第四話 「最初の結果」
三週間後、東の農地の工事が完了した。
アリシアは現地を視察してから屋敷に戻り、書斎のテーブルに数字を並べた。工事費用の確定額、来期の収益予測、それから南の交易路に通行税免除を適用してから二週間分の通行量データ。
(三十一パーセント増、か)
田中アリサとして生きていた頃、この数字が何を意味するか骨身に染みて知っている。三年止まっていたものが、たった二週間で動き始めた。会社なら上司が飛んできて「どうやったんだ」と聞くレベルの変化だ。
ここでは誰も飛んでこないが。
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「アリシア様」
ノックもそこそこに、セバスチャンが入ってきた。手に帳簿を抱えている。その顔が、アリシアがクロイツに来てから初めて見る表情をしていた。
困惑、ではない。どちらかというと、何かに打ちのめされたような顔だ。
「南の交易路の通行量、確認いたしました」
「見ましたか」
「……はい」セバスチャンが帳簿をテーブルに置いた。「三年前の水準に、このペースでいけばあと——」
「一年半から二年で戻ります」
家令がしばらく黙った。
「私は」と、低い声で言った。「この問題を三年間、抱えておりました」
「知っています」
「手を打てなかったわけではありません。ただ、道の評判というものは変えられないと思っていた。時間が解決するものだと」
アリシアは何も言わなかった。責めても意味がない。問題は今動いている。それで充分だ。
「通行税の免除」とセバスチャンが続けた。「あの判断、私には出てきませんでした。なぜ、分かったんですか」
「前の職場で、似たようなことがありました」
「……前の、職場」
「以前いた場所です。気にしないでください」
(前世の商社で、取引先を失った後どうやって戻したか。あの時の手順と大して変わらない。場所が違うだけだ)
心の中でだけ、田中アリサが呟いた。
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昼過ぎ、商人のヴァルター・グレーフが面会にやってきた。
五十代の大柄な男で、日に焼けた顔に白い無精ひげ。貴族の屋敷に慣れていないのか、応接室に通されてすぐ、椅子の座り方が少しぎこちなかった。
アリシアが入ると、男は勢いよく立ち上がって頭を下げた。
「ランベルトのアリシア様、ですか」
「そうです。座ってください」
「いや、しかし……」男がちらりとアリシアを見た。「失礼ですが、お若い」
「よく言われます」
男が少し困った顔をした。お礼を言いに来たはずが、場の空気を読めていないと自覚しているらしい。
「南の道、使いました」と男は言った。「三年ぶりです。盗賊が出てから、ずっと遠回りしてました。輸送コストが余分にかかって、正直しんどかった」
「計算しましたか」とアリシアが聞いた。
「え?」
「三年間の遠回りで、余分にかかったコスト。計算しましたか」
男が目を丸くした。令嬢にそういう質問をされるとは思っていなかったのだろう。
「……大まかには。かなりの額になります」
「では今後一年の通行税免除で、その差はある程度埋まります。来期以降も使い続けてもらえれば、三年以内に元の交易ルートとして定着する見込みです」
男がしばらくアリシアを見た。
「……なんで令嬢がそんな話を」
「仕事だからです」
(仕事だから。そう、それだけだ。前世でも今世でも、問題があれば数字で解く。それ以外にやり方を知らない)
「他の商人にも話を広めてもらえますか」とアリシアは続けた。「あなたの口から聞く話は、お触れより信頼されます」
男がゆっくりと頷いた。最初の戸惑いは消えていて、今は別の表情をしている。値踏みするような、でも悪くない目だ。長年商売をやってきた人間が、相手を判断するときの目だとアリシアには分かった。
「……承知しました。仲間内に話します」
「ありがとうございます。お礼の品は不要です」
「それは私が困る」
「では来期も道を使ってください。それが一番です」
男が笑った。皺の深い、人の好さそうな笑い方だった。
「あんた、面白い令嬢だな」
「よく言われます」
同じ答えを返したら、男がまた笑った。
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夕方、ディアスが書斎に顔を出した。
「商人が来てたね」
「話を聞きました。来期の継続が取れたので、南の交易路は予定通り動きます」
「セバスチャンの顔、見た?」
「見ました」
「三年間、あの人なりにずっと考えてたんだよ。それでも動かせなかったものが、君が来て三週間で動いた」
アリシアは何も言わなかった。ディアスが椅子を引いて、向かいに座る。
「給料の話」と彼は言った。「明日正式にしよう。君が思っている額より、多く出す」
「……それは」
「当然だと思ってる。値段をつけられないものに値段をつけるとしたら、高くなるのは当たり前だ」
窓の外、日が傾いていく。書斎にオレンジ色の光が差し込んで、テーブルの数字を照らしていた。
(これが報酬か)
田中アリサとして生きていた頃、働いた分だけ返ってきたことはあまりなかった。終電を逃す夜も、休日出勤も、評価は「よくやった」の一言で終わった。
(悪くない場所だ。本当に)
「ありがとうございます」とアリシアは言った。
ディアスが少し笑った。今度は初めて会った時とも馬車の中とも違う、静かな笑い方だった。




