第八話 「王国からの使者」
使者が来たのは、契約から十日後だった。
セバスチャンが朝の報告の最後に付け加えるように言った。
「王国からの使者が、アリシア様にお目にかかりたいと」
アリシアは帳簿から目を上げた。
「用件は」
「ランベルト公爵家に関わる件、とだけ」
(父の名前を出してきた。ということは、私個人ではなく家絡みの話として持ってきた)
「分かりました。通してください」
━━━━━━━━━━━
応接室に現れたのは、三十代の文官だった。
王国の紋章が入った外套。表情は丁寧だが、目に焦りがある。田中アリサとして取引先と何百回も向き合ってきたアリシアには、それが分かった。
「ランベルトのアリシア様、お久しぶりでございます。王宮よりご連絡の儀にて参りました」
「ご苦労様です。用件を」
文官が少し間を置いた。
「率直に申し上げます。王国の財政が、少々……難しい状況になっております」
(やはりそういうことか)
アリシアは顔に何も出さなかった。
ただ、同時に別のことも考えていた。
(この人は今、隣国の顧問である私に王国の財政難を話している。本来、あってはならないことだ。それをしてでも頼みに来るほど、状況が切迫しているということか)
三ヶ月前まで自分が水面下で支えていた財政が、たった数ヶ月でほころびを見せ始めている。想定より早かったが、想定内だった。
「それは、王宮の財務担当の方々にお伝えすべき話では」
「……アリシア様にお力添えいただければと、思いまして」
「私はクロイツ公爵家の特別顧問です。王国の財政は職掌外です」
文官が額に汗をかいた。
「もちろん、相応の謝礼を……」
「金額の問題ではありません」
アリシアは静かに、でも明確に言った。
「私が王国を離れる前に、財政の仕組みはきちんと整理して引き継げる状態にしていました。今起きていることは、その仕組みを誰かが正しく運用していないということです。私が戻っても、同じことが繰り返されます」
文官が黙った。
(この人は悪くない。ただ、解決策の方向を間違えている)
「ひとつだけ聞いてもいいですか」とアリシアは続けた。「南部三領の第四四半期の税収報告は、誰が確認していますか」
「……それは、財務卿が」
「財務卿は最近変わりましたね」
「……はい」
「前任の方のやり方を引き継いでいますか」
文官が答えに詰まった。
(答えを見なくても分かる。引き継いでいない。だから数ヶ月でここまで来た)
「アドバイスとして、無償でお伝えします」アリシアは紙と羽ペンを取った。「南部の数字を確認する手順をここに書きます。これを新しい財務卿に渡してください。それだけで当面は持ちます」
さらさらと書いて、文官に差し出した。
(本来なら受け取るべきではない情報だった。でもこの人が持ち帰れるものを渡しておかなければ、王国はもっと傾く。それはクロイツにとっても好ましくない)
「私が王国に戻る理由はありません。でも王国が立て直せることは願っています」
文官がしばらくその紙を見てから、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
━━━━━━━━━━━
文官が帰った後、セバスチャンが静かに入ってきた。
「お断りになったのですね」
「ここの仕事があります」
「……アドバイスの紙は、無償でよかったのですか」
アリシアはしばらく考えた。
「王国が完全に傾くと、この地域の商業にも影響が出ます。クロイツのためでもあります」
セバスチャンが小さく頷いた。
「なるほど。公爵様にご報告しておきます」
━━━━━━━━━━━
夕方、ディアスが書斎に来た。
「使者、来てたね」
「断りました」
「……それだけ?」
「アドバイスを一枚書いて渡しました。クロイツの商業圏の安定のためにも必要でしたので」
ディアスがしばらくアリシアを見た。
「君は本当に、何をやっても損得で動くね」
「効率的だと思っています」
「……そういうところが」
「また言いかけましたね」
ディアスが今度は止まらなかった。
「放っておけない」
「それは先日も聞きました」
「聞いてても言う」
アリシアは少し黙った。
(また「放っておけない」だった。何度目になるか、もう数えていなかった。ただ、今日のその言葉は、これまでとどこか違う色をしている気がした)
確信は持てなかった。でも今日初めて、雇用主としての顔ではないかもしれないと、そう思った。




