第1章ー11
「煉獄に誘いし炎獅子よ。我に汝の永遠に燃ゆる炎を貸し与え、悪を滅却せしめよ――」
詠唱を開始した、その瞬間。
「ギギイィィィィ!!」
小鬼たちが一斉に襲いかかってきた。
――ここで止めるわけにはいかない。
「『ッ?!』」
左右から迫る爪を業火剣で弾き、正面から飛びかかってきた個体を蹴り飛ばす。間髪入れず、別の小鬼が背後から牙を剥いた。
振り向く余裕はない。
身体を捻り、噛みつきを紙一重でかわす。そのまま業火剣を返し、首元へ迫った爪を叩き落とした。
他の魔法は使えない。
詠唱を中断すれば、ここまでの苦労が水の泡だ。かといって、攻撃をすべて防ぎながら詠唱を続けることも不可能。
ならば――致命傷になり得る攻撃だけを確実に潰す。
幸い、小鬼たちは魔法を使わない。武器は鋭い爪と、肉を噛み千切る牙のみ。
最優先で警戒すべきは、噛みつきだ。
喰らえば肉を削がれるだけでなく、体勢まで崩される。複数に組みつかれれば、そのまま身動きが取れなくなる危険もある。
飛びかかってくる個体は、即座にはたき落とす。
次に厄介なのは、長く鋭い爪による攻撃だ。掠めるだけでも深手になりかねないため、可能な限り身体を引き、急所への一撃だけは避ける。
攻撃を受け流し、隙を見つけて反撃する。
それを繰り返しながら、俺は詠唱を続けた。
「力を与えよ。我と共に、悪名轟く魔の種族へ裁きを下さん!」
集中力が削られていく。
魔力感知と動体視力を限界まで酷使し、迫り来る敵の動きを見極める。ほんの一瞬でも判断を誤れば、詠唱を終える前に命を落としかねない。
――懐かしい感覚だ。
騎士団に所属していた頃、何度も潜り抜けた死線。
敵に囲まれ、息をつく暇もなく剣を振るい続けた、あの頃の戦場を思い出す。
……あの頃に比べれば、随分と衰えたものだな。
昔なら、これくらいの相手を捌きながら詠唱することなど造作もなかったはずだ。
だが、今は違う。
失った右腕。衰えた身体。積み重なった疲労。
どれも言い訳にはならない。
ここで負けるわけにはいかないのだから。
「――――――――――!!!!」
そのとき、遅れてゴーレムが動いた。
巨体が地面を踏み砕き、俺へ向かって突進してくる。
すると、それまで執拗に攻撃を仕掛けていた小鬼たちが、一斉に距離を取った。
――なるほど。巻き込まれないように退いたか。
味方の攻撃範囲まで計算しているとは、つくづく厄介な連中だ。
だが、これでいい。
あとは詠唱を完了させるだけだ。
「悪逆無道、灰燼に帰せ。【煉獅子・装炎獄・誘灰武者】!!」
「――――――――――!!」
ゴーレムの拳が振り下ろされる。
同時に、最後の詠唱が完成した。
――間に合うか!?
刹那。
大気中に満ちる魔力が、一斉に炎へと転じた。
紅蓮の炎が渦を巻き、俺の身体へと殺到する。熱波が全身を包み込み、炎は鎧のように形を変えながら、身体の輪郭に沿って密着していった。
背中には、太陽を象った紋章。
肩から胸部にかけては、獅子の鬣を思わせる炎の装甲。
そして、手にした業火剣もまた、激しい炎に包まれ、赤熱した刀へと姿を変えていく。
「――間に合った!」
次の瞬間、ゴーレムの拳が眼前へと迫った。
俺は新たな刀を構え、拳の軌道に沿って刃を滑らせる。
激突。
轟音が響き渡った。
……だが、刀は折れない。
細身の刃であるにもかかわらず、ゴーレムの圧倒的な衝撃を受け流し、その巨体をわずかに横へ逸らしていた。
これなら、いける!
「はあっ!!」
体勢を崩したゴーレムへ踏み込み、炎の刀を一閃する。
刃が黒鎧を切り裂いた。
たった一太刀。
それだけで、ゴーレムの巨体が大きく仰け反り、そのまま地面へと倒れ込んだ。
轟音と共に土煙が舞い上がる。
やがて、その身体は泥のように崩れ始めた。黒い鎧も、巨体を形作っていた影も、すべてが地面へ沈み込むように消えていく。
「『……あのゴーレムを、一撃で?』」
エイシャの声に、明らかな驚きが混じった。
表情は相変わらず灰色の衣に隠されている。だが、その声だけで十分だった。
ようやく、奴を驚かせることができたらしい。
「グッ、ギギィ……!」
ゴーレムを失った小鬼たちが、一斉に警戒態勢へと移る。
十体が間合いを取りながら、俺を取り囲むように散開した。
……まだ終わりじゃないか。
一体の小鬼が、痺れを切らしたように背後から飛びかかってきた。
「ギギィィ!!」
その動きを合図に、残る小鬼たちも一斉に襲いかかる。
全方位からの同時攻撃。
詠唱している暇はない。
ならば――。
――少しだけ、上げる。
「【上限解放・壹】!」
背中の太陽紋が、カチリと音を立てるように一回転した。
瞬間、身体を縛っていた何かが解き放たれる。
全身が羽のように軽くなった。
視界が鮮明になり、迫り来る小鬼たちの動きが、先ほどまでとは違って見える。
――遅い。
いや、敵が遅くなったわけではない。
俺自身の反応速度が、跳ね上がったのだ。
「ギ……ギッ!?」
小鬼たちが異変を察したときには、もう遅かった。
一歩、踏み込む。
業火の刀が閃く。
次の瞬間、十体すべての小鬼の首が宙を舞った。
まるで、時間そのものが飛んだかのような一瞬。
小鬼たちは何が起きたのか理解する間もなく、首を失った身体を地面へ崩れ落とす。そして、その輪郭は黒い靄となり、影の中へ溶けるように消えていった。
「『……ほほう』」
エイシャが感嘆の声を漏らす。
「『全魔力解放系の最上級魔法。しかも独自構築――素晴らしい。名前以外は』」
「ははっ。改良に改良を重ねた自信作なんだがな。まさか魔族にネーミングを弄られるとは思わなかった」
思わず苦笑する。
命懸けの戦闘中だというのに、技の名前を笑われるとは。
……いや、こいつの場合、本気で感心しているからこそ余計な一言が出てくるのかもしれない。
「『全魔力解放は、人間には致死的行為。その装備でリスクを緩和している、と』」
「……分析が早いな」
図星だった。
全魔力解放は、文字通り身体が持つ魔力の制限を解除する魔法だ。
人間の身体には、限界を超えた動きを抑制する仕組みがある。魔力も同じだ。身体が耐えられる範囲を超えて魔力を引き出せば、肉体そのものが耐え切れず、自壊する危険がある。
だが、この装備は違う。
背中の太陽紋を回転させることで、魔力の制限を五段階に分けて解除する。
一段階ごとに、解放率は二割ずつ上昇。
段階的に身体を慣らしながら、最終的には百パーセントの解放へと至る仕組みだ。
もっとも、負担がなくなるわけではない。
解放率を上げれば上げるほど、身体にかかる負荷も増大していく。扱いを誤れば、敵を倒す前に自分自身が限界を迎えることになる。
騎士団にいた頃でさえ、実戦で使用したのは数えるほどしかない。
危険すぎる切り札。
それが、この装備の正体だ。
だが、今は違う。
相手は魔王軍幹部、十死怪。
出し惜しみして勝てる相手ではない。
「【上限解放・貮】!」
再び、背中の太陽紋が回転する。
身体の奥底から、さらなる力が湧き上がった。
先ほどよりも身体が軽い。
周囲の景色がゆっくりと流れ、エイシャのわずかな動きさえ、はっきりと捉えられるようになっていく。
――まだ、いける。
炎が全身を駆け巡り、手にした刀の刀身が赤々と輝いた。
俺は刀を構え、正面からエイシャを見据える。
「悪いが――ここからは反撃の時間だ。覚悟しろ」
そして、地を蹴った。
今度はこちらから仕掛ける番だ。




