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転生勇者が死ぬまで10000日  作者: 慶名 安
2章 脱出編

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第2章ー10

 「おい、お前。こんなところで何やってんだ?」


 「……」


 背後から声をかけられ、俺はゆっくりと振り返った。


 聞き覚えのある声だった。


 嫌というほど聞かされてきた、忘れようにも忘れられない声。


 そこに立っていたのは、いつも必要以上に暴力を振るってくる、あの魔物の二人組だった。


 ――最悪だ。


 よりにもよって、最後に出会う相手がこいつらだなんて。


 せっかく、ようやく終われると思ったのに。


 俺は思わず、背後に漂う黒い霧へと視線を向けた。


 ここは本来、こいつらの巡回経路から外れているはずだ。


 なのに、どうしてこんなところにいる?


 「ヒハハハハハッ! まさか、こんな場所で出くわすとはなぁ!」


 片方の魔物が、腹を抱えて笑い出す。


 「けどよぉ、ここはテメェらが来るような場所じゃねぇはずだろ? いったい何してやがった?」


 「ケハハハハハッ! さてはサボりか? そいつはいけねぇなぁ!」


 二匹は、俺の顔を覗き込むようにして笑っていた。


 俺が何をしようとしていたのか、気づいているのかどうかは分からない。


 ただ、仕事を抜け出していることだけは間違いない。


 そして、こいつらにとって、それは十分すぎる理由だった。


 罰を与えるという名目で、好きなだけ暴力を振るえる。


 自分たちの鬱憤を晴らすには、これ以上ない獲物というわけだ。


 「……」


 二匹の笑い声が耳にまとわりつく。


 その不快な響きが、骨の髄にまで染み込んでくるようだった。


 ――まずい。


 こいつらに捕まるわけにはいかない。


 ここで捕まれば、また殴られる。

 

 蹴られる。

 

 何度も、何度も。


 そして、きっと今度も死ぬことはできない。


 俺は残された力を振り絞り、じりじりと後ずさった。


 目指す先は、すぐ後ろにある黒い霧。


 あと少し。


 あと一歩でも踏み込めば――。


 「おい、どこ行こうってんだ?」


 「ッ……!」


 逃げ込もうとした瞬間、腕を乱暴に掴まれた。


 「こっちに来い!!」


 「う゛っ?!」


 強引に引っ張られ、身体がよろめく。


 抵抗しようにも、腕を振りほどく力すら残っていなかった。


 俺はそのまま、魔障結界から引き離されていく。


 黒い霧が遠ざかる。


 もう少しだった。


 ほんの少し、足を踏み出すだけだったのに。


 ――くそ。


 あと少しで、楽になれたかもしれないのに。


 「ヒハハハハハッ! 俺たちはサボる奴には容赦しねぇんだよ! 覚悟しとけや!!」


 「ケハハハハハッ! ……まぁ、俺らもサボってたんだけどな」


 「ヒハハハハハッ! そりゃ言わねぇ約束だろうが!」


 二匹はそんなことを言いながら、また大声で笑い始めた。


 自分たちが何をしているのか、分かっているのだろうか。


 ……いや。


 分かっているからこそ、こんなふうに笑えるのかもしれない。


 俺には、もう考える気力すら残っていなかった。


 ただ、遠ざかっていく黒い霧を、ぼんやりと見つめることしかできなかった。


 *


 気がつくと、俺は近くの小屋に連れ込まれていた。


 手足には縄が巻きつけられ、身動きが取れない。


 逃げようにも、身体を起こすことすらままならなかった。


 「おらっ!」


 拳が飛んでくる。


 「ぐっ……!」


 続けざまに、腹へ蹴りが叩き込まれた。


 「おいおい、もう終わりかぁ?」


 「ケハハハハハッ! まだまだこれからだろうが!」


 殴られる。


 蹴られる。


 また殴られる。


 何度も、何度も。


 身体が跳ねるたび、痛みが全身を駆け巡った。


 視界が滲み、何が起きているのかも分からなくなっていく。


 呻き声を上げようとしても、喉から漏れるのは掠れた息ばかりだった。


 顔も、腹も、背中も。


 どこが痛いのかさえ、次第に分からなくなっていく。


 それでも、意識だけは途切れなかった。


 ……どうして、まだ生きているんだろう。


 こんなに殴られているのに。


 こんなに苦しいのに。


 どうして、終わらせてくれないんだろう。


 ――いっそ、殺してくれればいいのに。


 心の底から、そう思った。


 そのとき。


 「なぁ、お前。本当は、死のうとしてたんだろ?」


 「ッ……!?」


 乱暴に髪を掴まれ、顔を無理やり持ち上げられた。


 目の前に、魔物の顔がある。


 歪んだ口元。

 

 愉快そうに細められた目。


 その表情を見た瞬間、俺は理解した。


 ……気づかれていたのか。


 いや、正確には、何かがおかしいと勘づかれていたのだろう。


 ただの憂さ晴らしなら、わざわざこんな小屋に連れ込む必要はない。


 外で殴りつければ、それで済む話だ。


 それなのに、こいつらは俺を拘束し、逃げられないようにしている。


 ――こいつらは、俺を死なせるつもりがない。


 その事実が、じわじわと胸の奥に広がっていった。


 縄を解かれたところで、逃げ切れるとは思えない。


 身体は限界を迎えている。

 

 力も残っていない。


 それどころか、今は立ち上がることさえ難しい。


 どこにも逃げられない。


 何もできない。


 そして、死ぬことさえ許されない。


 「ヒハハハハハッ! せっかく、いいモンを見つけたんだ!」


 魔物が俺の髪を掴んだまま、楽しそうに笑った。


 「他のガキどもは、一発殴っただけで簡単に逝っちまう。けど、お前は違う! ちょっとやそっとじゃ死なねぇ、上等なサンドバッグだ!」


 「……」


 「だからよぉ、簡単には死なせてやらねぇよ。ヒハハハハハッ!」


 その言葉を聞いても、怒りは湧かなかった。


 恐怖も、憎しみも、うまく形にならない。


 ただ、ひどく疲れていた。


 もう何も考えたくない。


 何も感じたくない。


 それなのに、こいつらは俺を生かし続けようとしている。


 「お前が死ぬときは、この村に利用価値がなくなったときだ」


 もう一匹が、さも当然のことのように言った。


 「そんときゃ、お友達と仲良く、たっぷり苦しませてから殺してやるよ」


 耳元で囁かれた言葉は、氷よりも冷たかった。


 俺の命だけではない。


 ラエルたちの命まで、こいつらの都合一つで左右される。


 俺が死ねば、皆に何かが起きるのかもしれない。


 そんなことを考えたところで、今の俺に何ができるわけでもなかった。


 「なぁ、せっかくいいサンドバッグを見つけたんだ。こいつは生かしておいてもいいんじゃねぇか?」


 「馬鹿野郎! そんなこと、あの人が許すわけねぇだろうが!」


 二匹は俺を目の前にして、そんな会話を始めた。


 まるで、道具の使い道でも相談しているかのように。


 生かすか、殺すか。


 いつまで使うか。


 そのすべてを、勝手に決めようとしている。


 俺の意思なんて、最初から存在しないも同然だった。


 ――殺してくれるなら、今すぐ殺してくれ。


 もう、何も望まない。


 何もいらない。


 だから、せめて。


 この苦しみだけでも、終わらせてほしかった。


 けれど、その願いさえ、こいつらには届かない。


 「それより、そろそろ巡回に戻らねぇと、サボってたのがバレちまうぞ?」


 「ヒハハハハハッ! サボってんじゃねぇよ。逃げようとした奴を懲らしめてたんだろうが!」


 「ケハハハハハッ! そりゃあ、あながち間違っちゃいねぇな!」


 反省する様子など、欠片もない。


 自分たちの都合のいいように理由をつけ、笑い飛ばしているだけだった。


 「けどよ、いつまでも戻らねぇと、あの人に怒られちまう。そろそろ行こうぜ」


 「おう。……っと、その前に」


 「ん゛っ?!」


 突然、口の中に布を押し込まれた。


 続けて、後頭部に縄が回され、きつく縛りつけられる。


 猿轡《さるぐつわ》だ。


 声を上げられないようにするためだろう。


 ……見かけによらず、用心深い連中だ。


 「そんじゃ、また後でな」


 魔物は俺の顔を覗き込み、にやりと笑った。


 「たっぷり可愛がってやるからよ」


 「ケハハハハハッ!」


 二匹の笑い声が、遠ざかっていく。


 やがて、扉が閉まった。


 ――バタン。


 その音を最後に、小屋の中は静まり返った。


 薄暗い室内。


 手足を縛る縄。


 口を塞ぐ布。


 そして、どこにも逃げ場のない現実。


 誰もいない。


 誰にも助けを求められない。


 声を上げることさえできない。


 暗闇と沈黙だけが、俺のそばに残されていた。

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