第3章ー2
「ここを入って、すぐそこだ」
しばらく魔道馬を真っ直ぐ走らせたあと、ラエルは手綱を切り、道の脇へと進路を変えた。
木々の間を抜け、さらに少し進んだ先に現れたのは、人が三、四人ほど入れそうな小さな木造の小屋だった。
森の奥にひっそりと佇むその姿は、まるで最初からここにあることを知っている者だけが辿り着ける、秘密基地のようだった。
どうやら、ここが目的の休憩地点らしい。
小屋の中には簡素な水飲み場が設けられ、床下には食料などを保管できる収納スペースまで備わっていた。
正直、自分は「ちょっと広めの川辺」くらいのものを想像していたので、この設備の整い具合には驚かされた。
ただし、しばらく人の手が入っていなかったのだろう。
壁の隅には苔が張り付き、床板の一部にはカビのような黒ずみが見える。
村があの惨状になって以来、ここを利用する者はいなかったのかもしれない。
そう考えると、胸の奥がわずかに冷えた。
「ここは魔物除けのタリスターの花が自生してる。だから野良の魔物は近づかねぇ。安心して休めるだろ?」
「へぇ……そんな場所があったなんてな」
確かに、この周囲には不思議なくらい魔物の気配がない。
夜の方が魔物は活発になると聞いたことがあるが、それでもこの静けさは異様なほどだった。
ラエルの説明を聞いて、ようやく納得がいく。
タリスターの花は、人間にとってはほのかに甘い香りのする白い花だ。
だが、野生の魔物にとっては、鼻を刺すほどの強烈な臭気になるらしい。現に魔道馬も怪訝そうな顔を浮かべている。本当にきついみたいだな。
その性質を利用して、村の女性たちの間ではタリスターを使った香水が流行していたとも聞いたことがある。
もっとも、エイシャたちのように人語を解する特殊な魔物には、通用しなかったようだが。
……まあ、あいつらは普通の魔物とは違う。
花の臭い程度でどうにかなる相手ではなかったのだろう。
「よし。水は問題なさそうだな。あとは食料だ」
ラエルは魔道馬をなるべく遠ざけるようにタリスターの花が咲いていなかった自分達が来た道まで連れて行き、その辺の木に繋ぎ終えると、水飲み場の水を一口だけ含んで確かめた。
しばらくして頷いたところを見るに、水質は問題なさそうだ。
だが、本当の問題は食料の方だった。
水は比較的腐りにくいが、食べ物には保存できる期間というものがある。
一年以上、誰も訪れていないであろう小屋に残された保存食が、本当に安全かどうかは分からない。
「床下に保存食を大量に詰めてあるはずだ。……確認してみるか」
ラエルが床板を開け、収納スペースを覗き込む。
自分も隣から恐る恐る中を確認した。
そこには、ジャーキー、ビスケット、ドライフルーツといった長期保存向きの食料が、ぎっしりと詰め込まれていた。
「うーん……見た目はカビてないな……」
「匂いも……いや、ちょっと怪しいか? なんの臭いかよく分かんねぇな」
自分とラエルは、それぞれ保存食を手に取り、見た目と匂いで必死に安全性を見極めようとする。
だが、正直なところ――素人判断にもほどがあった。
ドライフルーツからは、明らかに怪しい酸味のある臭いが漂っている。
一方、ビスケットは少し湿気て柔らかくなっている程度で、見た目も匂いもそこまで異常はない。
ジャーキーも、色合いに大きな変化は見られなかった。
……いや、これ本当に大丈夫なのか?
「「……」」
確証が持てないまま、自分とラエルは同時に黙り込んだ。
――ここで適当に食べて、食中毒にでもなったら終わりだ。
かといって、何も食べずに長距離移動を続けるのも無理がある。
体力が尽きれば、逃げることすらできなくなる。
そんな最悪の想像をしていた、そのときだった。
ぎゅるるるるる……
腹の虫が、情けない音を立てて鳴った。
しかも、自分とラエルの二人分。
ほぼ同時だった。
「……腹当たっても、ミオがなんとかしてくれる……よな?」
「……ああ。多分…な」
自分でも苦しい言い訳だと思いながら、自分はビスケットとジャーキーを手に取った。
ラエルも同じものを持ち、無言で頷く。
……本当に大丈夫なのか、これ。
いや、今さら考えても仕方ない。
腹が減っているのは事実だし、食べなければ体力も持たない。
それに、ミオは治癒魔法が使える。
万が一のことがあっても、多少は何とかしてくれるだろう。
……多分。
こうして自分たちは、わずかな希望と不安を抱えたまま、ミオの待つ小屋の中へと戻るのだった。




