第1章ーおまけ2
第1章完結。
それから数週間後――俺とステラの結婚式は、無事に執り行われた。
式には互いの家族だけでなく、多くの知人たちも参列してくれた。祝福の言葉と笑顔に包まれた式は大いに盛り上がり、俺たち二人にとって、生涯忘れることのできないかけがえのない思い出となった。
そして、その日の夜。
俺たちは宿屋の一室で、初めて夫婦としての夜を迎えることになったのだが――。
「…………」
部屋の中にいるのは、俺とステラの二人だけ。
彼女はまだ入浴中で、俺はつい先ほど風呂から上がったばかりだった。
浴室の向こうから、シャワーの流れる音が聞こえてくる。
普段なら何とも思わないはずの音なのに、今夜に限っては妙に大きく感じられた。
心臓がうるさい。
ドクン、ドクンと、やけに激しく脈打っている。まるで、この胸の内を誰かに見透かされているのではないかと思うほどだ。
……落ち着け。落ち着くんだ、俺。
俺はベッドの端に腰掛け、何度も深呼吸を繰り返した。
しかし、いくら呼吸を整えようとしても、頭の中を占めている考えは一向に消えてくれない。
(……これは、俺から誘うべきなのか?)
結局、仲間たちからは具体的な助言を得られないままだった。
それどころか、あいつらの反応を思い返すほど、余計なことを考えてしまう。
だが、状況だけを見れば、今夜がその時なのは間違いないだろう。
何しろ、今日は俺たちの結婚式だ。
夫婦になった以上、いつまでも遠慮しているわけにはいかない。……いや、そもそも遠慮する必要なんてあるのか?
(とはいえ、どう誘えばいいんだ……?)
俺は頭を抱えた。
『俺と子供を作らないか?』
……いや、直球すぎるだろ!
『子供は何人欲しい?』
……それも違う。今する話じゃない。
そもそも、そんなことをいきなり口にしたら、ステラだって困るに決まっている。
だが、他にどんな言葉をかければいいのか、まるで思いつかなかった。
騎士団でどれだけ厳しい訓練を積んでも、強大な魔物を相手にしても、こんなふうに頭を悩ませたことはない。
剣を握れば、迷う前に身体が動く。
魔物を前にすれば、倒すべき相手を見定められる。
なのに、たった一人の女性を前にすると、どうしてこうも情けなくなってしまうのか。
……恋愛というものは、魔物との戦いよりもよほど難しいらしい。
そんなことを考えながら、ベッドの上で一人うなっていると――。
「あら? まだ横にもなっていないのね。何をそんなに難しく考えているの?」
「っ?!」
不意に声をかけられ、俺の肩が大きく跳ねた。
振り向けば、風呂上がりのステラが立っていた。
いつの間に戻ってきたのか、まるで気づかなかった。
「い、いや……別に、何でもない」
「ふふっ。本当に?」
「あ、ああ」
我ながら、ひどく歯切れの悪い返事だった。
どうする。
今しかない。そう分かっているのに、肝心の言葉が出てこない。
そんな俺の様子を不思議に思ったのか、ステラは小さく首を傾げたあと、自然な動作で隣に腰を下ろした。
ふわり、と石鹸の香りが鼻をくすぐる。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
「い、いや、その……」
「ふふ。式が終わったばかりなのに、そんなに緊張しているの?」
「んっ?!」
「顔も赤いわよ?」
「そ、そんなことは……!」
否定しようとしたものの、うまい言葉が出てこない。
自分でも分かるくらい顔が熱い。これでは、何を言っても説得力がないだろう。
すると、ステラはいたずらっぽく目を細めた。
「ひょっとして……ムラムラしちゃった?」
「なっ!?」
思わず声が裏返った。
図星だった。
いや、正確には、そういう気持ちだけではない。緊張もしているし、どう振る舞えばいいのか分からず、頭の中がぐちゃぐちゃになっているのだ。
……とはいえ、そんな説明をしたところで、余計に恥ずかしくなるだけだろう。
「……そ、そんなわけないだろ」
「まあ。じゃあ、私には魅力がないってこと?」
「ち、違う! そういう意味じゃない!」
「ふふっ、冗談よ」
楽しそうに笑うステラ。
完全にからかわれている。
分かっているのに、まともに言い返すことすらできない自分が情けなかった。
だが、そんな俺を見つめる彼女の瞳は、いつしか優しいものへと変わっていた。
「ねえ、イノス」
「……何だ?」
「私たち、もう二年以上も一緒にいるのよね」
「ああ」
「そして今日、ようやく夫婦になれた」
ステラはそう言って、そっと俺の手に自分の手を重ねた。
「だったら、もう少しくらい甘えてくれてもいいんじゃない?」
「……」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
……そうか。
俺は、何をそんなに怖がっていたのだろう。
彼女と夫婦になりたいと願ったのは、俺自身だ。
彼女を愛している。これから先も、ずっと一緒にいたいと思っている。
それなのに、いざその時が来ると、関係が壊れてしまうことばかり恐れていた。
失敗したらどうしよう。嫌われたらどうしよう。
そんなことばかり考えて、肝心の彼女の気持ちを確かめようともしていなかった。
……本当に、情けない男だ。
「……すまない、ステラ」
「えっ?」
「俺は、こういうことに慣れていないんだ。恋愛経験だってない。だから……君との関係を壊してしまうんじゃないかと、怖かった」
自分でも驚くほど、素直に言葉が出てきた。
「でも、そんな俺を受け入れて、人生の伴侶になってくれた君を、俺は絶対に幸せにしたい。これから先、何があっても――」
最後まで言い切ることはできなかった。
ステラがそっと身を寄せ、俺の唇に自分の唇を重ねたからだ。
「……っ」
一瞬、呼吸をすることさえ忘れた。
唇が離れると、彼女は少し照れたように微笑んだ。
「そんなに堅苦しく考えなくてもいいのよ」
「ステラ……」
「私は、あなたを愛しているから一緒にいたいと思ったの。それに……いつか、あなたとの子供も授かりたいと思っているわ」
彼女は俺の手を優しく握り直した。
「……イノス。あなたは、どうなの?」
真っすぐに見つめてくる瞳。
そこには、不安も迷いもなかった。ただ、俺の答えを待ってくれている。
それを見た瞬間、胸の奥に渦巻いていた迷いが、嘘のように消えていった。
ああ、そうだ。
難しく考える必要なんてなかった。
俺が伝えるべきことは、最初から一つしかなかったのだから。
「……ステラ」
「うん」
「愛してる」
たった一言。
けれど、今の俺に伝えられる、精いっぱいの気持ちだった。
ステラは一瞬目を見開き、それから、花が咲くような笑顔を浮かべた。
「……私も、愛してるわ」
その夜、俺たちは初めて、互いの心と身体を重ねた。
それは、どんな戦いで勝利を収めた時とも違う、言葉では言い表せないほど温かな時間だった。
* * *
「……ふふっ」
「ん? どうしたんだ、急に」
しばらくして。
行為を終えた俺たちは、同じベッドで寄り添いながら横になっていた。
すると、隣にいるステラが、何やら楽しそうに笑い始めたのだ。
「いやね。さっきまで、あんなに必死になっていたイノスを思い出しちゃって」
「んっ!?」
「だって、何を言おうかずっと悩んでいたでしょう? 顔も真っ赤だったし、私が少しからかっただけで、あんなに慌てちゃうんだもの」
「そ、それは……!」
反論しようとしたものの、言葉が続かなかった。
……全部、見抜かれていたらしい。
「ふふっ。本当に可愛いんだから」
「か、可愛いって……俺は男だぞ?」
「ええ、知っているわ」
ステラは悪びれる様子もなく、俺の胸元に顔を寄せた。
「でも、そんなところも好きよ」
「……っ」
またしても、顔が熱くなる。
どうやら俺は、これから先も彼女には敵いそうにない。
騎士団でどれほどの功績を挙げようと、どれだけ強い魔物を倒そうと、ステラの前では形無しだ。
……いや、別に、それが嫌なわけではないのだが。
「……俺も、君のそういうところが好きだよ」
照れ隠しのようにそう告げると、ステラは嬉しそうに目を細めた。
その笑顔を見て、俺も自然と頬が緩む。
こうして、俺たち夫婦の最初の夜は、穏やかに更けていった。
――もっとも。
恋愛経験のない俺が、彼女の手のひらの上で転がされる日々は、まだまだ始まったばかりなのだった。
なんとか年内までに1章終わらせる事が出来ました(本当はもう少しだけ加筆する予定ですが)。来年も宜しくお願いします。よいお年を。




