第11章ー52
『さあ!? 先手を打つのはどちらだー?!』
試合開始の合図が鳴ると同時に、会場の熱気はさらに高まった。
歓声が飛び交い、実況席からはヒューズ先輩の声が響き渡る。
それでも――。
俺とクロノ寮長は、お互い開始位置から一歩も動かなかった。
視線だけが交差する。
まるで互いの出方を探り合うような、静かな時間。
数秒しか経っていないはずなのに、その沈黙はやけに長く感じられた。
……動かない。
寮長は俺との距離を保ったまま、こちらをじっと見据えている。
炎魔法を使えることは知られている。
だから不用意に近付いてこないのか。
それとも――。
俺が先に動くのを待っているのか。
一方の俺は、寮長の手札をほとんど知らない。
レイジ先輩や他の上級生なら噂くらいは耳に入る。
けれど、クロノ寮長については驚くほど情報がなかった。
つまり、完全な未知数。
だからこそ慎重になる。
見た目だけなら、筋骨隆々というタイプじゃない。
長身ではあるけれど、身体つきは引き締まっていて無駄がない。
剣士というより、魔法主体の戦い方をしそうな印象だ。
遠距離型か。
あるいは罠を張るタイプか。
近付かないのも、俺が不用意に踏み込むのを待っているからかもしれない。
『おーっと!? 両選手、睨み合いが続いていますねー!?』
『互いに相手の出方を待っているのでしょうか』
実況が状況を伝える。
だが、考えれば考えるほど答えは出ない。
情報が少なすぎる。
これ以上考えていても埒が明かない。
だったら――。
こっちから仕掛ける。
幸い、俺には目くらまし用の魔法がある。
【ゆらめく炎の光球】で視界を奪い、一気に距離を詰める。
先生との補習で練習した攻撃魔法も、ここで試してみる価値はある。
もちろん怖さは残っている。
でも、クロノ寮長も言っていた。
この大会は挑戦するには絶好の舞台だ、と。
――よし。
そう決意を固めかけた、その瞬間だった。
「……悪いが、そう易々とさせるほど、俺は甘くないぞ」
「なっ!?」
クロノ寮長が動いた。
しかも一瞬だった。
【脱兎跳躍】。
爆発的な加速で、一気に間合いを詰めてくる。
遠距離型じゃないのか!?
俺の予想は、開始早々あっさり覆された。
「ふっ!!」
鋭く踏み込みながら放たれる左拳。
速い。
反応が遅れた。
「ぐっ!?」
咄嗟に右腕へ【部分魔力強化】を施し、防御姿勢を取る。
拳は腹へ届かなかった。
だが。
「う゛っ!」
重い。
腕越しでも衝撃が抜けてくる。
鈍い痛みと痺れが右腕を走り、その勢いのまま二、三歩後ろへ押し込まれた。
『おっと!! 先手を打ったのはクロノ選手!! これは重い一撃だー!!』
『両者とも部分魔力強化を使用していますが、クロノ選手は脱兎跳躍による加速を乗せています。その分、威力で上回りましたね』
アルク先輩の解説を聞き、ようやく納得する。
なるほど。
拳そのものだけじゃない。
加速した勢いまで乗せて殴ってきたのか。
単純な腕力じゃない。
魔法の使い方がとにかく上手い。
もし俺の強化があと少し甘かったら、防御ごと吹き飛ばされていたかもしれない。
……さすが寮長だ。
でも。
ダメージ自体はそこまで深くない。
腕は痺れているが、まだ十分動く。
この程度ならすぐ立て直せる。
「……ふぅ」
軽く息を吐き、気持ちを切り替えようとした、その時だった。
「……ッ!?」
身体の感覚がおかしい。
右腕だけじゃない。
妙な違和感が全身を駆け抜ける。
なんだ、この感覚。
痛みとも違う。
痺れとも違う。
嫌な予感だけが胸の奥で膨らんでいく。
すると、少し離れた場所で構え直したクロノ寮長が、静かに口を開いた。
「すまないな、レールステン」
眼鏡の奥の瞳が、鋭く細められる。
「どうやら、この試合はお前の負けのようだ」
「……えっ!?」
思わず声が漏れた。
まだ始まったばかりだ。
それなのに、その口ぶりはまるで勝敗がすでに決まっているかのようだった。




