第11章ー55
「ッ……断り、ます゛っ!!」
喉の奥が焼けるように痛む。それでも返事だけは迷わなかった。
歯を食いしばりながら無理やり立ち上がり、渾身の力を込めて右拳を振り抜く。
もちろん、魔力は乗っていない。
ただの拳だ。
それでも今の自分に残された、唯一の反撃だった。
だが――。
「遅い」
寮長は身体をわずかに傾けただけで、その拳をあっさりとかわす。
空を切る拳。
しまった。
今の一撃しかなかったのに。
そう思った瞬間だった。
「……そうか」
静かな声。
次の瞬間。
「がっ!?」
視界が真横へ吹き飛んだ。
掌底。
しかも魔力を乗せた一撃だ。
鼻の奥で嫌な音が鳴り、熱いものが口元へ流れ込む。
鼻血が勢いよく飛び散り、身体が大きく揺れた。
「チャンスは与えた。悪いが、ここからは手心を加えない」
冷え切った声。
そこにはもう試すような色は一切ない。
本気だ。
本気で自分を叩き潰す気なんだ。
「ぐっ……!」
顔面に走る激痛を押さえ込み、なんとか踏み止まる。
さっきの一撃だけでも膝をつきそうになる。
だが、ここで倒れたら終わりだ。
いや――。
もう一度膝をついた瞬間、自分は二度と立ち上がれない。
そんな確信にも似た嫌な予感が胸を締め付けていた。
「ハア……ハア……」
荒い呼吸が漏れる。
鼻血が口の中へ流れ込み、鉄の味が広がる。
視界も少し霞む。
魔物の打撃が棍棒だったとして、寮長の打撃は鉄製のハンマーに近い。鉄のような重さを身体にずっしりと感じる。
それでも足だけは震えながら前を向いていた。
「ほお?」
寮長が僅かに目を細める。
「まだ立つか」
感心したような口調だった。
正直、自分でも驚いている。
普通なら、今ので終わっていた。
……いや。
終わらなかった理由は一つしかない。
最近、もっと洒落にならない攻撃を顔面にもらった経験があるからだ。
あれに比べれば――いや、全然痛い。
普通に泣きそうなくらい痛い。
それでも、あの地獄を経験したおかげで気絶だけは免れた。
こんなところで役立つ経験じゃないけどな……!
「だが――」
寮長が一歩踏み込む。
嫌な予感が全身を駆け抜けた。
「基礎魔法すら使えないお前では、この状況は絶対に覆せん」
言葉が終わるより早く拳が飛ぶ。
「ぐあっ!?」
腕。
「がはっ!」
肩。
「っ!」
腹。
「ぐっ!」
太腿。
「ぁっ!」
頭。
息をつく暇すらない。
五体の急所を正確に撃ち抜く連撃。
一撃一撃が重い。
防ぐことも、避けることもできない。
身体が悲鳴を上げるたび、自分は一歩、また一歩と後ろへ押し戻されていく。
歯を食いしばる。
耐える。
それしかできない。
だが、それでは勝てない。
このままでは、ただ倒されるだけだ。
気付けば背中に冷たい感覚が走った。
リングの端。
もう逃げ場がない。
あと数歩下がれば場外。
それで終わりだ。
『…………』
会場全体が静まり返っていた。
さっきまで響いていた歓声も、どよめきも消えている。
実況席からも声は聞こえない。
誰もが目の前の一方的な光景に息を呑み、言葉を失っていた。
……まずい。
この空気は、本当にまずい。
このまま攻撃を受け続ければ、場外になる前に審判が試合を止める。
いや、気絶したと判断されても終わりだ。
どちらに転んでも負け。
敗北だけは確定する。
そんな結末だけは絶対に認められない。
「ハア……ハア……」
思考を止めるな。
魔法は使えない。
基礎魔法すら封じられている。
なら、残っているものは何だ。
身体か?
技術か?
癖か?
相手の隙か?
考えろ。
考え続けろ。
俺にはまだ、何かあるはずだ。
この状況を覆す一手が。
魔法の使えない俺が、この絶望をひっくり返す方法が――必ず。




