第1章ー10
「――――――――――!!」
言葉にならない咆哮を上げ、黒鎧のゴーレムが突進してくる。
巨体に似合わぬ勢いで距離を詰め、黒い拳を振り上げた。
「くっ!?」
回避。
直後、拳が地面へと叩きつけられた。
轟音が響き、大地が砕け散る。衝撃で土砂が舞い上がり、足元が大きく揺れた。
動き自体は鈍い。少なくとも、速さだけならエイシャほどの脅威ではない。
だが、一撃の威力が桁違いだ。
まともに受ければ、骨が砕けるどころか命すら危うい。
「『【黒影双槍】!』」
「ッ!?」
拳を避けた直後、左右から黒い槍が飛来した。
放ったのは、ゴーレムの背後に潜むエイシャだ。
ゴーレムの巨体でこちらの視界を塞ぎ、その死角から槍を撃ち込んでくる。
――いやらしい手を使いやがる。
「ちっ!」
咄嗟に身を捻って槍をかわす。
だが、無理な体勢での回避だったせいで、次の動きに移れない。体勢を立て直すよりも先に、ゴーレムが追撃へと移ろうとしていた。
迎撃するしかない。
「爆ぜる焔よ、火の球として――」
詠唱を始めた、その瞬間。
「――――――――――!!」
ゴーレムが再び拳を振り上げた。
「ッ!? しまっ……!」
間に合わない。
詠唱を最後まで唱える余裕はない。仮に魔法を発動できたとしても、あの巨体から繰り出される一撃を完全に防ぎ切れる保証はなかった。
「――――――――――!!!!」
「ぐうっ!?」
詠唱を捨て、業火剣を身体の前へと構える。
直後、凄まじい衝撃が全身を襲った。
黒槍を弾くことには成功した。だが、ゴーレムの拳から伝わる力までは殺し切れない。
身体が宙を舞い、視界が激しく揺れる。
そして――。
「がっ……!」
結界の端まで吹き飛ばされ、背中から地面へ叩きつけられた。
「っ、ぐ……!」
背中に激痛が走る。
身体のあちこちが痺れ、思うように力が入らない。息を吸い込もうとしても、胸の奥が痛んで呼吸が乱れた。
……骨が折れていないだけ、まだマシか。
「――――――――――!!!」
休む暇すら与えず、ゴーレムが迫ってくる。
「はあ……はあ……くそっ……!」
どうにか身体を起こし、業火剣を構え直す。
操り人形のくせに、戦い方をよく心得ている。
いや、違うか。
そもそも戦闘のためだけに造られた存在なら、効率よく敵を追い詰める動きをするのは当然だ。
ゴーレムが前衛として俺を押さえ込み、エイシャが後方から攻撃を仕掛ける。
正面からの圧力と、死角からの奇襲。
互いの弱点を補い合う、前衛と後衛の二重構え。
しかも、こちらが回避に専念すればエイシャの槍が飛んでくる。逆にエイシャを狙おうとすれば、ゴーレムが立ちはだかる。
――これが、奴の本来の戦闘スタイルか。
後退することもできない。
自分の魔法で自分自身が追い詰められるとは、皮肉な話だ。
「……一か八か、やるしかないか」
他に手はない。
俺は痛む身体を叱咤し、迫り来るゴーレムへ向かって駆け出した。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
「――――――――――!!」
ゴーレムが咆哮し、拳を振り上げる。
距離が縮まる。
拳が迫る。
それでも、俺は防御の構えを取らなかった。
業火剣を後方へと引き、炎を刀身に集中させる。
「――――――――――!!」
黒い拳が、眼前へと迫った。
――今だ!
俺は地面を蹴り、ゴーレムの股下へと滑り込んだ。
同時に、業火剣から炎を噴き出させる。
轟ッ!!
噴き出した炎が地面を焼き、爆発的な推進力を生み出した。炎の勢いを利用して身体の軌道を変え、迫り来る拳の下を一気に潜り抜ける。
背後で拳が地面を砕く音が響いた。
紙一重。
あと少しでも判断が遅れていれば、今頃は地面に叩き潰されていただろう。
だが、狙いはゴーレムではない。
「『何っ!?』」
エイシャの声が上がった。
ゴーレムの巨体を抜けた俺は、炎の噴射を推進力に変え、そのまま後方にいるエイシャへと肉薄する。
ゴーレムの動きに意識を割いていたのか、エイシャは一瞬だけ反応を遅らせた。
――今だ。
「焔の断刀、赫灼の炎を昇らせ、天地に振り下ろし、灼熱の一振りで対敵を燃やし斬り伏せよ――」
詠唱を続けながら、業火剣を振りかぶる。
「『黒影・ぺ……』」
エイシャが魔法を発動させようとする。
だが、もう遅い。
「【赫火断刀】ッッ!!」
渾身の一撃が、エイシャの身体を斜めに断ち切った。
刃から迸る紅蓮の炎が、分断された身体を瞬く間に包み込む。
影のような肉体が燃え上がり、灰すら残さず焼失していった。
――やったか!?
いや、まだだ。
これまでの戦闘で、何度も煮え湯を飲まされてきた。ここで気を緩めるわけにはいかない。
俺は炎の残滓を見据えながら、次の動きに備えて業火剣を構えた。
しかし――。
「――――――――――??」
背後から、ゴーレムの困惑したような声が響いた。
……消えない?
エイシャが消滅すれば、ゴーレムも消えるはずだった。
少なくとも、俺の知る造形魔法は、術者が魔法を維持できなくなれば形を保てない。ましてや、術者が倒れたのなら、なおさらだ。
それなのに、ゴーレムは消滅するどころか、周囲を見回している。
――術者が倒れた後も継続する魔法なのか?
それとも、ゴーレムを動かしているのはエイシャではないのか。
考えがまとまるよりも早く、聞き覚えのある声が響いた。
「『……どうやら、私は貴方の実力を見誤っていたようですね』」
「……やはり、仕留め切れていなかったか」
炎が消えた場所に、エイシャの姿はなかった。
だが、その足元に広がる影が蠢き、ゆっくりと人の形を取り戻していく。
腕が伸び、胴体が形作られ、最後には灰色の衣を纏った姿が再び現れた。
まるで、最初から何事もなかったかのように。
……くそっ。
奇襲そのものは成功したはずだ。
ゴーレムの攻撃を利用して距離を詰め、エイシャが反応するよりも早く斬り伏せた。あの瞬間、奴は確かに魔法を発動させようとしていた。
それでも、倒し切れなかった。
即興の一撃だったせいで威力が落ちたのか。
それとも――こちらの攻撃を見切り、何らかの対処を施したのか。
どちらにせよ、最悪の結果だ。
最高火力を叩き込んでも、決定打にならない。
「『赤髪の方。名を窺っても?』」
「……イノス。イノス・レールステンだ」
突然の問いかけに、わずかに眉をひそめる。
意図は読めない。だが、名を告げたところで今さら何かが変わるわけでもないだろう。
俺は警戒を解かぬまま、自分の名を告げた。
「『イノス・レールステン。その名、確かに覚えました』」
「おいおい、急にどうした。俺に免じて、ここらで引いてくれるってか?」
「『残念ながら、それはありません』」
「……だろうな」
僅かな期待すら、あっさりと打ち砕かれた。
まあ、分かっていたことだ。
村を襲い、家族を危険に晒している相手が、こちらの冗談に付き合ってくれるはずもない。
「『イノス・レールステン。貴方に敬意を表し、私の本気をお見せしましょう』」
「ッ!?」
次の瞬間、エイシャの魔力が跳ね上がった。
先ほどまでとは比較にならないほどの圧力が、結界内を満たしていく。
空気が重い。
呼吸をするだけで、身体の奥まで押し潰されそうになる。
――まだ隠していたのか。
これまでの戦いは、奴にとって本気ですらなかったということか。
「『陰に住まう小鬼共よ。我が先兵となり、敵を抹殺せよ。【影召:陰小鬼】!』」
「ッ!? ちっ、まだ増えるのかよ!」
エイシャの詠唱に呼応するように、地面の影が次々と盛り上がった。
一体、二体、三体――。
数える間にも影は増え続け、やがて十体の小鬼が姿を現した。
ゴーレムよりも小柄だが、身体の輪郭は鋭く、手には黒い武器が握られている。
その姿は、まるで獲物を取り囲む狩人だ。
……冗談じゃない。
目の前には巨大なゴーレム。周囲には十体の小鬼。そして、そのすべてを操るエイシャが後方に控えている。
単純に数えるだけでも、十二対一。
狭い結界の中で、これだけの数を相手にしなければならない。
しかも、ゴーレムの一撃はまともに受けられず、小鬼たちの攻撃をすべて捌き切ることも難しい。回避に専念すればエイシャの魔法が飛んでくる。
そして何より――肝心の術者本体に、決定打を与えられない。
「……はあ……」
思わず溜息が漏れた。
ここまで追い詰められたのは、いったいいつ以来だろうか。
騎士団にいた頃でさえ、これほど絶望的な状況はそう多くなかった。
「『どうしました? もう諦めましたか? こちらはようやく温まってきたところなのですが』」
「…………」
ウォーミングアップだと?
ふざけた話だ。
こちらは身体を痛めつけられ、右腕まで失っている。使える手札も限られ、最高火力をぶつけても奴を倒せない。
それなのに、向こうはまだ余力を残しているという。
……笑えない冗談だ。
現実として、今の俺は詰みかけている。
複数の敵を相手に、この状況を覆すのは難しい。ゴーレムと小鬼たちを捌きながら、エイシャに攻撃を通す方法を探るなど、普通に考えれば不可能に近い。
だが――。
何かが、掴めそうな気がする。
これまで感じてきた違和感。斬撃が通じているようで通じていない、あの奇妙な感触。
エイシャの身体が影そのものなのか、それとも別の仕組みで攻撃を無効化しているのか。
あと少し。
あと少し考える時間さえあれば、何かに気づけるかもしれない。
しかし、その時間すら与えてもらえそうになかった。
「……仕方ねえ」
「『?』」
本当なら、使いたくはなかった。
この身体がどこまで持つのか、俺自身にも分からないからだ。
ただでさえ右腕を失い、ゴーレムの一撃を受けた身体は限界に近い。ここからさらに無理を重ねれば、戦いの途中で動けなくなる可能性もある。
それでも、もう選択肢は残されていなかった。
守るべきものがある。
ここで俺が倒れれば、村の皆も、ステラも、サダメも――。
そんな未来だけは、絶対に認められない。
俺は業火剣を強く握り締めた。
「俺もそろそろ――本気を出すか」
その言葉と共に、身体の奥底に封じていた魔力へと意識を向ける。
――ここからが、本当の勝負だ。




