第1章ー9
「はあぁっ!!」
『ふっ、無駄なことを』
叫びと共に踏み込み、業火剣へ注ぐ魔力を一気に増幅させる。
炎の勢いが増し、刃が唸りを上げた。
一撃で駄目なら二撃。二撃で駄目なら十撃。それでも駄目なら、斬り刻めるだけ斬り刻む。
考えるよりも先に身体を動かし、左右から、斜めから、間髪入れずに斬撃を叩き込む。
燃え盛る炎がエイシャの身体を包み込んだ。
斬撃の速度はさらに上がり、灰色の衣も、その下にある身体も、瞬く間に細切れとなっていく。
――それでも。
『ふっ、ふふ……』
エイシャは笑っていた。
身体を細切れにされ、炎に焼かれているというのに、まるで何事もなかったかのように。
これだけ斬り、これだけ燃やしても、まるで効いていない。
不死身という言葉だけでは説明がつかない。再生しているというより、そもそも斬撃が当たっていないかのような――そんな奇妙な違和感があった。
何より、手応えがない。
肉を断つ感触も、骨を砕く感触も、炎で焼き尽くす感触すらない。
まるで、実体のない影を斬っているようだった。
「『さて、そろそろ私も反撃させていただきましょうか』」
「ッ!?」
攻撃の手を止めた、その瞬間。
足元に二つの丸い影が浮かび上がった。
――何だ!?
エイシャの身体は、いまだ細切れのままだ。にもかかわらず、魔法を発動させる気配がある。
いや、そもそも身体があの状態で魔法を使えること自体、理解が追いつかない。
『【黒影双槍】』
次の瞬間、二つの影から黒い細槍が飛び出した。
螺旋を描きながら迫る、二本の死線。
だが――遅い。
魔法が発動するよりも早く、俺はすでに後方へ跳んでいた。
黒い槍がこめかみを掠め、背後の空気を切り裂いていく。
――あと半拍、反応が遅れていたら首を持っていかれていた。
冷や汗が頬を伝う。
威力も速度も十分。まともに受ければ、今の俺でも致命傷になりかねない。
しかも、あの魔法は詠唱すら必要としなかった。
『ほう。これは避けられますか。それなら――』
エイシャの声が響いた直後、その周囲に無数の丸い影が展開される。
地面に浮かび上がった影は一つや二つではない。前方、左右、さらには頭上にまで、黒い円が次々と広がっていく。
――まずい。さっきとは規模が違う。
『【黒影多槍】』
その声を合図に、数十……いや、数百もの影槍が一斉に姿を現した。
無数の黒い穂先が、逃げ場を塞ぐように俺へと向けられる。
そして次の瞬間、すべての槍が牙を剥いた。
――詠唱なしで、この数か。
これが魔王軍幹部。十死怪と呼ばれる化け物の実力というわけか。
本来なら、業火剣を二刀に分けて迎撃するところだ。左右から迫る攻撃を斬り払い、隙を見て反撃に転じる。
だが、今の俺には右腕がない。
片手で捌き切れる数ではないし、回避に専念しても逃げ場がない。
ならば――魔法でまとめて相殺するしかない。
「纏え、炎の渦よ。荒れ狂え、業火の斬撃――【放炎斬渦】!!」
業火剣から噴き上がった炎が、渦を巻きながら刀身を包み込む。
炎は瞬く間に膨れ上がり、刃の長さを倍以上にまで伸ばした。
そのまま一閃。
放たれた炎の斬撃が、結界の端から端まで届くほどの勢いで戦場を薙ぎ払う。
渦巻く業火が影槍の群れを飲み込んだ。
黒い穂先は次々と焼き切られ、一本たりとも俺のもとへ届かない。
――よし、これで……!
「……ふんっ!」
咄嗟に振り向き、業火剣を背後へと振るう。
甲高い音が響き、二本の影槍が弾き飛ばされた。
危なかった。
前方から迫った大群は、こちらの防御手段を引き出すための陽動。本命は、あらかじめ背後に仕掛けられていた罠か。
攻撃を避けた先に、さらに攻撃を置いておく。単純だが、極めて厄介な戦法だ。
遠隔起動型の影罠……といったところか。
「『ほう。後ろの罠まで対処しますか。なかなかやりますね』」
「それはどうも」
軽口を返しながらも、俺は警戒を解かなかった。
エイシャは相変わらず平然と佇んでいる。
先ほどの炎の渦に巻き込まれたはずなのに、傷一つ見当たらない。
――やはり、あの身体は普通じゃない。
だが、攻撃そのものが通用しないわけではないはずだ。
そうでなければ、先ほどの影槍による攻撃も成立しない。俺の攻撃をすり抜けることができるなら、わざわざ反撃する必要もないだろう。
つまり、何かしらの条件がある。
問題は、その正体を見抜けるかどうかだ。
今のところ分かっているのは、エイシャが影魔法を極めているということ。
影から武器を生み出し、罠を仕掛ける。
だが、これほど明確な意思を持ち、言葉を操り、これほど巨大な魔力を放つ影など、俺は見たことがない。
別の場所に本体が存在し、目の前のエイシャは分身にすぎない――そんな可能性も考えた。
しかし、魔力の気配は間違いなく目の前にある。これほど禍々しく、圧倒的な魔力が、偽物から放たれているとは思えなかった。
――なら、目の前にいるこいつが本体のはずだ。
それなのに、なぜ斬撃の手応えがない?
攻撃を受けているように見えるのに、傷一つ残らない。
斬られても再生しているのか。それとも、斬られたように見えているだけなのか。
この違和感の正体さえ掴めれば、突破口が見つかるかもしれない。
だが――。
考えている時間はない。
結界の外では、今この瞬間にも村の皆が襲われている。
俺がここで足止めを食らっている間にも、誰かが命を落としているかもしれないのだ。
ならば、やることは一つ。
倒す。
ここで、必ず。
俺は業火剣を上段に構えた。
刀身に魔力を集中させる。炎が勢いを増し、剣先から天へ向かって伸び上がっていく。
熱風が吹き荒れ、結界の天井さえ焦がさんばかりの業火が渦巻いた。
――手数で駄目なら、一撃で焼き尽くす。
「焔の断刀、赫灼の炎を昇らせ、天地に振り下ろし、灼熱の一振りで対敵を燃やし斬り伏せよ――」
詠唱と共に、炎がさらに膨れ上がる。
周囲の景色が紅蓮に染まり、足元の草が熱に耐えきれず、次々と灰へ変わっていった。
「【赫火断刀】!!」
渾身の力を込め、業火剣を振り下ろす。
刹那、炎は巨大な刀身となってエイシャへと襲いかかった。
大地ごと叩き割るほどの、圧倒的な一撃。
分裂しようが、再生しようが関係ない。逃げ場ごと焼き払い、すべてを灰に変える。
これが、今の俺に放てる最高火力だ。
『くっ!?』
――そのとき。
エイシャが、初めて明確な反応を見せた。
地面に広がる影へ右腕を貼り付けると、その腕がまるでゴムのように伸び、身体を横方向へ強引に引っ張った。
直後、轟音が轟く。
炎の巨刀が地面を叩き割り、大地が裂けた。爆ぜた炎が周囲を呑み込み、土砂と灰が紅蓮の中へと巻き上げられる。
だが――わずかに届かなかった。
炎の刃はエイシャの身体を捉えたものの、直撃には至らず、左腕だけを焼き切るにとどまった。
最高火力をもってしても、完全には仕留められない。
――それでも。
「……ははっ。初めて避けたな。今のは流石に効いたか?」
思わず笑みがこぼれた。
これまで、どれだけ斬り刻んでも、どれだけ炎を浴びせても、エイシャは一歩たりとも退かなかった。
それが今、初めて自ら攻撃を避けたのだ。
わずかでも、こちらの攻撃を脅威と認めたということか。
エイシャは答えない。
いや、答えられないのかもしれない。
先ほどまで絶えず感じられた余裕が消え、周囲を満たす魔力がかすかに揺らいでいた。
そして――。
『……少し、遊びが過ぎましたかね』
その声から、先ほどまでの軽薄さが消えていた。
背筋を冷たいものが駆け抜ける。
魔力が膨れ上がる。怒りを帯びた禍々しい気配が空気を歪め、肌を刺すような圧迫感となって押し寄せてきた。
俺の視線の先。
地面に浮かび上がったのは、先ほどまでとは比べものにならないほど巨大な円形の影だった。
その直径は、優に数メートルを超えている。
『影より生まれし番人よ。我を守る盾となり、敵を滅ぼす矛となれ』
――詠唱だと?
これまでの影魔法は、どれも詠唱なしで発動していた。
それほどの使い手が、わざわざ言葉を紡ぐ。
それだけで、次に何が起こるのかを嫌でも理解させられた。
円形の影が盛り上がり、球体となって地面からせり上がる。
表面は不気味に脈動し、内側から何かが這い出そうとしているかのように震えていた。
そして――。
『【番影獄装人形】』
轟音と共に、球体が弾け飛んだ。
その内部から姿を現したのは、全身を黒い鎧で覆った巨大な影のゴーレムだった。
人間を遥かに上回る巨躯。分厚い鎧の隙間からは黒い靄が漏れ出し、頭部の奥には、赤黒い光が不気味に灯っている。
まるで、魔王の城からそのまま引きずり出してきたような怪物だ。
……冗談だろ。
騎士団に身を置いて二十年。
数え切れないほどの魔族と戦い、数多くの修羅場をくぐり抜けてきた。
それでも、こんな規格外の相手は見たことがない。
しかも、今の俺は長い隠居生活を経て、かつての全盛期からは程遠い状態だ。
右腕も失い、体力にも限界がある。
目の前の化け物を相手に、どこまで戦えるか――正直、見当もつかなかった。
それでも、退くわけにはいかない。
この先には、守るべき村がある。
俺の家族がいる。
『さて――ここからは、私の得意な戦法で戦いましょう』
エイシャの声が、静かに響いた。
黒鎧のゴーレムが、ゆっくりとこちらへ顔を向ける。
その瞬間、俺は悟った。
――ここからが、本当の戦いだ。




