第2章ー19
「あそこだ! 容赦は要らん!! 殺せぇぇぇ!!!」
「向こうから回り込め! あのガキだけは絶対に逃がすな!!」
「はあ……はあ……!」
怒号が飛び交う中、自分は必死に走り続けていた。
魔物の群れが、次々と押し寄せてくる。
だが、自分の役目は囮だ。奴らの注意がこちらに向いている今、何としても視線を逸らさせるわけにはいかない。
そのため、脱兎跳躍は使わず、魔物たちが自分を見失わない程度の距離を保って走っていた。
――だが。
「ッ!?」
前方に目を向けた瞬間、思わず足を止めかけた。
先回りされている。
魔物の脚力を甘く見ていたつもりはない。だが、それでも想定以上の速さだった。
「……やるか」
前方には三、四体の魔物。背後には、数える余裕すらないほどの大群が迫っている。
周囲には建物が密集しており、少し先には横道も見える。だが、今からそちらへ向かったところで、魔物たちに先回りされるのがオチだろう。
――逃げ道は、実質的に塞がれている。
自分は前方の魔物たちに意識を向け、いつでも魔法を放てるよう身構えた。
しかし、一撃であの数を仕留め切れるだろうか。
道幅が狭いとはいえ、相手は複数。火球を撃ち込んでも、全員を倒せる保証はない。むしろ中途半端に攻撃すれば、前後から挟み撃ちにされる危険が増すだけだ。
考えろ。
この状況を打破する方法を。
「……」
――あった。
成功するかどうかは、正直なところ賭けに近い。
それでも、うまくいけば前方の魔物だけでなく、後ろから追ってくる連中までまとめて巻き込める。
「ふう……」
前方の魔物たちとの距離は、約五十メートル。
落ち着け。
さっきのような失敗は、二度と繰り返さない。
自分は一度、深く息を吸い込んだ。
「はっはっは! 観念しろ、クソガキ!!」
「……」
距離、三十メートル。
まだだ。
もう少し、引きつけろ。
――二十メートル。
「死ねやぁぁぁ!!!」
――十メートル。
「はあっ!!」
残り十メートルを切った瞬間、自分は脱兎跳躍を発動させた。
そして、全力で地面を蹴り、前方の建物へと跳躍する。
「なっ!?」
正面から迫っていた魔物たちは、突然の行動に反応できなかった。攻撃を仕掛ける寸前だった身体が硬直し、驚愕に目を見開いている。
無理もない。
何しろ、自分自身がついさっき思いついた策なのだから。
建物の壁を蹴り、さらに高く跳び上がる。
いわゆる、壁を利用した特大のジャンプだ。
前世のゲーム知識が、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。……いや、どちらかといえばパルクールの知識に近いか。
前世の運動音痴な自分なら、間違いなく失敗していただろう。
だが、今の自分ならできる。
そう信じて踏み切った。
とはいえ、本当に成功するとは思わなかった。失敗していれば、壁に顔面を叩きつけて、そのまま地面に転がっていたかもしれない。
それでも成功したのは、これまで訓練してきたおかげだろう。脱兎跳躍の扱いにも、少しずつ慣れてきたということか。
「くそっ!?」
魔物たちの頭上を飛び越え、包囲網を鮮やかにすり抜ける。
――だが、まだ終わりじゃない。
空中で身体を捻り、背後へと向き直る。
「爆ぜる焔よ、火の球として聚合し、眼前に移りし標的に猛る一投を撃ちかけん!」
「っ!?」
「【火球】!!」
自分は詠唱とともに火球を放った。
威力はやや強め。魔力の出力は七割弱に調整している。
狙うのは、前方から追ってきた魔物たちと、背後から迫っていた魔物たちが合流する地点。
つまり――群れの中心だ。
これなら、いける!
「うわあぁぁっ!!?」
放たれた火球は、着弾する直前に大きく膨れ上がった。
次の瞬間、轟音とともに爆炎が炸裂する。
熱風が周囲を薙ぎ払い、衝撃が建物の壁を震わせた。魔物たちの悲鳴が幾重にも重なり、立ち上る火煙が視界を覆い尽くす。
つい先ほどまで自分を追い詰めていた群れが、一瞬にして地獄絵図へと変わった。
「よしっ!」
思わず声が漏れた。
自分としては上出来だ。
できることなら、全員まとめて倒せていれば理想的だったのだが――。
「き、貴様ぁっ!?」
「ちっ……全滅は、さすがに無理か」
火煙が薄れていく。
その向こうから姿を現したのは、倒れ伏した数体の魔物と、傷を負いながらも立ち上がる生き残りたちだった。
どうやら、全員を仕留めるには至らなかったらしい。
「我らの同胞を、よくもここまでやってくれたな……! ガキ、ただで済むと思うなよ!」
「……」
怒りに顔を歪め、殺意をむき出しにする魔物たち。
その姿を見た瞬間、自分の胸の奥にも、同じように熱いものが込み上げてきた。
「……ふざけるなよ」
「あ゛あ゛!?」
「お前らだって、これまで散々、人の命を奪ってきたんだろ。今だって、俺たちを殺そうとしているじゃないか」
「だからどうした? テメーらみてぇな下等種族の命なんざ、知ったことか!!」
「はあ゛ぁ!?」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かが弾けた。
怒りが一気に膨れ上がり、今にも理性を焼き尽くしそうになる。
――こいつらは、人の命を奪い続けてきた。
自分たちの村を襲い、大勢の人々を殺した。
残された子供たちを捕らえ、苦しめ、自由を奪った。
それなのに、こいつらは何一つ悪びれることもなく、今もなお、自分たちの命を奪おうとしている。
人間の命など、取るに足らないものだとでも言うように。
その身勝手さが、どうしようもなく腹立たしかった。
「お前らは……これからも、人の命を奪い続けるつもりなのか?」
「はっはっはっ! 当然だろうが!!」
「……そうか」
自分は、静かに息を吐いた。
もう、答えを聞く必要はなかった。
こいつらは、これからも同じことを繰り返す。
人を殺し、苦しめ、踏みにじる。
そのたびに、誰かが大切な人を失い、絶望することになる。
そんな未来を、自分は見過ごせない。
人間の法では裁けないのだとしても。
誰もこいつらを罰することができないのだとしても。
ならば――自分が、ここで止める。
「お前らの好きには、もうさせない」
自分は剣を握り直し、魔物たちへと切っ先を向けた。
「俺がここで殺してやる。……かかってこい!!」
その言葉とともに、自分は一歩、前へ踏み出した。




