第11章ー61
「ルぅえ゛っ!?」
耳を疑った。
寮長の口から飛び出したのは、まさかの一言。
――負けだ。
降参。
その言葉を理解した瞬間、反射的に詠唱を止めようとする。
けれど、それはできない。
魔法は完成寸前。
ここで無理に中断すれば暴発する危険があることは、いやというほど教え込まれてきた。
「わっ、わっ――!」
完全に頭が真っ白になった。
狙いを外さなきゃ。
でも暴発も駄目だ。
どうすれば――!
咄嗟に腕を逸らし、寮長の後方へ向けて火球を解き放つ。
直後、バランスを崩した俺はそのまま尻餅をついた。
「いてっ……!」
ドォォォンッ!!
放たれた火球はリングの床へ着弾し、大きな爆発を巻き起こす。
熱風と土煙が一気に広がり、爆炎が視界いっぱいに咲いた。
煙がゆっくり晴れていく。
その向こうに見えた光景は、あまりにも場違いだった。
爆炎を背にしたクロノ寮長が、静かに右手を上げて立っている。
まるで勝者のようにも見えるその姿が、逆に現実味を失わせていた。
「審判。俺は降参する。早く決着を」
落ち着き払った声。
爆発など最初から存在しなかったかのような口調だった。
『っ!? あ、ああ……!』
ライラック先生もようやく我に返ったらしい。
慌ててリングへ駆け上がり、状況を確認する。
そして一度クロノ寮長を見てから、俺の方へ視線を移した。
『え、えー……クロノ選手が降参を宣言。よって――』
一拍。
先生は唾を飲み込む。
『勝者、サダメ・レールステン!!』
宣言と同時に、先生は地面へ座り込んだままの俺の腕を持ち上げた。
「……え?」
腕は上がった。
勝者として。
なのに。
全然実感が湧かない。
俺が勝った?
本当に?
さっきまでボコボコにされていた俺が?
会場も、俺と同じだった。
誰一人として歓声を上げない。
拍手もない。
観客席を見渡せば、全員が口を半開きにしたまま固まっている。
時間だけが止まってしまったような静寂。
試合終了とは思えない空気が、闘技場全体を包んでいた。
『……ま、まさかぁぁぁぁぁっ!!』
その静寂を最初に破ったのは、ヒューズ先輩だった。
『優勢だと思われていたクロノ選手が、まさかの降参宣言! サダメ選手が準決勝進出を決めましたぁぁぁぁっ!!』
絶叫している本人も、どこか状況を飲み込めていない。
勢いだけで実況しているのが丸分かりだった。
『で、ですよね!? アルクさん!』
突然話を振られたアルク先輩も目を丸くしたまま固まる。
『え? あ……ええ、そうですね』
数秒遅れて我に返ると、ぎこちない笑みを浮かべながら観客席へ向き直った。
『皆様、両選手の健闘に温かい拍手をお願いいたします』
その一言で、ようやく会場が動き始める。
パチ……。
パチパチ……。
拍手は起きた。
けれど、それは勝者を称える熱狂ではない。
とりあえず拍手しておこう。
そんな空気が会場全体に漂っていた。
誰もが戸惑っている。
なぜクロノ寮長が降参したのか。
あと一歩で勝てたはずなのに。
その理由を理解している者は、きっとほとんどいない。
俺自身ですら分からないのだから。
「……」
そんな周囲の反応など意に介さず、クロノ寮長は俺へ背を向けた。
まるで試合はもう終わったと言わんばかりに、静かにリングの端へ歩いていく。
その足取りに迷いはない。
「レールステン」
不意に名前を呼ばれ、反射的に顔を上げる。
「早く医務室へ行って治療してもらえ。次の試合に響くぞ」
その声音は、試合前と何一つ変わらない。
敗者の悔しさも、言い訳も、未練も感じさせない。
ただ事実だけを伝える、いつものクロノ寮長だった。
「……っ!」
思わず息を呑む。
「あ……はい」
それしか返せなかった。
勝ったはずなのに。
どうしてこんなにも、負けたような気分なんだろう――。




