第2章ー14
「えっ?」
「な、何? どういうこと?」
あまりにも突然のサダメの発言に、皆が困惑の表情を浮かべる。
無理もない。
私自身、彼が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
この村から脱出する。
そんなこと、今まで誰も口にしなかった。
いや、口にできなかったのだ。
魔物達に支配されたこの場所から逃げ出すことが、どれほど難しいのか。私達は嫌というほど思い知らされてきたのだから。
「おい、ちょっと待てよ!?」
「ラエル?!」
困惑が広がる中、ただ一人、明らかに怒りを露わにしたラエルがサダメへと歩み寄った。
その剣幕に、嫌な予感が背筋を走る。
――まずい。
このままじゃ、また昨日みたいにケンカになってしまう。
「突然帰ってきたと思えば、訳のわかんねぇこと言いやがっ――てっ!!」
「ぐっ!?」
「ッ?! ラエル、ダメ!!」
案の定、ラエルはサダメの胸ぐらを掴み、力任せに引き寄せた。
止めようと慌てて駆け寄るが、ラエルは私の手を振りほどくように身体を動かす。とてもじゃないけれど、割って入れるような状況ではなかった。
せっかく、サダメが戻ってきてくれたのに。
もう一度、皆の前に姿を見せてくれたのに。
ここでまた争ってしまえば、皆の心はますますバラバラになってしまう。
そんなのは嫌だ。
絶対に、嫌だった。
「ごめん」
「……っ?!」
不意に聞こえた言葉に、思わず息を呑む。
謝った……?
胸ぐらを掴まれているのはサダメのほうなのに。
それなのに、彼はラエルを責めるどころか、静かに謝罪の言葉を口にしたのだ。
「言いたいことはわかる。けど、時間がないんだ。頼む――俺の話を聞いてくれないか?」
その声は穏やかだった。
けれど、決して弱々しくはない。
相手を刺激しないように言葉を選びながらも、自分の伝えたいことだけは曲げない。そんな強い意志が、声の奥から伝わってくる。
そして、彼の瞳。
昨日までのサダメとは、まるで別人のようだった。
だけど――。
「……ふざけんなよ!?」
ラエルの怒りは、まだ収まっていなかった。
胸ぐらを掴む手に、さらに力が込められる。
「昨日まで『死にたい』とか言ってたやつが、今度は皆で村を出ようだぁ?! ふざけんのも大概にしろよ! てめぇの自殺願望に、皆を巻き込む気かよ?!」
「ラエル、落ち着いて!!」
怒声が教会中に響き渡る。
ラエルはサダメの身体を激しく揺さぶった。
必死に止めようとするものの、私の声は届かない。
いや、ラエルだって、ただ怒っているだけじゃないのかもしれない。
昨日まで死ぬことばかり口にしていたサダメが、突然、皆を連れて逃げると言い出したのだ。
信じられるはずがない。
これまでの彼を知っているからこそ、ラエルはその言葉を受け入れられないのだろう。
――けれど。
このままでは、何も変わらない。
そう思った、その時だった。
「違う!」
「ッ?!」
サダメの声が、教会の空気を鋭く切り裂いた。
怒鳴り返したわけではない。
ただ、はっきりと。
自分の意志を、真正面からぶつけるような声だった。
その迫力に気圧されたのか、ラエルの腕から、ほんのわずかに力が抜ける。
サダメは、その隙を逃さずに言葉を続けた。
「この村は、じきに捨てられる」
「……何?」
「村を捨てるってことは、俺達も用済みだ。奴らは、間違いなく俺達を皆殺しにしに来る」
その言葉を聞いた瞬間、教会からざわめきが消えた。
誰もが息を呑み、サダメを見つめている。
村が捨てられる。
私達も、殺される。
あまりにも恐ろしい話だった。
けれど、今のサダメの表情を見る限り、ただの思いつきや脅しではないのだろう。
彼は、その事実を知ったうえで、ここへ戻ってきたのだ。
そして、私達に伝えようとしている。
「だから、その前に逃げよう」
サダメは一度、皆の顔を見渡した。
その視線は、誰一人として置き去りにするつもりはないと告げているようだった。
「死にに行くためじゃない。――生きるために!!」
「ッ……」
胸の奥が、熱くなった。
その言葉は、確かに私の心へと届いていた。
昨日まで、死ぬことを望んでいた彼が。
生きることに意味なんてないとでも言うように、すべてを諦めていた彼が。
今は、自分の声を振り絞って叫んでいる。
――生きるために。
その言葉を、こんなにも力強く。
……嬉しかった。
彼が戻ってきてくれたことも。
もう一度、前を向いてくれたことも。
そして何より、彼自身が生きようとしてくれていることが。
どうしようもなく、嬉しかった。
「……けど……」
ラエルの声が、先ほどよりも弱々しくなる。
胸ぐらを掴んでいた手にも、迷いが滲んでいた。
村からの脱出。
その難しさを、誰よりも理解しているのは、年長者であるラエルなのだろう。
逃げようとすれば、魔物達に見つかるかもしれない。
見つかれば、どんな仕打ちを受けるか分からない。
そもそも、どうやって村の外へ出るのか。
成功する保証など、どこにもない。
責任と恐怖、そして厳しい現実が、彼の心を縛りつけているのだ。
だからこそ――。
「脱出する方法、あるんだよね?」
私は、サダメに問いかけた。
「ッ?! ミオ、おまえ……」
ラエルが驚いたようにこちらを振り向く。
けれど、私は視線を逸らさなかった。
ここで踏み出さなければ、何も変わらない。
誰かが最初の一歩を踏み出さなければ、私達はこのまま、ただ怯えて過ごすことしかできない。
それに……。
私は、彼の目を信じたかった。
「ああ!」
サダメは、迷うことなく頷いた。
その瞳に、嘘の色は見えなかった。
もちろん、本当に脱出できるのかどうかは分からない。
彼の考えが、すべて正しいとも限らない。
それでも。
今の彼なら、きっと何かを変えてくれる。
そう思えた。
「わかった。私は信じるよ」
「なっ?! ミオ、なんで……」
ラエルが、信じられないとでも言いたげに声を上げる。
私はそんな彼に、そっと微笑みかけた。
「だって……」
そして、もう一度サダメへと視線を戻す。
「今のサダメの目、『生きたい』って言ってる目だもん」
「ッ……」
サダメの表情が、わずかに揺れた。
昨日までの彼の瞳は、まるで何も映していないかのようだった。
生きることも、明日を迎えることも、すべてを諦めてしまったような目。
けれど、今は違う。
その瞳は、確かに前を向いている。
自分自身の未来を。
そして、私達と一緒に生きていく未来を。




