔力の霧です。村の内外へと広がっており、中心に近づくほど魔力濃度は高まります』」


 「……っ」


 「『人間がその霧を吸い込めば毒となり、過剰に取り込めば死に至る。仮に魔法で霧を払ったとしても、霧は自然に戻ってくる。呼吸をせず、一キロメートルもの距離を進み続けるなど……普通の人間には不可能でしょう?』」


 「…………」


 聞かなければよかった。


 そんな説明、聞きたくなかった。


 結界を壊せばいい。逃げればいい。そう考えていたわずかな希望が、あっさりと打ち砕かれてしまった。


 霧は、もう村の中にまで流れ込んでいる。


 逃げ道はない。


 目の前には、父の攻撃すら通じない怪物がいる。


 ――どうすればいい?


 自分に、何ができる?


 「きゃあああああああっ!!」


 そのとき、遠くから悲鳴が響いた。


 「!?」


 一人ではない。


 別の方向からも、また別の悲鳴が上がる。


 助けを求める声。何かが倒れる音。聞き慣れた村の風景が、少しずつ壊れていく。


 「貴様……一体、何をした!?」


 父の声が、怒りに震えた。


 「『ああ、きっと部下たちが働いてくれているのでしょう』」


 「部下……だと!?」


 「『ええ。女子供は捕らえ、それ以外は殺すよう命じていますので』」


 「なん……だと……!?」


 父の背中から、今まで感じたことのない怒気が噴き上がった。


 空気が張り詰める。


 父の声に、怒りだけではない何かが混じっている。


 それでも、自分の足は動かなかった。


 家の外から聞こえる悲鳴が、耳にこびりついて離れない。


 助けなければ。


 誰かを助けなければいけない。


 そう思うのに、身体が動かない。


 父は片腕を失っている。


 母も、目の前の敵に立ち向かえる状態ではない。


 そして自分は、まだ幼い子供にすぎなかった。


 目の前にいるのは、魔王軍幹部。


 父の渾身の攻撃さえ通じなかった相手だ。


 ――自分に、一体何ができる?


 「何が目的なんだ、お前たちは!?」


 父が問い詰める。


 エイシャは、少しだけ考えるような間を置いた。


 「『目的ですか……。まずは拠点の拡大。それから、【人魔】の生成と育成。そして、もう一つ……』」


 「なっ……人魔……!?」


 父の声が鋭くなる。


 人魔。


 その言葉に、父がここまで強い反応を示す理由は分からなかった。


 だが、ただ事ではない。


 父の怒りが、さらに膨れ上がっていくのが分かった。


 「……人魔の生成。それは……妻や村の女性たちを利用するという意味か?」


 父の声は低かった。


 怒りを押し殺している。


 いや、押し殺さなければ、今にも爆発してしまいそうなのだ。


 「『もちろん』」


 エイシャは、何のためらいもなく答えた。


 「…………そうか」


 父は、それ以上何も言わなかった。


 ほんの数秒。


 しかし、その沈黙は、永遠にも感じられた。


 張り詰めた空気が肌を刺す。


 父の背中から伝わる怒りが、言葉にしなくても分かった。


 やがて父は、ゆっくりと自分の方へ顔を向けた。


 「……サダメ」


 「……っ」


 その声は、驚くほど優しかった。


 さっきまで怒りに震えていた人とは思えないほど、穏やかな声だった。


 「お母さんと一緒にいなさい」


 「お父さん……?」


 「何かあったら、お前がお母さんを守るんだ」


 胸の奥が、嫌な音を立てた。


 どうして、そんなことを言うんだ。


 どうして、そんなに優しい声を出すんだ。


 まるで――。


 まるで、もう二度と会えないかのように。


 「……嫌だよ、お父さん」


 気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。


 父は答えなかった。


 ただ、自分を見つめていた。


 その眼差しに、胸の奥が締めつけられる。


 何かを言わなければ。


 引き止めなければ。


 そう思うのに、何を言えばいいのか分からなかった。


 そして、父は再びエイシャへと向き直った。


 片腕を失い、血を流し、立っていることさえ難しいはずなのに。


 父は、決して視線を逸らさなかった。


 「来い、怪物」


 低く、静かな声だった。


 「貴様は必ず――俺が殺してやる!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。