第11章ー62
「あ、あの!」
リングを降りようとするクロノ寮長の背中へ、思わず声を掛ける。
「……ん?」
寮長は足を止め、静かにこちらを振り返った。
その表情は試合中と何も変わらない。
悔しそうでもなければ、納得していない様子もない。
だからこそ、どうしても聞かずにはいられなかった。
「あの……どうして降参したんですか?」
自分でも少し情けない声だった。
「俺、まだまともな攻撃なんて一発も入れられてません。あのまま続けていたら、どう考えても俺が負けてました」
言葉にしながら、改めて試合を思い返す。
ボコボコに殴られた。
蹴られた。
吹き飛ばされた。
ようやく反撃できたと思ったら、それは眼鏡を飛ばしただけ。
身体への決定打は一つも与えていない。
それなのに勝者は俺。
どう考えても釈然としなかった。
「……」
クロノ寮長は少しだけ沈黙する。
そして、静かに口を開いた。
「俺は極度の近眼でな」
その一言に思わず耳を傾ける。
「今の眼鏡は特注品だ。あれがなければ魔力の流れどころか、人の顔すらまともに判別できない」
淡々とした説明だった。
言い訳ではない。
ただ事実を述べているだけ。
「視界を失った時点で、俺の能力は本来の性能を発揮できない。戦闘を続けても勝率は著しく下がる」
そこで一度言葉を切る。
「だから降参した。それだけだ」
あまりにも簡潔だった。
でも、その言葉には妙な説得力があった。
勝てないと判断した。
だから退いた。
それだけ。
そこに悔しさも意地もない。
自分の能力を誰よりも理解しているからこそできる、冷静な判断だった。
「……ああ」
思わず納得してしまう。
「そういうことだったんですね」
前世の俺も視力はかなり悪かった。
眼鏡を外せば、教室の黒板すらまともに見えない。
裸眼のまま歩けば、人の顔なんてぼやけてしまう。
だから少しだけ分かる。
眼鏡が身体の一部みたいな感覚。
それを失えば、普段通りには動けないということも。
それにしても。
まさかクロノ寮長が、そこまで重度の近眼だったとは思わなかった。
「……ところで」
「はい?」
感心しながら見ていると、今度はクロノ寮長の方から話しかけてきた。
眼鏡のない目を細め、こちらをじっと見つめる。
いや。
見つめようとしている。
ものすごく眉間にしわを寄せながら。
そして真面目な顔で尋ねてきた。
「今、俺と話しているお前は……誰なんだ?」
「…………」
近眼とか、そういうレベルじゃないなこの人。
それはさておき、こうして俺は、なんとか魔闘祭一回戦を突破し、二回戦への切符を手にした。
――一回戦・第四試合。
× クロノ・メノグリフ 対 〇 サダメ・レールステン




