第11章ー60
俺の蹴りは、寮長の顎ではなく――その眼鏡を捉えていた。
乾いた音とともに眼鏡が宙を舞い、くるくると回転しながらリングの外へ弾かれていく。
「……っ!」
惜しい。
今の体勢なら顎を打ち抜けると思った。
あと少し角度が違えば、そのまま勝負を決められていたかもしれない。
それでも。
「……よし」
思わず胸の内で呟く。
これでいい。
これでようやく、土俵に立てる。
寮長の能力――魔力の視覚化。
魔力感知のように周囲を探れる能力ではない。
あくまで"目で見たもの"の魔力を読み取る力。
つまり、視界を失えば本来の精度は発揮できない。
最初に目くらましを思いついた時は、正直ただの悪あがきだった。
相手の能力も分からない。
勝ち筋も見えない。
だから少しでも有利になれれば、それでいい。
そんな程度の考えだった。
けれど、結果的にはそれが正解だったらしい。
「うっ……!」
眼鏡を失った寮長が、一瞬だけ動きを止める。
両手を伸ばし、足元を探るように視線を泳がせる。
眼鏡がどこへ飛んだのか分からないのだろう。
その姿を見て、ようやく確信した。
やっぱり。
あの目にも弱点はあった。
「……なるほどな」
しばらくして、寮長は眼鏡を探すのをやめた。
小さく息を吐き、静かにこちらへ身体を向ける。
「侮ったつもりはなかったが……ここまでやるとは」
その言葉を聞きながら、自分は拳をゆっくり握り締める。
身体の奥を巡る魔力。
さっきまで止められていた流れが、再び全身へ巡っていく。
戻った。
ようやく戻ってきた。
俺の魔法が。
ここからだ。
本当の勝負は、ここから始まる。
『う、うおおおおおおおおっ!!』
静まり返っていた会場へ、突然ヒューズ先輩の絶叫が響く。
『サダメ選手がやったぁぁぁぁぁぁっ!! クロノ選手の猛攻を耐え抜き、ついに初めて反撃を決めたぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
その実況を合図にしたかのように、客席から歓声が爆発する。
どよめき。
拍手。
歓声。
熱気が一気に会場を包み込んだ。
けれど、不思議と耳には入ってこなかった。
「……ふぅ」
深く息を吐く。
今は歓声なんてどうでもいい。
勝負はまだ終わっていない。
むしろ、ここからが本番だ。
ミオのアドバイスを思い返す。
そして、俺は右手をゆっくり前へ突き出す。
掌へ魔力を集中させる。
炎属性の魔力が渦を巻き、小さな熱を生み出していく。
「……今度は、こっちの番ですよ」
宣言すると、寮長は何も答えなかった。
眼鏡のない瞳で、ただ静かにこちらを見据えている。
もし、この一撃を外せば終わる。
今度こそ反撃はない。
次に攻め込まれた瞬間、俺の負けだ。
だから。
これで決める。
一撃で。
「……爆ぜる焔よ」
震える右手を前へ伸ばす。
詠唱を開始する。
狙いは、ただ一人。
クロノ寮長。
だが、照準を合わせようとするほど右手が震えた。
駄目だ。
まだ怖い。
目の前にいるのは人だ。
魔物じゃない。
もし威力を間違えたら。
もし急所へ当たったら。
そんな考えが頭をよぎり、腕が言うことを聞かない。
落ち着け。
大丈夫だ。
威力の調整は何度も練習した。
先生にも認めてもらった。
信じろ。
自分を。
そして――。
目の前の人を。
この人なら、きっと受け止められる。
だから俺は撃てる。
「火の球として聚合し、眼前に現れし標的に猛る一投を撃ちかけん――!」
炎が掌へ集束する。
あと一節。
あと少しで魔法は完成する。
今度こそ撃てる。
そう確信した、その時だった。
「……フレー」
最後の詠唱を紡ごうと口を開く。
しかし、その声を遮るように。
静かな声が、会場へ響いた。
「……俺の、負けだ」
目の前で、クロノ寮長が静かに右手を上げていた。
降参の意思を示すように。
まるで、それが当然であるかのような落ち着いた表情で。




