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元社畜令嬢、婚約破棄されたので隣国で本気出します  作者: ハル


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幕間⑤ 「伝わっていません」

月次の報告書が机の上に揃っていた。


 ディアスはそれを一枚ずつめくりながら、数字を目で追っていた。南交易路の通行量、農地の収益、商人ギルドとの新規取引件数。どれも半年前とは別の動きをしている。


 当然といえば当然だ。


 動かした人間が違う。


━━━━━━━━━━━


 アリシア・フォン・ランベルトを引き抜こうと決めたのは、七年前の王国の茶会だった。


 誰も見ていない場所で、誰のためでもなく動いている令嬢がいた。王国の社交という場では、全員が誰かに向けて「顔」を作る。それが当たり前で、ディアスも含めて誰もがそれを前提にしていた。


 彼女だけが違った。


 誰かに見られることを意識していなかった。ただ目の前の問題を見て、解いていた。


 あの人を連れてこればクロイツが変わると思った。その読みは正しかった。


 数字がそう言っている。


━━━━━━━━━━━


 報告書をまとめながら、気がついたらアリシアのことを考えていた。


 商工会の帰り道、廊下で「否定はしません」と言っていた。先月は「いいえ」だったものが。


 小さな違いだ。本人はたぶん気づいていない。


 でもディアスには分かった。何かが、少しずつ動いている。


 (それが)


 そこで思考が一度止まった。


 嬉しいのかと聞かれたら、そうだと思う。嬉しいというより、もっと別の何かに近い感覚だったが、言葉にしようとすると面倒だったのでやめた。


 ただ、もう少し早く動いてもよかったかもしれない、とは思っていた。


━━━━━━━━━━━


 扉がノックされた。


 「失礼します」


 セバスチャンが入ってきた。月次報告の確認だろうと思ったら、書類を一枚持ったまま少し間を置いた。


 「……一つ、よろしいですか」


 「どうぞ」


 「アリシア様のことです」


 ディアスは報告書から目を上げた。「うん」


 「商工会でヴァルターさんに『楽しいか』と聞かれ、『否定はしません』と答えたそうです。先月は『いいえ』だったと聞いています」


 「知ってる」


 「……変わってきていると思います」


 「知ってる」


 セバスチャンが一拍置いた。「公爵様」


 「うん」


 「アリシア様は、公爵様が気にかけておられることに、まったく気づいておられません」


 ディアスは少し考えた。「そう?」


 「そうです」


 「アピールはしてるんだけど」


 セバスチャンの表情がわずかに動いた。動いたが、何も言わなかった。一秒ほど間があって、それから静かに口を開いた。


 「……伝わっていません」


 「え」


 「まったく」


━━━━━━━━━━━


 そこで廊下から足音がした。


 セバスチャンが扉の方に目をやった。足音が近づいて、通り過ぎる。クラーラだった。


 「クラーラ」


 セバスチャンが声をかけた。足音が止まった。


 「……はい」


 「少しよろしいですか。今の話を聞いていましたか」


 短い沈黙があった。


 「……扉の外まで、少し」


 「公爵様のアピールが、アリシア様に伝わっていないということについて」


 またすこし間があった。


 「……はい」


 「どう思いますか」


 クラーラの声が、廊下から静かに返ってきた。


 「……もう少し、大きな行動が必要かと存じます」


 セバスチャンがディアスを見た。ディアスはしばらく天井を見ていた。


━━━━━━━━━━━


 「……二人がかりか」


 「はい」とセバスチャン。


 廊下からは何も聞こえなかったが、聞こえていることは分かっていた。


 ディアスは報告書を机に置いた。「分かった、考える」


 「よろしくお願いいたします」


 「何をするつもりかは聞かないの?」


 「公爵様がお考えになることですので」


 「それっぽいこと言ってるけど、要は任せるってこと?」


 「はい」


 ディアスは少し笑った。「了解」


 セバスチャンが一礼して扉を閉めた。


 廊下から、かすかに足音が遠ざかっていくのが聞こえた。二人分だった。


━━━━━━━━━━━


 一人になって、ディアスは再び報告書を手に取った。


 数字は正直だ。動いた分だけ結果が出る。


 (では)


 もう少し、動いてみようか。

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