第2章ー17
「くっ!?」
「おら、どうしたぁ!! そんな軟弱な動きで、自分を殺せると思ったのかァ?!」
魔物は怒声を上げながら、手にした棍棒を振り回してくる。
自分は地面に落とした業火剣を拾い上げ、どうにかその攻撃を受け流す。しかし、圧倒的な力に気圧され、後ずさることしかできなかった。
攻めに転じる隙が見つからない。
剣を振るう余裕すらなく、ただ相手の攻撃を凌ぐだけで精一杯だった。
――くそっ!
完全に自分の落ち度だ。
こいつらなら何とかなる。エイシャほど警戒する必要はない。
いつの間にか、そんなふうに相手を見くびっていた。
だが、今になって思い知らされる。
自分はこいつらに、これまで何度も痛めつけられてきたはずだ。その恐ろしさを身をもって知っていたはずなのに、いざ自分が戦う側になった途端、その事実を忘れていた。
こいつらは、決して雑魚なんかじゃない。
自分にとっては、十分すぎるほどの脅威だ。
エイシャばかりを警戒し、他の魔物を甘く見ていた自分が情けない。
作戦を決行する少し前、自分はエイシャが魔王に助力を求めるため、しばらく村を離れるという話を耳にしていた。
おそらく、その出発前に自分たちを処分しておくよう、他の魔物たちに命じたのだろう。
だからこそ、エイシャが不在の今こそが脱出の好機だと考えた。
間違ってはいなかったはずだ。
だが――現実は、そう甘くなかった。
「おらぁ!!」
「ッ!?」
棍棒が迫り、慌てて剣を構える。
今さら反省したところで、何も変わらない。
そもそも、何もせずに大人しくしていたところで、自分たちが殺されるのは目に見えていた。だったら、危険を承知で動くしかない。
まずは目の前のこいつを何とかする。
そう考えているのに、剣を握る手の震えが止まらなかった。
攻撃を受け流し続けているせいで、腕にもかなりの負担がかかっている。だが、それだけじゃない。
身体の奥底にこびりついた恐怖が、いまだに抜けきっていないのだ。
――くそっ。自分の身体ながら、情けない。
このままでは作戦を遂行できない。
ミオたちが魔物に見つかる危険もあるし、こんな状態で別の魔物に遭遇すれば、今度こそ逃げ切れないかもしれない。
早く、こいつを片づけなければ。
「これなら、どうだァッ!?」
「ぐっ!?」
魔物が棍棒を大きく振りかざした。
その瞬間、全身に悪寒が走る。
――これは、まずい!
これまでの攻撃とは違う。
ただ力任せに振り回しているのではない。自分を確実に仕留めるため、狙いを定めた一撃だ。
まともに受ければ、骨を砕かれるどころか、命すら危うい。
本能がそう告げていた。
脱兎跳躍で回避しろ!
頭では理解していた。
だが、身体が動かない。
足を動かそうとしても、後ずさることしかできなかった。恐怖に縛られた身体は、自分の意思にまるで応えてくれない。
「死ねやァァッ!!」
「くっ、そ……!」
棍棒が振り下ろされる。
脱兎跳躍では間に合わない。
そう判断した自分は、ふらつく身体を無理やり動かし、紙一重で側面へ回り込んだ。
それが、精一杯だった。
「ぐっ!?」
棍棒が地面を叩きつける。
轟音とともに、コンクリートの破片と土砂が勢いよく飛び散った。
「うおっ!?」
自分は反射的に腕と剣で顔を覆い、飛来する破片から身を守る。
――避けた!
そう思った、次の瞬間。
「馬鹿がっ!」
「ッ!?」
反対側から拳が飛んできた。
しまった!
棍棒の一撃は、自分の動きを制限するためのものだったのか。
回避に意識を奪われたせいで、反対側への警戒が完全に抜け落ちていた。
避けきれない。
防御も間に合わない。
「死ねっ!」
次の瞬間、重い拳が自分の顔面に叩き込まれた。
ゴッ、と鈍い音が響く。
「がっ……!?」
衝撃で視界が大きく揺れ、口の中に鉄の味が広がった。
吐き出された血の塊が地面を汚す。
身体がよろめき、足元がふらついた。
「ヒハハハハハッ! これで思い知ったか、クソガキィ!」
痛い。
……いや、痛くない?
どっちだ?
頭がぐらぐらする。視界も定まらない。
脳を揺さぶられたせいで、痛みをまともに感じられなくなっているのだろうか。
「ヒハ……ッ! 次で……終わりだ!」
魔物の声が遠く聞こえる。
頭の中で音が反響し、言葉の一つ一つがうまく聞き取れない。
それでも、何を言っているのかは分かった。
次で終わり。
つまり、次の一撃で自分を殺すつもりなのだ。
「今度こそ、死ねやァッ!!」
「……」
魔物が再び拳を振りかぶる。
避けなければ。
防がなければ。
そうしなければ、本当に死ぬ。
……なのに。
不思議と、もうどうでもよくなっていた。
「おらぁっ!!」
「……」
拳が再び自分の顔面を捉える。
額から血が流れ落ち、頬を伝って地面へ滴った。
「なっ!?」
だが、自分は倒れなかった。
それどころか、身体がほとんど揺らぐこともなかった。
今度は頭も揺れていない。
痛みも、感じない。
……そうか。
自分は、ゆっくりと理解した。
痛みを感じなくなったのは、頭を殴られたせいだけじゃない。
これまで何度も、こいつに殴られてきた。
蹴られ、殴られ、抵抗することすら許されず、何度も地面に這いつくばらされた。
そのたびに、痛みを味わってきた。
だから――。
「……痛くねーよ」
「……は?」
魔物の動きが止まった。
自分はゆっくりと顔を上げ、目の前の魔物を見据える。
痛みがない。
いや、違う。
痛みがないから平気なのではない。
これまで何度も味わってきた痛みが、今はもう、自分を動けなくするほどのものではなくなっていた。
少なくとも、こいつに殴られること自体を恐れる必要はない。
そう思えた瞬間、胸の奥で何かが切り替わった。
「ぜんっっっぜん、痛くねーよォッ!!」
「ッ!?」
叫んだ瞬間、剣を握る手の震えが消えた。
さっきまで全身を支配していた恐怖が、嘘のように遠のいていく。
いや、恐怖そのものが消えたわけじゃない。
目の前の魔物が危険な存在であることは、今も十分に理解している。
それでも――もう、怯えてばかりはいられない。
ミオたちを守るために。
全員で生きて村を出るために。
ここで、立ち止まるわけにはいかない。
「て、てめぇ……」
魔物の顔に、初めて動揺が浮かんだ。
自分は剣を握り直し、静かに構えを取る。
さっきまでとは違う。
もう、相手の動きに怯えてはいない。
狙う場所も、やるべきことも決まっている。
――こいつを殺す。
そう思った瞬間、自分の身体は自然と突きの構えを取っていた。
迷いはない。
恐怖に身体を縛られることもない。
あとは、この一撃を決めるだけだ。
「……死ね」
静かな声とともに、自分は剣を突き出した。
狙いは、心臓。
剣先が魔物の胸へと吸い込まれ、深々と突き刺さる。
「ッ!? がはっ……!?」
魔物は何が起きたのか理解できないとでも言いたげに目を見開き、その場に棒立ちになった。
つい先ほどまで、自分を一方的に痛めつけていた相手。
その胸に、今度は自分の剣が突き立っていた。




