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転生勇者が死ぬまで10000日  作者: 慶名 安
2章 脱出編

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第2章ー3

 「ほら、もう少しだから。我慢してね」


 「うっ……ううっ……」


 意識が、ゆっくりと浮上してくる。


 ……あれ?


 自分は確か、ミオに腹を叩かれて――。


 そこまで考えたところで、ようやく状況を理解した。


 どうやら、あの一撃を受けたあと、しばらく意識を失っていたらしい。


 気がつけば、自分はミオの膝枕で横になり、再び治療を受けていた。


 周囲を見渡すと、他の子供たちはすでに眠りについている。


 先ほどまで聞こえていた話し声も、寝返りを打つ音も、今はほとんどない。


 教会の中は、ミオの声がはっきりと耳に届くほど静まり返っていた。


 パチ、パチッ……。


 少し離れた場所では、焚き火の残り火が小さな音を立てている。


 そのかすかな明かりに照らされながら、自分はぼんやりと天井を見つめた。


 ……それにしても。


 膝枕なんて、いったいいつぶりだろう。


 前世では、母親に耳かきをしてもらうとき、よく膝の上に頭を乗せていたものだ。


 あの頃は何も考えず、ただ気持ちよさに身を任せていた。


 母の膝は柔らかくて、温かくて。


 そのまま眠ってしまい、母に苦笑されたこともあったっけ。


 ……懐かしいな。


 もちろん、今のミオの膝だって悪くない。


 六歳の身体に合わせた小さな膝なのに、妙に頭が収まり、思いのほか心地よかった。


 ――いや、待て。


 どうせ膝枕をしてもらうのなら、二十代のセクシーなお姉さんにお願いしたいところだ。


 ……うん。間違いない。


 こんな命の危機に瀕している状況で考えることではないが、これくらいの現実逃避は許してほしい。


 少しでも余計なことを考えていないと、痛みや不安に意識を持っていかれそうになるのだから。


 そんなことを考えていると――。


 「……ねえ、サダメ」


 「ん?」


 ミオが、小さな声で話しかけてきた。


 顔を向けると、彼女は自分の傷口に手を添えたまま、どこか寂しそうな表情を浮かべていた。


 先ほどまで怒っていた彼女とは、まるで別人のようだった。


 「私たち……いつまで、こんな生活を続けるのかな?」


 「…………」


 すぐには答えられなかった。


 何と返せばいいのか、分からなかったのだ。


 ミオの不安は、痛いほど理解できる。


 こんな地獄のような奴隷生活、一日だって続けたくない。


 今すぐ逃げ出したい。


 ここにいる誰もが、きっと同じことを考えているはずだ。


 けれど――。


 現実は、あまりにも厳しかった。


 夜になると、あいつらが生み出したゴーレムが見張りとして村の各所に配置される。


 逃げようとすれば、すぐに見つかる。


 そして、見つかった者に待っているのは――死だ。


 実際、以前、一人の勇敢な少年が脱出を試みたことがあった。


 少年は夜の闇に紛れ、村の外へ向かおうとした。


 だが、ゴーレムに発見され、あっけなく命を奪われた。


 あの日、教会まで響いてきた悲鳴。


 翌朝、自分たちが目にした無残な遺体。


 その光景は、今でも脳裏に焼きついて離れない。


 ……忘れられるはずがない。


 あれを見てしまえば、誰だって逃げることをためらう。


 それだけじゃない。


 村全体を覆う魔障結界も、自分たちの命を少しずつ削っていた。


 結界から漏れ出す魔障は、身体を蝕み、体力を奪う。


 身体が重い。


 何をするにも気力が湧かない。


 時には、ただ立ち上がるだけのことさえ億劫に感じる。


 逃げ出すためには体力も気力も必要なのに、その両方を結界によって削られているのだ。


 これでは、逃げようにも逃げられない。


 ――きっと、皆も薄々気づいている。


 自分たちは、このまま助からないのかもしれない。


 誰も口にはしないだけで、心のどこかでは理解しているのだろう。


 この生活がいつ終わるのか、誰にも分からない。


 明日を迎えられる保証さえない。


 それでも――。


 自分たちには、たった一つだけ、希望が残されていた。


 「……大丈夫だよ。きっと、勇者が助けに来てくれる」


 自分でも驚くほど、自然に言葉が出てきた。


 勇者。


 魔王を討つために選ばれた、特別な存在。


 父から聞いた話では、魔王軍の脅威から人々を救うことも、勇者に与えられた使命の一つなのだという。


 噂では、魔王軍の中でも特に恐れられている十死怪とさえ、互角以上に渡り合えるほどの実力を持っているらしい。


 もし、その話が本当なら――。


 父を殺した、あの化け物だって倒せるかもしれない。


 そして、この村を覆う魔障結界を破り、自分たちを救い出してくれるかもしれない。


 今の自分たちにとって、まだ見ぬ勇者は、暗闇の向こうに差し込む唯一の光だった。


 ……もっとも。


 本当に来てくれるのかどうかは、正直なところ分からない。


 勇者が今どこにいるのかも、何をしているのかも知らないのだから。


 そもそも、この村の惨状を知っているのかさえ怪しい。


 それでも、自分たちは信じるしかなかった。


 いや、違う。


 信じずにはいられなかったのだ。


 誰だって死にたくなんかない。


 明日を生きたい。


 いつか自由になって、もう一度、普通の生活を送りたい。


 そう願うことさえできなくなったら、何のために生きているのか分からなくなってしまう。


 だからこそ、希望が必要だった。


 たとえ、それが不確かなものであったとしても。


 「……うん。そうだよね……」


 ミオは小さく頷いた。


 けれど、自分の頭を支える彼女の手は、かすかに震えていた。


 ……怖いのだろう。


 きっと、自分と同じくらい。


 明日も生きていられるのか。


 いつまでこんな生活が続くのか。


 自分たちは、本当に助けてもらえるのか。


 考えれば考えるほど、不安ばかりが膨らんでいく。


 それでも、彼女は自分の前で涙を見せなかった。


 自分だって同じだ。


 本当は、今すぐにでも叫び出したい。


 助けてほしいと、誰かに縋りつきたい。


 もう嫌だと、すべてを投げ出してしまいたい。


 けれど、そんな本音を口にしてしまえば――。


 自分たちの間に残された、最後の希望まで失われてしまいそうだった。


 一人が諦めれば、その不安は周囲にも伝わる。


 やがて、誰もが生きる気力を失ってしまうかもしれない。


 だから、誰も「死にたい」とは口にしなかった。


 口にできなかった、と言った方が正しいのかもしれない。


 喉元まで込み上げた絶望を、皆が必死に飲み込んでいる。


 ……なら、せめて自分だけでも。


 今は、希望を口にし続けよう。


 それが本当に叶うかどうかなんて、分からない。


 それでも、皆が明日を生きるための支えになるのなら。


 「そ、そろそろいいだろ。明日も早いし、今日はもう寝ようぜ」


 少しばかり強引に、自分は話を切り上げた。


 これ以上、この話を続けていたら、自分まで何もかも諦めてしまいそうだったから。


 「……うん。そうだね」


 ミオも察してくれたのか、それ以上は何も聞いてこなかった。


 やがて、彼女は治療の手を止める。


 身体に残っていた痛みは、かなり和らいでいた。


 まだ傷は残っているものの、これなら今夜は少し楽に眠れそうだ。


 「それじゃ、おやすみ。ミオ」


 「うん。おやすみなさい、サダメ」


 短い挨拶を交わし、自分は目を閉じた。


 ミオの治療のおかげだろうか。


 いつもなら寒さや痛みが気になって、なかなか寝つけないのに、今夜は不思議と意識が沈んでいく。


 身体の下には、柔らかな寝具などない。


 相変わらず床は硬く、吹き込む風も冷たい。


 それなのに、今はまるで柔らかなベッドに包まれているかのような心地よさがあった。


 ……こんなに安らかな気持ちで眠れるのは、いつぶりだろう。


 もしかしたら、村が襲撃されてから初めてかもしれない。


 自分は心の中で、そっとミオに感謝した。


 ありがとう。


 そう伝える声は、もう口から出てこなかった。


 意識が、ゆっくりと遠ざかっていく。


 静かな闇が、自分の身体と心を優しく包み込んだ。


 その温もりに身を委ねながら、自分は深い眠りへと落ちていった。


 ――転生勇者が死ぬまで、残り7804日

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