第十三話 「商人たちの噂」
商人たちの組合——ギルドと呼ばれている——の長は、名刺代わりに数字を出してくる人間だった。
「先生、先月の南交易路の通行量なんですが」
先生、という呼び方はいつの間にか定着していた。アリシアには少し違和感があったが、訂正するたびに「いやでも先生でしょう」と返されるのでそのままになっている。
「三十二件増ですね」とアリシアは言った。「ただし大口が戻っていない。需要の問題ではありません」
ギルド長——ヴォルフと名乗っていた、五十がらみの大柄な男——が資料から目を上げた。「どういうことですか」
「四月の通行実績と荷物の品目を照らし合わせると、買い手はいます。ただし支払いを分割にしている取引が増えている。現金が動きにくくなっています」
ヴォルフがしばらく資料を見た。「……それは確かに」と言ってから、小さく息を吐いた。「毎回、先を越されますね」
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会議室を使わせてもらっていた。
テーブルの上に地図と数字が広がっている。クラーラが端で控えていて、アリシアが言ったことを書き留めている。最初の日に「記録は私が取ります」と自分から言ってきた。字が読みやすかった。
「大口が戻らない理由は三つ考えられます」とアリシアは続けた。「一つ目は——」
「あ、そうだ」
ヴォルフが唐突に話を遮った。「すみません、思い出したことがあって」
「どうぞ」
「王国側の商人から聞いた話なんですが」
アリシアは資料から目を上げた。
「最近、王国の北部で布の取引が少し動きにくくなってるとかで。たいした話じゃないんですけど、南の取引にも影響が出るかもしれないと思って一応」
「そうですか」
「ご存知でしたか?」
「いいえ」とアリシアは答えた。「参考にします」
それだけ言って、資料に視線を戻した。「では一つ目の理由ですが——」
ヴォルフが何か言いかけたが、アリシアはすでに資料に視線を戻していた。
(北部の布取引。時期と品目からすると、財務の管轄だ)
アリシアの頭の中で一瞬、何かが動いた。五年間、その数字を動かしていたのは自分だった。
ただ、今は関係ない。
視線は資料の上にあった。
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会議が終わって廊下に出ると、クラーラが「王国の話、気になりませんでしたか」と聞いた。
「なりませんでした」
「……本当に?」
「今の私の管轄ではないので」
「でも、一瞬何か考えていませんでしたか」とクラーラは言った。
アリシアは止まった。「顔に出ていましたか」
「少しだけ」
(読まれた)
「……データとして整合性を確認しただけです」とアリシアは言った。「今の仕事に関係ある部分だけ」
クラーラが何かを言いかけて、止めた。「……そうですか」と言って、それ以上は聞かなかった。
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夕方、ディアスに報告に行くと、「ヴォルフとの話、どうだった」と聞かれた。
「大口取引の戻りが遅れている件について、原因と対策の方向性を共有しました」
「うん」とディアスは言った。「それ以外は」
アリシアは少し間を置いた。「王国の北部で布取引の動きが鈍くなっているという話を聞きました」
ディアスが静かにアリシアを見た。「それを聞いてどう思った?」
「今の私には関係ない話です」
「そう」
ディアスはそれ以上聞かなかった。窓の外に視線を向けて、少し間を置いた。
「今日もちゃんと昼食、取った?」
「取りました」
「クラーラが見てた?」
「見ていました」
「よかった」
それだけで話が終わった。アリシアは一礼して書斎を出た。
廊下を歩きながら、(今の私には関係ない)と、もう一度頭の中で繰り返した。
繰り返したのは、一度言っただけでは少し足りない気がしたからかもしれなかった。




