第十六話 「クラーラの観察」
朝、鏡の前に座ると、クラーラが飾りを手に取る前にアリシアが先に言った。
「今日もつけていいですか」
クラーラが少し止まった。「……はい、もちろんです」
何も言わなかった。何か思ったことはあると思うが、確認しなかった。
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午前中の仕事は来月の商工会に向けた打ち合わせ内容の整理だった。
クラーラが端で控えながら、資料を運んでくれた。アリシアは羽ペンを動かしながら、少しだけ昨日のことを考えた。
(褒められたらありがとうと言う、と聞いた。でも言わなかった)
昨日の報告を終えて廊下を歩いたとき、言うタイミングはあったはずだった。でもそのときは気づかなかった。気づいたのは書斎に戻ってからで、それからずっと引っかかっていた。
(遅くなった)
タイミングを逃したのは事実だ。ただ、そのことを夕方からずっと考えていたことの方が、アリシアには少し不思議だった。
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昼前、廊下でディアスとすれ違った。
「アリシア」
「……昨日、似合うと言っていただいて」
アリシアは少し止まった。「ありがとうございます」
ディアスが三秒、黙った。「……うん」
「遅くなりましたが」
「いや、うれしかった」とディアスは言った。「報告が終わってすぐ言いに来たのかと思ったけど」
「報告の後で考えました」
「……どのくらい」
「昨日の夕方から今朝にかけて」
ディアスが何か言いかけて、止まった。少し笑った。「そっか。ご苦労」
すれ違いながら、どちらも歩き続けた。
(変な言い方をした)
アリシアは歩きながら思ったが、何が変だったのか特定できなかった。
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その場面を、廊下の角でクラーラが見ていた。
書類を運んでいて、角を曲がったところで二人に気づいた。そのまま止まって、やりとりが終わるまで待った。
(昨日の夕方から今朝にかけて、考えていたんですか)
アリシアが歩き去るのを見送りながら、クラーラはその言葉を頭の中に静かに置いた。
表情には出さなかった。
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夕方、書斎を片付けていると、アリシアが言った。
「さっき、見ていましたか」
「……廊下の件ですか」
「ちょうどいたようでしたので」
クラーラは少し間を置いた。「見ていました」
「そうですか」
「ただ」とクラーラは続けた。「ちゃんと言えてよかったと思います」
アリシアはしばらく黙った。「……昨日言えなかったので」
「それでも言いに行ったじゃないですか」
アリシアは答えなかった。窓の外に夕方の光が差し込んで、机の上の飾りを照らしていた。
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王都の茶会で、エミリア・ローゼンが席を立った。
「すみません、少し気分が」
声は穏やかだった。ただ、その直前に隣の伯爵令嬢へ向けて言った一言を、何人かが聞いていた。
大きな問題ではなかった。ただ、席に残った令嬢たちはしばらく黙っていた。
レオナルドはエミリアの後を追って部屋を出た。令嬢たちの沈黙には気づかなかった。




