第2章ー12
この村を捨てる。
つまり――この村には、もはや存在する価値がないということだ。
勇者という脅威が迫っているとはいえ、あれほど大量に生産していた魔造種を、そう簡単に切り捨てられるものなのだろうか。
あれは奴らにとって、必要な“資源”ではなかったのか。
それとも、勇者の脅威は、それすら惜しくないほどのものだというのか。
「……」
考えかけて、すぐにやめた。
――もう、どうでもいい。
村が捨てられるというのなら、ここにいる子供達はどうなる?
答えは分かりきっていた。
全員、処分される。
自分も含めて。
奴らにとって、自分達の存在価値など、その程度のものなのだ。
……なら、悪い話じゃない。
ようやく楽になれる。
もう殴られることも、蹴られることもない。
この終わりの見えない苦しみから、ようやく解放されるのだ。
皆も、同じだ。
これ以上、苦しまずに済む。
――本当に、そうか?
不意に、胸の奥から問いかける声がした。
あの子達は、どんなに苦しくても生きようとしていた。
いつ終わるとも知れない地獄の中で、それでも僅かな光を信じ、必死に手を伸ばしていた。
そんな姿を、自分は何度も目にしてきたはずだ。
『それでも、私は生きたいと思うよ』
昨晩、ミオが口にした言葉が脳裏をよぎる。
あのときは、自分を励ますための綺麗事だと思っていた。
こんな状況で生きたいと願ったところで、何が変わるというのか。
希望を抱けば抱くほど、叶わなかったときの絶望が深くなるだけではないのか。
そう思っていた。
だが――もし、あれが彼女の本心だったのなら?
どれほど苦しくても。
どれほど絶望的な状況でも。
それでも生きたいと、心の底から願っていたのだとしたら。
「……くっ……!」
胸の奥が、ぎりりと軋んだ。
何かが込み上げてくる。
押し殺そうとしても、どうしても抑えられない。
頬を、涙が伝っていた。
――なんで俺は、真っ先に諦めていたんだ?
あんなに幼い子供達が、必死に生きようとしている。
明日さえ分からない毎日の中で、それでも生きることを望んでいる。
それなのに。
大人である自分は、何をしていた?
自分の苦しみから逃れることばかり考え、死ぬことを望んでいただけじゃないか。
……情けない。
父と母を失ったあの日、自分は絶望の底に叩き落とされた。
助けなど来ない。
生きていたところで、何も変わらない。
そう決めつけて、生きる意味さえ見失っていた。
だが――今は違う。
勇者は実在する。
しかも、グランドオーダーを倒したというのなら、少なくとも自分達が想像していた以上の力を持っているはずだ。
ここまで来てくれる保証はない。
間に合う保証だってない。
それでも、可能性はある。
ならば、やるべきことは一つだ。
勇者が来るまで、子供達を生かす。
そして――この村から逃がす。
「……ダメだ。あいつらを、死なせるわけにはいかない」
声に出した瞬間、胸の奥で何かが変わった気がした。
死ぬことばかり考えていた頭が、ようやく前を向き始める。
まだ終わっていない。
自分達は、まだ生きている。
だったら――やれることがあるはずだ。
「……ふんっ!!」
自分は拘束された手首をひねり、指先に炎魔法を灯した。
小さな炎が縄へと燃え移る。
じりじりと繊維が焦げ、やがて耐えきれなくなった縄が崩れ落ちた。
皮膚がわずかに焼ける匂いが鼻をつく。
だが、痛みはほとんど感じなかった。
殴られすぎたせいで、身体の感覚が鈍っているのだろう。
「……よし」
両手を自由にした自分は、ゆっくりと身体を起こした。
全身が軋む。
足元も、少しばかりふらつく。
それでも、立てる。
歩ける。
走れる。
そして、戦うことだってできるはずだ。
――この頑丈な肉体に、初めて感謝した。
「さて……ここからだ」
感傷に浸っている暇はない。
時間は限られている。勇者がいつこの村へ到着するのか分からない以上、一刻も早く行動を起こさなければならない。
だが、脱出するには最大の障害が残っている。
「魔障結界を、どうするか……」
この村を覆う魔障結界。
これを解除できなければ、村の外へ逃げ出すことは難しい。
無理に突破しようとすれば、結界の影響を受ける可能性もある。子供達を連れての脱出となれば、なおさら危険だ。
ならば、解除する方法を探すしかない。
考えられる可能性は、三つ。
一つ目。
術者が魔力を供給し続け、結界を維持している場合。
だが、これほど広範囲に及ぶ結界を維持するには、莫大な魔力が必要になるはずだ。
魔物といえど、常時それだけの魔力を注ぎ続けるのは現実的ではない。
二つ目。
魔道具による発動。
魔力を蓄えた道具を利用すれば、術者が直接魔力を供給せずとも結界を維持できる可能性はある。
しかし、魔道具である以上、魔力の消耗や部品の劣化といった問題は避けられない。
これほど長期間、安定して結界が張られている現状を考えると、可能性は低そうだ。
そして、三つ目。
――儀式型。
あらかじめ特定の条件を整え、儀式によって結界を発動させる方法だ。
一度成立させてしまえば、継続的な魔力供給を必要とせず、半永久的に効果を発揮する仕組みも考えられる。
準備には相応の手間がかかるだろうが、魔造種を大量に生産し、村全体を支配下に置いている奴らなら、十分にあり得る話だ。
……最も可能性が高いのは、この儀式型だろう。
もちろん、今の段階では推測にすぎない。
だが、何もせずに諦めるよりはいい。
それに、この三つには共通点がある。
結界を維持するための何らかの仕組みが、どこかに存在するということだ。
術者であれ、魔道具であれ、儀式の核となるものがあるはず。
ならば、それを探し出し、破壊する。
それが、今の自分にできる最善の策だ。
「発生源を探しつつ、あいつらにも逃げる準備をさせる……」
やるべきことは山ほどある。
結界の発生源を探す。
子供達を説得する。
脱出の準備を整える。
しかも、いつ勇者が到着するか分からない。
時間が足りない。
自分一人ですべてをこなすのは、どう考えても無理がある。
――子供達にも協力してもらうしかない。
「……」
そこまで考えたところで、ふと我に返った。
……いや、待て。
今さら、どの口であいつらに協力を頼むつもりだ?
これまで自分は、あいつらとまともに向き合おうとしてこなかった。
特に、ラエルには……何を言われても反論できない。
あいつからすれば、自分は自分達と同じ地獄にいながら、手を差し伸べるどころか、最初からすべてを諦めていた人間なのだから。
そんな自分が、今になって助けたいなどと言ったところで、信じてもらえるのだろうか。
協力してくれる保証など、どこにもない。
「……」
弱気になりかけた自分に、思わず歯を食いしばる。
――それでも、やるしかない。
「何を馬鹿なこと考えてる……!」
自分の頬を思い切り叩いた。
鈍い痛みが走る。
それだけで、頭の中が少しだけすっきりした。
今さら、自分の立場を気にしている場合じゃない。
信じてもらえないなら、信じてもらえるように行動する。
拒絶されたとしても、諦めるわけにはいかない。
自分が勝手に諦めて、あいつらまで巻き添えにするなんて、そんなことが許されるはずがないのだから。
「……待ってろ」
拳を、強く握り締める。
「絶対に――皆、助けてやる」
その言葉を胸に刻み、自分は小屋を飛び出した。
生きるために。
子供達を守るために。
そして、二度と誰かの命を諦めないために。
この地獄から、必ず脱出する。




