第十四話 「クロイツの朝市」
クロイツの朝市は月に二度、広場で開かれる。
アリシアが来たのは仕事のためだ。先月から南部の農産物の流通量が微増している。卸値と小売値の差を直接確認したかった。
「今日は多いですね」とクラーラが言った。隣を歩きながら、馴染んだように市場を見渡している。「季節の変わり目になると、いつもこうなんです」
アリシアは露店を順番に見ていった。野菜、布、焼きたてのパン。価格と量、客の流れを観察した。頭の中で数字が動き始める。
「書き留めますか」
「お願いします」
クラーラが手帳を取り出した。
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三軒目の野菜売りの前で、「あ、先生だ」という声がした。
振り返ると、中年の女性が大きく手を振っていた。顔に見覚えはなかった。
「先月の収穫量の計算、本当に助かりました。うちの旦那が、先生のおかげで来年の種の量を決められたって」
「ああ」とアリシアは言った。「あの試算書を渡した農家の方ですか」
「そうそう。本当にありがとうございました」
女性は「ちょっと待ってください」と言って、露店の奥から小さな布の袋を取り出してきた。
「うちで採れた豆です。今年の最初の収穫。先生にどうぞ」
アリシアは袋を受け取った。「これは報酬には該当しないのでは」
女性が笑った。「報酬じゃないです。お礼です。気持ちですよ、気持ち」
「……」
「先生、もしかして豆は嫌いですか?」
「いいえ」
「よかった。先生が何が好きかわからなくて。とりあえず豆にしました」
お礼、という言葉を処理しようとした。仕事に対する対価ではない。試算書を渡したのはデータが必要だったからで、渡した結果として相手の役に立ったというだけ。
「……ありがとうございます」
言葉は出た。ただ、何となく、うまく言えた気がしなかった。
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少し歩いて、手工芸品の露店に差しかかった。
木製の小物、刺繍の入った布、簡単な装飾品が並んでいる。クラーラが「きれいですね」と立ち止まった。
作っているのは六十がらみの女性だった。作業の手を止めて、二人を見た。
「顧問の先生ですか」
アリシアはうなずいた。
「うちの息子が農地改革の説明会に出て、ずいぶんよかったって言ってました」
「そうですか」
「ありがとうございます。もしよかったら」
女性が棚から二つ取り出して、アリシアに並べて見せた。髪に挿すための小さな飾りだ。一つは白い花の形、もう一つは青い鳥の形をしている。
「どちらかを差し上げたくて。どちらがお好きですか」
アリシアは二つを見た。
白い花の方が売れ筋だろう。青い鳥は珍しいが需要が読みにくい。素材は同じ、仕上げは両方丁寧だ。デザインの完成度という観点では——
「……」
アリシアは気づいた。
どちらが売れるか、ではなく、どちらが好きか、と聞かれている。
自分が。
答えが、出てこなかった。
白い花か、青い鳥か。どちらが好きか。好き、という感覚が、どこにあるのかわからなかった。仕事として処理する回路が、そこでは動かなかった。
「……青い方を」
気がついたら言っていた。
「あら、うれしい。青の方は自信作なんです」と女性は言った。
アリシアはその飾りを受け取った。なぜそちらを選んだのか、自分でもよくわからなかった。
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帰り道、クラーラがしばらく黙ってから言った。
「アリシア様、少し迷いましたね。さっき」
「……そうでしたか」
「少しだけ」
アリシアは返事をしなかった。手の中の飾りを一度だけ見た。
「似合うと思います、その飾り」とクラーラは続けた。「つけてみないんですか?」
「仕事中ですので」
「今は帰り道ですよ」
「……また今度にします」
クラーラはそれ以上言わなかった。ただ、隣を歩く気配が、何となく楽しそうだった。
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報告のためにディアスの書斎に行くと、「なんか持ってる」と言われた。
アリシアは手の中の布の袋と、もう片方に持っていた飾りを見た。「朝市で受け取りました」
「お土産?」
「気持ちだそうです」
「ふうん」とディアスは言った。「どっちが気に入った?」
アリシアはしばらく黙った。「……青い方を選びました。理由はよくわかりません」
ディアスが少し笑った。「そっか」
それ以上は聞かなかった。アリシアは報告を終えて、書斎を出た。
廊下を歩きながら、右手の飾りを見た。
なぜ青い方を選んだのか、まだわからなかった。でも、それを考えようとしたとき、いつもの回路が動かなかった。
それが少しだけ、不思議だった。
そろそろ王都側もちらっと出てきます。アリシアのいない王都がどうなってるか、見ててください




