第1章ー14
「『ふっ、今度は魔法で攻撃ですか。ですが、詠唱させる暇など――』」
「【火球】!!」
「『なにっ!?』」
エイシャが言い終えるよりも早く、俺は火球を放った。
詠唱はない。魔法名を口にしただけの、単純な一撃。
奴は、俺が魔法を使うにしても、詠唱に時間がかかると踏んでいたのだろう。だからこそ、俺が反撃に出ることを予測していても、その攻撃を防ぐ準備まではできていなかった。
だが、今の俺は違う。
上限解放によって、二〇〇%もの力を引き出せる状態にある。たとえ無詠唱の火球であろうと、その威力は通常のものとは比べ物にならない。
放たれた火球は瞬く間に巨大化し、地面を抉り取るほどの熱量を伴ってエイシャへと迫った。
「『くっ!』」
しかし――。
火球は、エイシャの身体を捉えることなく、その脇を通り過ぎていった。
やはり、そう簡単には当たらないか。
威力こそ十分だが、速度は決して速いとは言えない。いくら不意を突いたところで、エイシャほどの相手ならば回避することも難しくないというわけだ。
もっとも、今はそれでいい。
俺の狙いは、火球を命中させることではないのだから。
火球を避けたエイシャと、俺の刀を捕らえている巨大な手。その間に、わずかな距離が生まれていた。
――今しかない!
「はあああああっ!!」
俺は地面を蹴り、脱兎跳躍を発動させる。
炎の推進力も加え、一気に距離を詰めた。
目標は、刀を奪った巨大な手。
あっという間に辿り着くと、俺は迷わず刀の柄を握り締めた。
今度こそ、取り返してみせる。
「ふんっ!!」
柄を握る手に力を込め、刀身へと魔力を流し込む。
次の瞬間――。
ゴオオオオッ!!
噴火を思わせる勢いで、刀から炎が噴き出した。
真紅の業火が刀身を包み込み、そのまま巨大な手の内部へと流れ込んでいく。炎は瞬く間に広がり、手の内側を容赦なく焼き尽くしていった。
これなら、いける!
先ほどは底なし沼のようだと感じたが、所詮は魔法によって形作られた存在だ。ならば、魔力を直接叩き込めばいい。
物理的な力で引き抜けないのなら、内側から焼き払う。
単純だが、今はそれで十分だ。
「よしっ!」
炎に包まれた巨大な手が、内側から弾けるように崩壊した。
どろりとした黒い塊は形を保てなくなり、やがて跡形もなく消え去っていく。
その拘束から解き放たれた刀を、俺はしっかりと握り直した。
――奪還、成功だ。
「……あとは」
刀身を構え直し、正面を見据える。
そこに立つのは、灰色のローブをまとった魔族。
「……あとは、お前だけだ」
「『……』」
エイシャは何も答えなかった。
先ほどまでの余裕に満ちた笑みも、今は見えない。
いや、油断するな。
あの程度で動揺する相手なら、そもそもここまで苦戦していない。
刀を取り戻したとはいえ、こちらの状況が好転したわけではないのだ。呼吸は限界に近づき、上限解放による身体への負担も増している。
残された時間は、もうわずか。
次の一撃で、確実に仕留める。
そうでなければ、今度こそ後がない。
俺は刀を上段に構え、静かに詠唱を始めた。
「炎獅子、蒼炎、光炎万丈――」
刀身に炎が集束していく。
最初は燃え盛るような真紅だった炎が、徐々に色を変え、やがて青白い輝きを帯び始めた。
熱が膨れ上がる。
魔力が凝縮される。
刀身の内側に、膨大な力が押し込められていく。
これから放つのは、俺が持つ最大級の斬撃。
極限まで濃縮した炎を、一振りに乗せて解き放つ。
その威力は、赫火断刀の数倍にも及ぶ。
ただし、代償は大きい。
これほどの魔力を受け止めれば、業炎刀は一撃を放った直後に砕け散ってしまう。そもそも、刀自体がこの魔法の負荷に耐えられるかどうかも分からない。
だが――今さら、そんなことを気にしている場合ではない。
この一撃で決める。
「燎原の火、劫火、業火、瞋恚の炎!」
詠唱を重ねるたび、青白い炎は刀身の内側で膨れ上がっていく。
刀が震え始めた。
柄を握る手に、細かな振動が伝わってくる。刀身から漏れ出す熱が周囲の空気を揺らし、足元の地面さえ焼き焦がしていた。
限界が近い。
刀が、この魔力に耐えられる時間は長くない。
――頼む。
もう少しだけ、持ってくれ。
「『ほう……面白い』」
その声が聞こえた瞬間、エイシャの周囲から膨大な魔力が噴き上がった。
「ッ!?」
思わず目を見開く。
なんだ、この魔力量は……!
先ほどまでとは明らかに違う。空気そのものが震えているかのような圧迫感。肌を刺すような魔力の奔流が、結界内を埋め尽くしていく。
奴もまた、全力の魔法で迎え撃つつもりなのか。
「『イノス・レールステン。私も全力の魔法をお見せしましょう。これで、どちらが立っていられるか――勝負です』」
「……」
エイシャが片手を掲げる。
すると、その眼前に巨大な黒い球体が出現した。
ゴーレムを生み出したときのものとは、比較にならない大きさだ。
球体の表面は、底の見えない闇を凝縮したかのように黒く、周囲の光さえ吸い込んでいるように見えた。
そして――。
「『■■■、◆◆◆!』」
エイシャが詠唱を始めた。
「ッ……!?」
その発音を聞いた瞬間、全身に緊張が走る。
人語ではない。
これまで聞いてきたどの詠唱とも違う。喉から発せられる音は、人間の言葉では到底再現できない響きを帯びていた。
――魔族の言葉か!
詠唱が進むにつれ、黒い球体はさらに膨張していく。
先ほどまでゴーレムを遥かに上回る程度だった球体は、見る間に巨大化し、やがて結界内の三分の一を占めるほどの大きさに達した。
冗談じゃない。
これほどの規模の魔法、まともに受ければひとたまりもない。
だが、逃げるわけにはいかなかった。
あの黒球を斬り裂き、その先にいるエイシャ自身も斬らなければならない。
果たして、そんなことが可能なのか。
刀身に集束する炎は、今にも暴発しそうなほどに膨れ上がっている。エイシャの魔法も、すでに尋常ではない領域へと達していた。
互いに一歩も退けない。
ここで負ければ、何もかも終わりだ。
――できるのか?
一瞬、弱気な考えが脳裏をよぎる。
相手は魔族の十死怪。俺がこれまで戦ってきたどんな敵とも違う、規格外の存在だ。
だが。
「業火滅却!!」
迷いを振り払うように、俺は叫んだ。
――いや、やるんだ!
絶対に!!
村を。
村の人々を。
そして、何よりも――家族を守るために!
この命に代えても、ここで食い止める。
刀を握る手に、ありったけの力を込めた。
「獅炎咆斬!!!!」




