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転生勇者が死ぬまで10000日  作者: 慶名 安
2章 脱出編

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第2章ー7

 サダメの一言で、教会の空気が一変した。


 誰もが息を呑み、言葉を失う。


 本人は無自覚なのかもしれない。

 けれど、今の発言がどれほど危ういものだったのか、私にはわかっていた。


 「……おい、サダメ。今、なんて言った?」


 真っ先に反応したのは、年長のラエルだった。


 彼はゆっくりと立ち上がると、サダメのもとへ歩み寄っていく。


 声は静かだった。

 けれど、その奥には、抑えきれない怒りが滲んでいた。


 「ま、待って、ラエル! サダメはいつも頑張ってるんだよ! 今日は少し疲れてるだけなの! だから、今はそっとしておいてあげて――」


 このままでは、二人が衝突してしまう。


 そう思った私は、慌ててラエルの前に立ちはだかった。


 けれど、彼の顔を見上げた瞬間、思わず息を呑んでしまう。


 「ッ……!?」


 ……大きい。


 改めて見ると、私とラエルの体格差は圧倒的だった。


 一回り……いや、二回りは違うだろうか。


 すぐ目の前に立たれただけで、身体が押し潰されそうな圧迫感に襲われる。


 まるで、人間と巨人だ。


 「どけ!」


 「きゃっ――!」


 ラエルは私を乱暴に押しのけた。


 小さな身体は簡単に弾き飛ばされ、私は床に尻餅をついてしまう。


 「サダメ!」


 ラエルがサダメの胸ぐらを掴み、その身体を壁へと押しつけた。


 「さっきの言葉、もう一度言ってみろ!」


 怒声が教会に響く。


 けれど、サダメは抵抗しなかった。


 胸ぐらを掴まれているというのに、逃れようとする素振りすら見せない。


 ただ、死んだような表情のまま、虚ろな目を床へ向けていた。


 その姿が、余計にラエルの怒りを煽ったのかもしれない。


 「辛いのは皆一緒なんだよ!」


 ラエルの声が、一段と大きくなる。


 「お前が俺たちの代わりに殴られてることくらい、俺たちだってわかってる! 悪いと思ってるし、感謝だってしてる! だからこそ、俺たちは俺たちなりに必死で耐えてんだ!」


 掴んだ胸ぐらを揺さぶりながら、ラエルは言葉をぶつけ続ける。


 「今日だってそうだ! お前が別の作業に回されてる間、残りの仕事は俺たちで全部片付けた! 休む暇もなかったし、魔物どもから嫌味も散々浴びせられた! 身体だって痛いし、心だってとっくにボロボロなんだよ!」


 「……」


 サダメは何も答えない。


 その沈黙に、ラエルの表情がさらに険しくなった。


 「それでも、誰一人『死にたい』なんて言わねぇ!」


 「ラエル、やめて! お願いだから、落ち着いて!」


 私は慌てて立ち上がり、ラエルの腕にしがみついた。


 けれど、私の力ではどうにもならない。


 腕を引っ張っても、押しても、彼はびくともしなかった。


 ほかの子たちも、突然の出来事に怯え、身を縮こまらせている。


 サダメも抵抗しない。


 このままでは、本当に取り返しのつかないことになる。


 ――私が止めなきゃ。


 「ラエル! お願い!」


 必死に訴える私の声も、彼には届いていないようだった。


 「……なんでだと思う?!」


 ラエルはサダメを睨みつけ、怒鳴った。


 「皆、生きたいんだよ!!」


 その叫びに、教会の空気が震えた。


 「どれだけ辛くても、死にたくねぇんだ! 大人が死んで、友達が殺されて……俺たちは、目の前で人が死ぬところを嫌ってほど見せつけられてきた!」


 ラエルの声が、わずかに震えていた。


 怒りだけではない。

 その奥に、別の感情が滲んでいる。


 「だからこそ、これ以上、誰かが死ぬのも……自分が殺されるのも、嫌なんだよ!」


 ……そうだ。


 私たちは、みんな怖いのだ。


 いつ殺されるかわからない。

 明日も生きていられる保証なんて、どこにもない。


 それでも、みんな必死に生きようとしている。


 だからこそ、サダメの言葉は、ラエルにとって許せないものだったのかもしれない。


 けれど――。


 「お願い、ラエル……! 一度落ち着いて! これ以上声を荒げたら、外の魔物たちに気づかれちゃう……!」


 私の言葉にも、ラエルは耳を貸そうとしなかった。


 その時だった。


 「……知るかよ」


 低く、掠れた声が響いた。


 それまで黙り込んでいたサダメが、ゆっくりと顔を上げる。


 「……っ?!」


 ラエルの動きが止まった。


 サダメの目には、怒りも、悲しみも見えなかった。


 ただ、すべてを諦めてしまったかのような、底のない虚無だけがあった。


 「お前らの都合を、勝手に俺に押し付けんな」


 静かな声だった。


 怒鳴り返すわけでも、反抗するわけでもない。


 ただ、突き放すように言い放った。


 その言葉に、ラエルは一瞬、何も言えなくなった。


 怒りをぶつける相手が、目の前にいる。

 それなのに、まるで何も届いていない。


 そんな現実を突きつけられたかのように、彼は口をつぐんだ。


 「……ちっ。そうかよ」


 やがて、ラエルは舌打ちを漏らした。


 掴んでいた手を、乱暴に放す。


 サダメの身体が壁から離れ、後頭部が軽く壁にぶつかった。


 そのまま力なく背中を滑らせ、彼は床に座り込む。


 「サダメ! 大丈夫?!」


 私はすぐさま駆け寄った。


 頭を打っていないだろうか。

 どこか怪我をしていないだろうか。


 心配になって顔を覗き込む。


 けれど、サダメは目を開けたまま、ぼんやりと呼吸を繰り返しているだけだった。


 意識はある。

 呼吸もしている。


 それなのに、まるで心だけが、どこか遠くへ行ってしまったようだった。


 「サダメ……」


 何か声を掛けなければ。


 そう思っても、どんな言葉を選べばいいのかわからない。


 せめて、身体の傷だけでも癒やしてあげよう。


 そう考えて、私は治癒魔法を使おうと手を伸ばした。


 その時――。


 「そんなに死にたいなら、勝手に死ね」


 背後から、冷たい声が飛んできた。


 「死ぬなら――俺たちの目につかないところでな」


 「ラエル!!」


 思わず叫んだ。


 あまりにも酷い言葉だった。


 いくら腹が立ったからといって、言っていいことと悪いことがある。


 今のサダメに、そんな言葉をぶつけてはいけない。


 そうわかっているのに、私はそれ以上、何も言えなかった。


 ラエルもまた、何かを言い返すことなく、険しい顔でその場を離れていく。


 ほかの子たちは、誰も口を開かなかった。


 サダメも、ラエルを責めようとはしなかった。

 謝罪を求めることも、怒りをぶつけることもない。


 ただ、床に座り込んだまま、虚ろな目で前を見つめていた。


 焚き火が、ぱちりと小さく爆ぜる。


 いつもなら、その音に紛れて誰かの話し声が聞こえてくるはずだった。


 けれど今は、誰も何も話さない。


 私たちの間には、どうしようもなく重い沈黙だけが残されていた。

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