ブースト
橋付近での異常事態。崩壊し、ぶら下がるギャランドゥ橋、謎の光る人影、倒れる兵士たち。
魔界軍は早くも統制を失いかけていた。理解不可能な状況が多すぎる。
情報伝達は混乱し、指揮系統は崩壊寸前。
「次は火を試すぞ。一撃でどれほど屠れるか、一応情報をそろえるか。お前たち、誰かに余の名を伝えられれば良いな?」
ミカドは右手の掌を上にし、念を込めるとそこに炎がポッと現れた。
次いで眼にも留まらぬ速さで右手を払うと、その軌跡を追いかけながら炎が弧を描いて行った。
それはまるで、炎の鎌!
――デサイズファイア!
ミカドの叫びを、誰かが聞いた気がした。だが、それがこの世で最後に聞いた言葉となった。
光の針から逃れた兵士は、炎の鎌に飲まれ、全身が一瞬で炎で覆われ、肺も喉も焼かれて声を出す事も出来ずに絶命していった。
呻き声くらいは出ていたかもしれない。だが炎の波動と化した鎌の空を切る音、対象を業火で覆う音がそれをかき消し、集まってきた数十の兵士を光の針に負けない速度で薙ぎ払っていく。
「ふむ、あまり散らばられると面倒だな。首尾よく一所に集まってくれると効率が良いのだが」
光の針に倒された第一陣、炎の鎌に焼かれた第二陣。
未知の、とてつもない彼我戦闘力の差に第三陣は凍り付いた。しかし目の前にいるこのバケモノは紛れもなく自軍の敵である。
どれほどの相手であろうが戦わねばならない。引く訳にはいかない。
そんな中で、第三陣の先任将校が懸命に勇気を奮い起こし、剣を上げた。
「中隊、重鶴翼陣形改展開! 対象を包囲殲滅せよ!」
将校の号令に、第三陣の兵士が我を取り戻す。鶴翼を基本として魔法攻撃を考慮した改変陣形を訓練通りに展開し、ミカドを囲む。
「魔導隊、支援攻撃開始! 弓隊斉射!」
魔法部隊の遠隔攻撃が始まる。
しかし、行われるのは火球や氷矢に小規模な雷撃、中には石や金属飛礫を魔法で飛ばす技もあるが、それでもありきたりの攻撃である。
ブゥオン……
ミカドは周りに簡単なシールドを張り、事も無げにそれらの攻撃を跳ね飛ばした。
弓にしても同じこと、掠ることすらできない。弾かれた矢が、空しく地に転がる。
「でやああぁぁー!」
遠隔攻撃では埒が明かない! と頭に血が上ったか、オーガの兵士がミカドに向かって駆け出した。重量級の槍斧振り上げて、力押しでブッた切ろうと突進する。
「やれやれ……」
ミカドは面倒くさそうに人差し指をオーガ兵に向けた。と同時に光針を放ち、
パツッ!
オーガの眉間を撃ち抜く。
ドザァ!
瞬時に体の力が抜け、オーガ兵士は間合いに入る事も叶わず、その場に崩れ落ちた。
「一斉にかかれぇー!」
「うおおおお!」
指揮官の号令一下、魔界兵が対象を囲むように展開、前進し始めた。
だが、将校は冷静さを欠いていた。と言うか、敵は魔法も弓も効かない相手。数と力で押すしかないと判断するのもやむを得ないところではある。だが、撤退を選ばなかったのは、相手はたった一人である、と言う事……駆け出した兵ともども、そこに一縷の望みを賭けたやもしれない。
しかし、一人で戦略兵器級の戦闘力を持つ12神や8魔王を知っている者の行動では無かった……とは外野だから言えることであろうか?
「ふ……」
ミカドは胸の前で腕を交差させると右手に光、左手に炎を浮かせ、左右に振り払った。
波紋の如く拡散する光の針と炎の鎌を組み合わせた複合技。結果は考えるまでもなく、第三陣の全滅である。
一陣、二陣と同じく、第三陣もミカドとの間合いに入るどころか、近付くと言う形容すら不可能な距離で倒されていった。
まるで積んだ本が崩れるかのようにバタバタと死体となって大地を埋めていくのだ。
遠方から到着した後続部隊は信じられぬ光景に脚を止めずにいられなかった。眼前に数百の躯が転がっている。
三陣目に放たれた複合技は兵士それぞれに、針と炎の傷痕を残したが、ぶっちゃけ焼死体である。数百の黒焦げになった同胞たちの死体が辺り一面に……
――全滅する……
後続部隊の将校はその言葉が脳裏に浮かんだ。
次元が違い過ぎる、とてもかなうものでは無い。声すら出せず固まってしまう。撤退の言葉すら出て来ない。
「次は距離を試すか……連中までは約150m? 数は400ってとこか……一振りでイケるかな?」
ミカドはもう一度両手をかざした。またも光と炎だ。
「記録作れるかな?」
光と炎は以前より大きくなっていった。一撃を強めるつもりだろう。
やがて光球、炎球が適度な大きさになり、両腕を振りかぶって狙いを定めるミカド。
が、その時、
「む!」
ミカドは自分の身体が凄まじく強い光に一瞬で包まれたことに気付いた。
ドオオォォーン!
オレンジ色の稲光が辺りを照らし、炎を絡めた稲妻がミカドを直撃した。
不意を突かれ、ミカドはまともに食らったかに見えた。
しかしミカドは、さっきの弓矢・火球相手とは違う強力なシールドを瞬時に張り、衣服は所々焼けてはいるものの、身体への直撃は防いでいた。
「炎を纏った雷撃。しかもこのパワー……」
ドオォーン! ドオォォーン! ドオオォォーン!
雷三連発。ミカドはシールドを強化しつつ目を凝らし、周りを見回した。
しかし展開する軍の中には、これほどの雷撃を放てそうな魔導士の姿は確認できなかった。
――空か?
上を仰ぐ。透き通る青い空のもと、太陽を背に何か……誰かが浮かんでいる。
漆黒の翼を羽ばたかせたそれが、ミカドに向けて上空から炎雷を放ったのだ。
「あ、あれは……」
黒き翼を纏い、正体不明の敵に大技を繰り出すその姿。それに見覚えがある兵士は魔界軍の中にも何人か居た。
「シ……シランさま?」
「え? シランさま!?」
「みんな下がって!」
シランは足が竦んでしまった魔界軍兵士に大声で叫んだ。
「シランさま!」「シランさまだ!」
空に浮かぶ8魔王の一人、兵たちは口々に彼の名を叫んだ。
「冥府王シランか……」
ミカドも彼の名を呼んだ。
「キミたちが適う相手じゃない! 逃げるんだ!」
シランは兵士たちに撤退を呼び掛けた。
そう、もはや適う敵わないのレベルではない。とにかくここに居てはいけない。体裁を気にしている場合でもない。言ってしまえば邪魔なのだ。
一刻も早く離れてくれなければ、シランも全力を出すことが出来ないのだ。
♦
上空の方、いや、地上の方で何か大きな崩壊音が聞こえてきた。さすがに1400m近くも離れていては何がどうなったかと言うのは、ハッキリとは確認できない。
しかし良二ならずとも、その音にイヤな予感しかしないのは宜なるかな。
なにしろミカドが橋の橋脚に繋がる龍脈を押し広げて驀進中なのだ。
「何か落ちてくる?」
目を凝らしてみると……なにか……数十の……
(人じゃ! 人が落ちてくる!)
「なに!?」
(橋の上にいた者が振り落とされたんじゃ!)
ミカが叫んだ。ミカドによってズタズタになった龍脈をたどり、上の様子をなんとか見ようとしていたところだった。
「人が落ちて来るって!? 何人くらいだ!?」
(ハッキリは分からん! じゃが、5人や10人どころとちゃうぞ!)
「容子! 風を吹き上げるぞ! 俺と一緒に出来るだけ広範囲に上昇気流をブチかませ!」
容子に指示を与えながら誠一は魔素ブーストをかけ、沢の対岸に跳んだ。
「は、はい!」
容子も沢に近づき、すぐに気流を発生させる態勢を取る。しかし気流だけで落ちてくる人間を支え切れるものだろうか? おまけに何人いるかもわからない。
「少しでも落下速度を落とさせるんだ! たとえ一人だけでも救え!」
容子の気持ちを読み取ったか? それとも自分自身に言い聞かせているのか、誠一が容子に発破をかけた。
ヒュウウゥゥー……ヒュバ!
二人に呼応して、良二は高濃度の霧、と言うか水滴を発生させた。誠一と容子の気流に霧で密度を持たせ、少しでもブレーキにならないか? と、文字通りの苦肉の策だ。水膜や水壁を作る方法も頭を過ったが、水そのもので受けては、この高さから落ちた場合の衝撃は考えるまでもない。
(ヨウコ! タイチョー! リョウちゃん! 予と繋ぐぞ! 予を受け入れよ!)
「ブースターか!?」
前に魔界の訓練時に行った、ミカの憑依による魔力の一時的底上げ。体力の消耗は激しく時間は限られるが、その分の効果は期待できる!
落下してくる者たちはもう目前だ、考えてる暇はない。
(三人同時は初めてじゃが是非もない! いくぞ!)
ヴォーン!
ミカの声と同時に身体に何かが漲った。首の後ろから脳幹にかけて強い圧力の様なものを感じる。
容子はしょっちゅう憑依されているので楽に引き入れられた。ミカの霊体が自分らの中に浸透し、魔力の密度を瞬時に高めている感覚。
三人は受けた圧力をそのまま魔法に繋げて一気に放出した。
ブオオォォー!
凄まじい霧混じりの上昇気流が谷底から吹きあがった。いや、もはや気流などと生易しいものでは無い。下から突き上げる、スカイダイビングシミュレーターか大型台風並みの突風である。それが発生した瞬間、落ちてきた者たちがその気流層に到達してきた。
バフ!
ボフ! バス!
次々に気流に突っ込んでくる人、人。その体形や姿勢によって差はあるが、降下速度は極端に下がっていった。早い者から一人二人と地面に軟着陸する。
だが全員がうまくいくわけではない。
気流から弾かれて、かなりの速度で叩きつけられる者や、上の方で崖肌に激突し、すでに絶命している者もいる。
それに落ちてくるのは人以外にも。
橋本体が落下することは避けられていたが、やはりそれなりの石材、鉄材も落下してくる。その落下物の下敷きになる者も数人……
ドサ!
やがて最後の一人が着地して、三人は魔法を止めた。
最大気流を出していた時間は10秒もなかったかもしれない。しかし、全力を出した三人は共に脱力し、その場にへたり込んだ。
「三人同時憑依のブースター……ミカ、お前の方は大丈夫か?」
肩で息をしながら誠一が聞いた。
(魔力そのものはお前らとヒケは取らんからな。短時間でも底上げ出来るかと思ったんじゃ。うまくいったようじゃの)
誠一は海の魔獣戦の時に良二とライラが見せた同期技を思い出した。
今後の錬成次第で、あの時に近い効果が出せればと思う。
まさに、必殺技と呼べるものが出来るかもしれない。が、それは後回し。
「まだ余力はあるか? あるんなら容子を助けてやってくれ。これから回復魔法を使いっぱなしになるだろうから」
と、良二がアドバイス。
(おう、まかせとけ)
「容子、俺たちが平らなところへ怪我人を運ぶから治療してくれ。ミカが手伝ってくれそうだ」
誠一が指示すると、息を整えた良二、容子に加え、メアやシーナも手伝い、負傷者の救出を始めた。
落下してきた兵士の数は全部で53人。その内、15人ほどは残念ながら即死状態だった。
減速が足りず地面に激突した者、気流に届く前で既に死んでいた者など、さまざまではあるが、それらの中には五体満足とは程遠い、とても容子やカリンらに見せられない、まさに肉塊とも言える遺体もいくつかあった。
それでも、ほぼ無傷で助かった者も10人位はいた。
運の分かれ目がどこにあったのかは皆目わからないが、生存者の方が多かったのはせめてもの慰みか。
「少佐、包帯にする布が足りないわ」
と、カリン。出来る限り、自分らの衣服も裂いて使ってはいたが、如何せん負傷者が多すぎる。
「わかった。申し訳ないが犠牲者の服を使わせてもらおう」
「俺も手伝うよ」
「いや、良。お前はここで容子らを手伝え。俺一人でいい」
「黒さん……やるよ俺。気遣いはいらない」
「…………そうか。じゃあ、脱がした服の血を沢で洗ってくれるか?」
「ああ」
二人は、臨時に決めた遺体置き場に向かった。
――ドオオォォーン! ドン! ドォン……
地上から渓谷中に響くほどの爆音が聞こえてくる。
「ミカド……なにしてやがる……」
落下してきた兵士を見れば地上で尋常ならざる事態が起こっていることはわかる。
しかし、念話も通じない上、ズタズタになった龍脈ではミカが地上を伺うことすらもう出来ない。
もどかしさを感じながらも、今は負傷者の救助に全力を出すしかない。
良二は遺体から剥がした衣服の血を、沢の水で懸命に洗い始めた。
治療を始めて1時間強、大体の応急処置が終わった。
傷は容子の回復魔法で塞いでも、出血分の補充は出来ないので予断を許さない兵も数人いる。
魔法で、ある程度は造血の後押しは出来るが、それも限度問題。血の材料となる食べるものが乏しいし、有っても食べること自体が困難だったりする。
骨折している者の中には、高熱を出している者も少なくない。
良二の拙い氷魔法でなんとか氷を作り、それで頭部を中心に冷やした。
「隊長。重傷者は出来るだけ早く入院させないと……」
「これだけ大人数が落ちたんだし、捜索隊は出ているはずだ。それまで何とか持たせてほしい。回復魔法を使いっぱなしで無理を言うが……」
「うん……それしかないね……」
やれることがある内はそれに夢中になり雑念も消えるが、やれることが無くなってしまうと反動もキツイ。容子はそれに陥りかけている。
「容子……」
どう声をかけて良いかわからない。全てが気休めに聞こえてしまいそうで、良い言葉が見つからない。
「大丈夫、まだいけるわよ。あなたこそいいの? 良くんも大変だったじゃない?」
「え? いや、俺なんか」
「爪見てごらんなさいよ。辛かったでしょ」
爪……焚火の火に浮かぶ良二の爪の先は血で真っ赤であった。遺体から剥がした服の血を洗っているうちに爪の先に染み込んでしまったのだろう。
洗っている間、暗目にも服から落ちた血が流れていくのはよくわかった。
普段なら、その流れる血を見ただけで嘔吐してしまうかもしれないほどの嫌悪感を感じたはずだ。
もちろん、さっきも感じていなかったわけでは無い。
だが、それよりも負傷者の手当てに使えるようにするのが先だ、と言う感覚も交錯し、頭の中で思考が分裂しているような、妙な感じだけは覚えている。
実際に今も、その反動だろうか、どこか頭の一部がボーっとしている
「みんな……助けたかったな……」
良二たちは地上で何が起こっていたのかは知る由もなかったが、兵たちが落ちてきたのはミカドの攻撃によるものだとは推察できる。
天界や魔界の者たちを全く信用しないミカドが、話し合いで事を済ますなど有り得るべくもない。地上では双方による衝突で戦闘になったはずで、目の前の兵たちはその犠牲者と言えよう。
戦いにおける戦死者、負傷者の発生。
本来、軍の戦いと言うのはそう言うものだ。それは良二もわかっているつもりだった。
自分たち、とりわけ遊撃隊は、まだ一人の戦死者も出していない。それはホントに運が良かったにすぎない。
召喚初日だったか、容子たちと運の有る無しで生死がどうこう言い合ったことがあった。
自分は運で決まるものなんだと言っていたのだが、父母との死別から時間がたち、その運の差の結果を今改めて目の辺りにすると、やはり言葉だけで割り切れない自分に気付く。
思わず自分で自分を嘲りたくなる。
「どうか、気にしないでください……」
誰かが話しかけてきた。
「おかげで僕たちみたいに助かった者もいるんです。今でも夢かと思いますよ、1400mも落っこちて助かったなんて」
話してきたのはメアと同系の猫族、その魔人の若者だった。
腕を骨折しており、頭部に裂傷、あちこちに打撲があるが、まだ幸運な方だろう。
「うん……身の程は弁えないとね……全ての人を救うなんて……烏滸がましいよね……」
「落ち込まねぇでくだせぇ。大体わしらは、あんた方を狩り取ろうとしてたんですぜ? そのあんた方に命救われて……こっちこそ穴があったら入りてぇですよ」
同じく軽傷で済んだ中年のオーク族っぽい兵士も良二を慰めてくれた。
さっきまで容子を気遣っていた自分が、今度は負傷者たちに気遣われている……良二は軽く噴き出しそうになった。
そうだ、今は落ち込んでいる場合じゃない。負傷した彼らを地上に送り届ける方法を考えねばならない。
「ありがとう。少し楽になったよ」
その後、彼らの怪我に触らない程度に地上での話を聞いてみた。
十中八九、ミカドの仕業だとは思われるが、橋の崩壊にしろ、彼らは何があったかもわからず転落してしまったので詳しい状況はわからなかった。
だが、一個中隊規模で谷底を捜索する部隊が出発していると言う情報もあり、もしも彼らと合流できれば負傷者の搬送に期待が持てる。
「黒さん、先発隊を出そう。捜索隊と会えれば、すぐこちらへ案内できる」
「それは俺も考えた。しかしいきなり俺たちが顔を出せば向こうは身構えるだろう。こんな状態だ、ちょっとした誤解が交戦の火ぶたを切ることもある」
「なら、僕が同行しますよ。幸い僕は擦り傷と打撲だけで脚も何ともないし。僕らが説明すれば誤解による衝突は避けられると思います」
数少ない無傷・軽傷の生存者の中から志願者が出た。
「そうか、じゃあ人員と装備を考えてみよう」
予想される突発的な交戦の懸念が低減されるのであれば、捜索隊とのコンタクトはメリットの方がはるかに多い。誠一は良二の意見具申を聞き入れて、先発隊の編成に取り掛かった。
と、ここで、
「主様! 主様!」
シーナが誠一を呼ぶ声が響く。
「主様! 誰か近付いてきます!」
シーナの索敵能力が彼我不明の接近者を捉えたらしい。
「捜索隊か?」
「う~ん、それが一番可能性高いかな。でもちょっと、早すぎない?」
「クロさん、一旦隠れるっすか?」
「負傷者がいるんだ、そう言うわけにもいかんな。シーナ、相手は何人だ?」
「2人……ですね」
「2人?」
「2人だけ? しかし誰だろ? あの魔素の澱みをアデス人が入れるとは思えないけどな」
良二がそう言うと、誠一は”ツンツン”と良二の腕を突いて気を引き、こそっとカリンを指さしてみせた。
峡谷へ入る時、前回の件も有り、カリンの症状には気を付けていたが、そう言えば今回、彼女は身体の不調を訴えていない。
以前の時は、目を真っ赤に充血させる程の反応を見せたのに。
どう言うカラクリなのだろうと疑問に思う所だが、前回と違うことと言えば……彼女と契ったことくらいだが……。もしもそうなら、前回のメア・シーナの無症状にも得心が行く。
とは言うものの……
「な、なあ黒さん?」
誠一は良二の前に掌を上げて制した。
「言わんでもわかる。だとすると今近付いてくるのは……」
「セイイチー!」
ここで接近者からの声が聞こえてきた。それは忘れもしない馴染みの声であった。
「セイイチさまー!」
やはり。ラーとホーラである。
「ラー! ホーラ!」
「セイイチさま!」
「セイイチ! このバカ者が!」
二人は全速で駆け寄り、そのままの勢いで誠一に抱きついてきた。
「済まない、また迷惑かけたな」
「我が何とかすると言ったであろう! 先走りおって!」
「陛下もあきれてましたわ!」
「ホント済まん。ああ、それはそうとキミたち、澱みは大丈夫だったのか? ラー、前回キミは、酷く咳込んでいたが……」
「え? え、ええ、他の者はやはり防護マスク無しでは降りて来られませんでした。私とホーラさまも一応マスクは持っては来たのですが何故か今回は……。多少の息苦しさは感じますが、前のように動けなくなるようなことは無かったので、捜索隊本隊に澱み域突破の所要時間を伝えるよう伝令を向かわせて我々二人は先行しました」
前回、谷に降りた時、誠一はこの二人とは魔界に来てからの性交はまだ無く、経験したのはメア・シーナまでであった。
と、なると……やはりあの、魔界版エロブースト説は……
「……マジかな?」
「是非もねぇな……」
認めざるを得ない、嬉し恥ずかしエロチート……いや、一体どんな理屈やねん! とも。
「あそこに寝ておるのはミツキか? セイイチ、サワダはどうし、た……」
ホーラは奥に横たわる数十人の死傷者を見つけ言葉を詰まらせた。
「な、なんだ、この負傷者たちは! 魔界の兵士どもじゃないか! まさか……貴公たちが!? いや、そんなはずは無い、我と夜王より先行している者はいないからな」
「ああ、どうやらミカドの仕業のようだ」
「ミカド!? どういうことかセイイチ!?」
誠一や良二は今までの史郎――ミカドとのやり取り、転落してきた魔界兵士、そしてそれが恐らくはミカドの仕業であろうことを掻い摘んで説明した。
「ミカドが……なんと言う事か。澱みによる体の変調は無かったが、魔力の遮蔽は相変わらずでな。軍との念話は出来ていない状態だったが、その間にこんなことが……」
「ラーさん、捜索隊は来るんだね?」
「はい、先程も申しました通り、伝令を走らせております。恐らく防護マスクをつけた捜索隊がこちらに向かって来ているものと思われます」
それに関連して容子がホーラたちに被害者の事で提案した。
「ねぇ、ラーさん、ホーラさん。重傷者を転移で運ぶことは出来ないかしら? 地上は無理でも昇降ルートの近くまででも。一刻も早く入院させないと」
「ああ、ここへ来るのにも、短距離転移を繰り返して色々試しながら来た。谷底であれば何とか運べるだろう」
それを聞き「ああ、よかったぁ」と、容子ちゃん、一先ず安堵の図。
「では、皆の者、我と同行してくれるのだな? もう脱走とかは無しだぞ?」
「ああ、とにかく先を急ごう。作戦の練り直しもあり得る」
「うむ、わかった」
ガチャ!
「……ホーラ? これは?」
ホーラは誠一の手にガッチリ魔封錠をかけた。
「問答は無しだ。手綱を締めておかんと貴公は何をやらかすか分からん」
ホーラたちは誠一だけではなく、良二やカリンらにも魔封錠をかけた。
容子は負傷者が瘴気層を抜ける間、ミカと共に空気の浄化をするために魔封錠は免れた。
「ま、待ってよラーさん! 登るときは美月を運ばなきゃいけないしさ! それと女の子たちは勘弁してあげてよ!」
「大丈夫です、リョウジさん。ミツキさんは私が運びます。ご不自由でしょうが、全員拘束でないと軍や委員会が納得致しませんので、しばらくの間ご堪忍を」
「いくら美月が小柄とは言っても長時間の登りはラーにも辛いだろう。俺が運ぶから錠を外してくれ。地上寸前でまた掛ければいいだろ?」
誠一がホーラとラーに優しくお願い、と言うか、おねだりに近い表情で話しかけた。その笑顔を見てにっこり微笑むラー。
「お心遣い痛み入ります。でも、その手には乗りませんわ」
「大人しく縛についておれ」
にべもない……
「……もしかして、怒ってるのか?」
「怒って無いと、どうして思えるのだ!」
ビキッたホーラさまに嗾けられ、良二たちはキリキリ歩かされた。




