第十八話 「なんでもない日」
その日、セバスチャンが言った。
「今日は外部からのご予定が入っておらず、直近の業務も昨日で一区切りついております。強いて申し上げれば、何もない日です」
アリシアはしばらく書類を整えながら、その言葉を頭の中で確認した。
何もない日。
「分かりました」
セバスチャンが出ていく。アリシアは机の上を見た。整理するものがない。次に手を付けるものも、今すぐでなくていい。
(前世でも、こういう日があったかどうか)
思い出せなかった。記憶の中の田中アリサは常に何かを持っていて、常に次のことを考えていた。休日でも課題を持ち帰って、締切のない夜は翌日の準備をしていた。
止まったことが、なかった。
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書斎に行って資料を整理しようとしたが、整理する必要がなかった。
先々週の商工会向けの資料は既に束ねてある。来月の南部交易路の集計は来週でいい。今すぐやるべきことが、なかった。
(何をすればいい)
七年間、その問いが出てきたことはなかった。
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廊下でディアスに会った。
「アリシア」
「今日は業務の整理をしていました」
「何かあった?」
「……整理するものがありませんでした」
ディアスが少し止まった。「じゃあ何してたの」
「整理するものがないことを、確認していました」
しばらく沈黙があった。
「……休んでいいよ」とディアスは言った。
「休み方が、少し分かりません」
言ってから、余計なことを言ったかと思った。業務上の報告でもなく、何かを解決しているわけでもない。ただ事実を述べただけだが。
ディアスは笑った。「正直だね」
「……事実です」
「庭にでも行ってみたら。天気いいから」
「庭に行って、何をするんですか」
「何もしなくていい」
「目的なく行くんですか」
「そう」
アリシアはその回答を処理しようとしたが、うまくいかなかった。「……分かりました」
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庭は思ったより広かった。
以前も通ったことはあるが、横切っただけだ。今日は目的がないので、ただ歩いた。
花が咲いている。白と薄い紫だ。品種を確認しようとして、止まった。
(別にデータを集める必要はない)
必要がない。今日は何も記録しなくていい。ただここに、いていい。
いつの間にか歩くのをやめていた。花の前に立って、ただ見ていた。
(前世の田中アリサなら、何かメモを取っていた気がする)
取らなかった。取らなくてよかった。
どのくらいそうしていたか、分からなかった。途中で、頭の上に何かが触れた感覚がした。手を伸ばすと、髪の飾りだった。
(そうか、今日もつけていた)
鏡を見ていないと忘れる。クラーラがつけてくれたのだ。
青い鳥の形の飾り。なぜ青を選んだのか、まだ分からない。でも、庭の花と並べたとき、合っているような気がした。
「……アリシア様」
少し離れたところで、クラーラが遠慮がちに言った。
「何ですか」
「いえ、その。普段とお顔が違ったので」
「顔が」
「楽しそうで」
アリシアはしばらく黙った。「自覚がありません」
「そうみたいですね」とクラーラは言った。どこか嬉しそうな声だった。
(楽しそうだったのか)
自分では分からなかった。ただ、嫌ではなかった。それだけは確かだった。
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王都、財務会議室。
第二四半期の収支報告が配られた。室内にしばらく沈黙が続いた。
「南部商業区の織物は、前年比で二十三パーセントの落ち込みです」
財務卿の声に、誰も返事をしなかった。
「税収の方も、先月の数字からさらに下方修正が入りまして」
一人の老貴族が紙から目を離して、部屋の天井を見た。
「以前は、こういうとき……」
言いかけて、止まった。
誰も続きを言わなかった。




