第2章ー15
「よいっしょ、と」
祭壇の下に隠されていた抜け道を通り、自分たちは教会の外へと続く井戸に辿り着いていた。
この井戸は、先ほどまで自分が閉じ込められていた小屋の近くにある。井戸の内壁には梯子代わりの足場が等間隔に設置されており、子供でも問題なく登れる造りになっていた。
自分は足場を一つずつ踏みしめながら井戸を登り、地上へ出る直前で動きを止める。
「魔物は……よし、大丈夫そうだ」
井戸の縁から慎重に周囲を窺い、魔物の姿がないことを確認する。
おそらく、奴らはエイシャのもとに集まっているのだろう。村を捨てるという話が本当なら、今頃はその準備や今後の方針について話し合っているのかもしれない。
いずれにせよ、今は好都合だ。
「みんな、上がって来ていいぞ!」
自分は地上へ這い上がると、井戸の中へ向かって声をかけた。
それを合図に、子供たちが一人、また一人と足場を登ってくる。
転ばないように手を貸しながら、全員が無事に上がってくるのを待った。
――
「よし、これで全員だな」
最後の一人が地上へ出てきたのを確認し、自分は小さく息を吐いた。
全員、無事にここまで来られた。
ミオが自分を信じてくれたおかげだ。彼女が皆の背中を押してくれなければ、こうして全員で抜け出すことすらできなかったかもしれない。
本当に、感謝してもしきれない。
「こんなところ、よく知ってたわね」
「ん? ああ……昔、お父さんに聞いたことがあったのを思い出してさ」
そう答えながら、自分はかつての記憶を辿る。
生きていた頃、父に連れられて教会を訪れたことがあった。
そのとき、父は教会の地下に『非常時の避難経路』があると、なぜか得意げに語っていたのだ。
当時は、ふうん、と聞き流していた気がする。
まさか、こんな形でその話に命を救われることになるとはな。
人生、何が役に立つか分からないものだ。
ちなみに、この井戸は地下水路には繋がっていない。外から見れば、ただの井戸にしか見えない造りになっている。
避難経路の存在が敵に知られれば、出口で待ち伏せされる危険がある。だからこそ、外からは経路の存在を悟られないよう、巧妙に隠されているのだろう。
今は、この仕掛けに感謝するしかない。
「さて、作戦をもう一度確認する」
自分は気持ちを切り替え、集まった子供たちを見渡した。
ここから先は、一つの判断ミスが全員の命取りになりかねない。
この村から脱出するために、やるべきことは大きく分けて三つ。
一つ目――魔障結界の解除。
二つ目――移動手段の確保。
そして三つ目は、魔物の注意を引きつける囮役だ。
「まずは魔障結界だ。これが解けなければ、村の外へ出ることはできない。最優先で解除する必要がある」
結界を突破できなければ、どれだけ急いでも意味がない。
逆に言えば、結界さえ解除できれば、脱出の可能性は大きく広がるはずだ。
「魔障結界は、おそらく儀式によって維持されている。なら、儀式に使った方陣か、その核を破壊すれば解除できるはずだ」
「どうしてそう言えるの?」
ミオが不安げに尋ねてくる。
「これだけの規模の結界を常時維持するとなると、術者が自分の魔力を注ぎ続ける方法や、魔道具を使う方法じゃ無理がある。少なくとも、自分たちが見てきた限りではな」
もちろん、絶対とは言い切れない。
だが、広範囲にわたって長期間維持されているこの結界を考えれば、儀式によって構築されたものだと考えるのが自然だ。
「儀式なら、一度完成させれば、術者がずっと魔力を注ぎ続けなくても維持できる可能性がある。だからこそ、どこかに儀式の痕跡や、結界を支える核が残っているはずなんだ」
「でも、もし方陣が見つからなかったら……?」
「必ずある。……いや、少なくとも、探す価値はある」
自分は一度言葉を切り、考えを整理する。
「そもそも、結界を解除できないなら、奴らがわざわざ村を捨てる必要はないはずだ。外敵から身を守るためのものなら、この村に居続けた方が安全だからな」
村を捨てるという判断を下した以上、奴らには何かしらの事情がある。
そして、その事情が結界の仕組みに関係している可能性もある。
もちろん、今の段階では推測にすぎない。それでも、手掛かりがある以上、試さない理由はなかった。
ミオは少し考え込んだあと、小さく頷いた。
「儀式の発生源は、魔造種を貯蔵していたあの家だと考えている」
自分は村の一角にある、あの禍々しい魔力を放つ建物を思い浮かべた。
近づくだけで気分が悪くなり、長居すれば正気さえ削られかねない場所。
人間が寄りつきにくい場所だからこそ、重要なものを隠すには都合がいい。
あの建物の地下に何かがあるのなら、そこが最も怪しい。
「ミオ、結界の解除はお前に頼みたい」
「わ、私が?」
突然指名され、ミオが目を丸くする。
「ああ。お前は風魔法と治癒魔法が使えるだろ? 魔力酔いを抑えたり、身体への負担を軽減したりできる可能性がある。俺よりも、お前が向かう方が適任だと思う」
「そ、そうかな……。簡単な魔力酔いを抑える術なら使えるけど、あの場所でどこまで効果があるかは分からないよ?」
「それでも、頼りにしてる」
自分がそう告げると、ミオは一瞬だけ不安そうな表情を浮かべた。
だが、すぐに小さく拳を握り、顔を上げる。
「……うん! 効き目は保証できないけど、やってみるよ!」
「助かる」
家そのものを破壊するという手も考えたが、もし地下に結界の核があった場合、建物ごと潰してしまえば、かえって手掛かりを失う危険がある。
それに、何が仕掛けられているか分からない以上、むやみに破壊するのは避けたい。
まずはミオに内部を調べてもらい、何があるのかを確かめる。それが最善だろう。
「次に、移動手段の確保だ」
自分は視線をラエルへ向けた。
彼はまだ完全に納得したわけではないらしく、どこか険しい表情を浮かべていた。
それでも、今は余計なことを言わず、こちらの話に耳を傾けている。
「馬小屋で馬を確保するんだろ?」
自分が説明するより先に、ラエルが口を開いた。
「ああ、その通りだ」
自分は頷く。
ただし、普通の馬は魔障の影響で既に死んでいる。今、馬小屋に残されているのは、魔物たちが使役する魔道馬だ。
普通の馬に比べれば多少厳つい見た目をしているが、乗る分には問題ないはずだ。
「それと、荷車も必要だ。全員を乗せて移動する」
「それなら確認した。馬小屋の横に一台あったよ」
ラエルがすぐに答える。
「助かる。これだけ人数がいるんだ。全員が馬に乗れるわけじゃないし、荷車があるなら使わない手はない」
歩いて逃げるには距離がありすぎる。
子供たちの体力にも限界があるし、途中で誰かが動けなくなれば、それだけで全員が危険にさらされる。
移動手段の確保は、結界の解除と同じくらい重要だった。
「そして、最後に――俺が囮になる」
その言葉を口にした瞬間、周囲の空気が張り詰めた。
子供たちが一斉に息を呑む。
「皆が動きやすいように、俺が魔物の注意を引きつける。今のところ、まともに戦えるのは俺だけだからな」
「サダメ……」
ミオが不安げに自分の名を呼んだ。
当然だろう。相手は大人の魔物だ。いくら自分が普通の子供より頑丈で、魔法を使えるからといって、勝てる保証なんてどこにもない。
それでも、誰かが危険を引き受けなければ、全員で逃げることはできない。
「もちろん、あわよくば数体は倒すつもりだ。だが、深入りはしない。俺の目的は魔物を全滅させることじゃないからな」
勝つことにこだわれば、いつか必ず無理をする。
ここで必要なのは、敵を倒すことではなく、皆が逃げるための時間を稼ぐことだ。
それだけは、絶対に忘れてはいけない。
「作戦を開始したら、各自の判断で動いてくれ。魔物を貯蔵庫と馬小屋から、できるだけ引き離すんだ。ミオは結界の解除を、ラエルは移動手段の確保を頼む。何か異常があったら、無理をせずに離れること。いいな?」
皆がそれぞれ頷く。
もう時間は残されていない。
いつ魔物たちが戻ってくるか分からない以上、気づかれる前に動くしかなかった。
自分は全員の顔を見渡し、最後にもう一度だけ作戦を確認しようとした。
そのとき――。
「サダメ!」
ミオの声が響いた。
「ん?」
振り返ると、彼女は真っ直ぐに自分を見つめていた。
その瞳には、不安も恐怖もある。
それでも、自分を信じてくれている。
「絶対に――死なないで」
その言葉は、祈りというよりも、強い意志を込めた命令のように聞こえた。
……ああ、そうだ。
自分は、もう死ぬために戦うんじゃない。
自分一人が犠牲になればいいなんて、そんな考えも捨てる。
自分自身も、ミオも、ラエルも、ここにいる全員も。
誰一人欠けることなく、生きてこの村を出る。
それが、今の自分が選んだ道だ。
「……ああ!!」
自分は力強く頷いた。
全員で、生きて帰る。
その決意を胸に、自分たちはそれぞれの役目を果たすべく動き出した。
脱出作戦は――今、始まる。




