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元社畜令嬢、婚約破棄されたので隣国で本気出します  作者: ハル


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第二十一話 「次の数字」


 翌朝、セバスチャンが第二四半期の集計を持ってきた。


 「ご確認ください。南部交易路、北部農地、商業区それぞれの収支です」


 アリシアは受け取って、一枚目から順に見た。


 南部は想定通りだった。先月の商工会で伝えた通り、ヴァルターたちが動いた数字がそのまま出ている。北部農地も第一四半期より改善している。商業区は横ばい。全体として、クロイツ着任から半年での変化としては十分な水準だった。


 三枚目で、手が止まった。


 「北部の輸送費が」


 「はい。先月から少し上がっています。現時点では許容範囲ですが」


 「許容範囲ですが、何ですか」


 セバスチャンが少し間を置いた。「原因がまだ特定できていません」


 アリシアは数字を見た。上昇幅は小さい。でも、季節の要因だけでは説明がつかない動き方をしている。


 「北部の業者と直接話す機会を作ってください」


 「来週の予定に入れます」


━━━━━━━━━━━


 資料を机に置いて、窓の外を見た。


 今日は曇りだった。庭の白い花が昨日より少なかった。


 (昨日、花を見ていた)


 昨日のことを考えると、どこか処理が追いつかない感覚がある。スープの味。ディアスが「その顔、初めて見た」と言った。饅頭屋。クラーラが「分からないことは私には申し上げられません」と言った。


 全部、事実として頭に入っているが、どこかで引っかかって動かないままだ。


 今日の集計が届いたことで、少し楽になった。数字は処理できる。


━━━━━━━━━━━


 昼前に、ディアスが書斎に来た。


 「集計、見た?」


 「確認しました。全体は順調です。北部の輸送費に一点気になる点があるので来週確認します」


 「北部か」ディアスが少し考えるような間を置いた。「具体的には」


 「季節変動では説明しきれない上昇が出ています。業者側の問題か、ルートの問題か、まだ分かりません。ただ」


 「ただ」


 「放置すると、来期に響く可能性があります」


 ディアスが窓の方を向いた。「動いてくれて助かる」


 「業務です」


 少し間があった。


 「昨日の礼を言ってなかった」


 アリシアは顔を上げた。ディアスはまだ窓の方を向いていた。


 「……昨日のことは、業務ではありませんでしたが」


 「そうだね」


 「礼を言われる理由が」


 「楽しかったか、って聞こうとしたけど」ディアスが少し笑った。「やめておく」


 アリシアは何と返すかを考えて、出てこなかった。


 (昨日も、同じだった)


 「……また聞かないんですか」


 「今は」


 また「今は」だった。前回と同じ答えだ。アリシアはその言葉を処理しようとして、結局どういう意味か分からないまま、「分かりました」と言った。


━━━━━━━━━━━


 午後、北部の輸送記録を書庫から出してもらった。


 過去二年分の数字を並べてみると、今期の上昇は確かに例年の動きから外れていた。季節ではなく、何か別の要因が入り込んでいる。


 クラーラが茶を持ってきた。


 「北部の方のご用件ですか」


 「輸送費が少し動いています。原因を調べています」


 「先週、北部の荷車組合が集まりを開いていたと小耳に挟みました。何かあったのかもしれません」


 アリシアは手を止めた。「それはどこで」


 「侍女たちの話です。確かな情報ではありませんが」


 (侍女たちの情報網)


 以前から気づいていたが、クラーラが持ってくる話はたまに帳簿より早い。


 「ありがとうございます」


 「……いえ」


 受け取れた気がした。今日は「いいえ」と言わなかった。


 クラーラが少し間を置いてから言った。「少し、変わりましたね」


 「何が」


 「アリシア様が」


 アリシアは書類に目を戻した。「そうですか」


 「そうです」とクラーラは短く言って、部屋を出た。


━━━━━━━━━━━


 夕方、荷車組合の記録と照合すると一つの名前が繰り返し出てきた。


 北部の中継拠点を押さえている輸送業者だ。ここ数ヶ月で扱い量が増え、それに伴って通行使用料を引き上げていた。公式な通達はなく、取引先への個別の「調整」として処理されている。


 (抜け穴だ)


 ルールの外にある慣習として定着しかけている。気づかない者には気づかないが、積み重なれば来期の輸送コスト全体を押し上げる。


 来週の業者との面談に向けて、確認すべき項目を書き出した。


 数字を並べながら、アリシアは少し止まった。


 (こういうのが、好きなのかもしれない)


 誰も気づいていない問題が、数字の奥に隠れている。それを引き出す作業。前世でも今世でも、やっていることは同じだ。でも今は、誰かのために働いていると同時に、自分が面白いと思える場所で働いている。


 その違いを、今日初めて少し言葉にできた気がした。


━━━━━━━━━━━


 同じ頃、王国の王太子執務室では。


 「殿下、少々よろしいでしょうか」


 レオナルドは書類から顔を上げた。側近のヴィクトルが控えている。


 「何だ」


 「二件ほど、ご報告が」


 「言え」


 「一件目は財務の件です。今月の収支報告が届きました」


 渡された紙を見た。数字を確認した。先月より、また落ちている。


 「南部の回復が遅れています。担当者からは、取引先の再編に時間がかかっているとの説明ですが」


 レオナルドは紙を置いた。「遅い。先月も同じことを言っていた」


 「はい。ただ、担当者の言によれば、以前のような形での立て直しが難しく……」


 「難しい、では話にならない」


 ヴィクトルが少し間を置いた。続けにくそうだった。


 「もう一件です」


 「聞く」


 「エミリア様のことで、南部侯爵家の嫡男より申し入れがありました」


 レオナルドは顔を上げた。


 「社交の場でのことだと伺っています。複数の令嬢との間で、少々……その、場の空気が難しくなる場面が続いているとのことで。今回は侯爵家の嫡男が直接お伝えに参りました」


 レオナルドは黙った。


 エミリアのことは、これが初めてではない。小さな話が出るたびに、その場の誤解だと判断してきた。令嬢たちの妬みは珍しいことではない。エミリアが身分のない出自で王太子の傍に入れば、そういうことが起きる。


 だが。


 侯爵家の嫡男が、直接。


 (令嬢間の話が、男性貴族の口から出てきた)


 笑い飛ばそうとした。うまくいかなかった。


 「……把握した」


 「いかがなさいますか」


 「少し考える」


 ヴィクトルが一礼して下がった。


 レオナルドは机の上の数字に視線を戻した。財政。エミリア。二つの問題が、同じ夕方に届いた。どちらも「たまたま」で片付けてきた話だ。


 でも今日は、たまたまという言葉が出てこなかった。


 (なぜ今になって、こんなに重なる)


 答えは出なかった。


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